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君たちはどう生きるか

このタイトルは宮崎駿監督の最新作品である。
原作を漫画化した作品を数年前に読んだとき、私の思春期を思い出し、涙を流していた。

人は、どこから来たのか?、死んだらどうなるのか?、そして、どう生きるか?というのが人生の三大疑問と言われていたりする。
病弱だった幼少期、喘息で咳が止まらなかったり、下痢でお腹が痛かったりなどするときに、生きているときのこの苦しみや痛みは何だろうと感じたのが、私が一番最初に生きることを考えたときだったのではないかと思う。

そして、病気やケガなどの具体的な痛みもあるが、心が痛むのも人の性である。私はストレスのようなものを物心のついたときから、社会の中で感じていたことを過去の投稿でも記載しているが、大きなピークとなったのは高校生時代だった。

私が住んでいた市から電車を乗り換えながら隣の隣の市の高校を選んだ理由は、調理科がある高校だったからだ。バンドでプロデビューしたい、そのためには上京しなければいけない、と中学生ながらに考えた私は、東京に進学するか、就職するか、どちらかを選ぶ必要があった。
借金をしながら汗水垂らして働いて私を育てていた両親から仕送りをしてもらいながら東京で学生をするというのは考えられなかったし、勉強するモチベーションも低かったため、調理科卒からの就職というのが、自然であり、実家でレストランをやっていた両親にも角が立たない作戦だった。

その高校にやってきた連中は、同じ県民であるにも関わらず、方言の癖が一ひねり強く、それと比例するようにびっくりするようなヤンキー文化満載だったのだ。
そう、私が選んでしまった高校は偏差値が低く、入学して最初の試験の際、この私でも成績上位ベスト3に食い込んでしまうほどだった。
そして、調理科に入学するのは、将来料理人を目指す人ばかりだったかと言えばそうではなく、楽に入学と卒業できそうだというような理由で入学してきた連中がかなり多かった。
私なりに青春を満喫できるであろう期待を淡く抱き、入学して間もなく友達ができた。その友達というのは眉が剃られていて風貌から既にヤンキーだったが、見た目だけだと信じたかった。しかし、つるんでいるとあいさつ代わりの暴力やカツアゲじみたことを当たり前のように繰り広げていて、私はすっかり引いてしまい徐々にそいつとはつるまなくなった。
そして、1年の2学期のある日、別の友達と仲良くなり始めていた時に、あいさつ代わりの侮辱的暴力を私に対して敢行してきて、私はそれを拒み、グッと睨んでけん制したのだった。
徐々に気付いたのだが、この学校では暗黙の中で「いじめる側」と「いじめられる側」に分かれていて、「いじめる側」というのがたちが悪く、5人くらいでまとまって、ターゲットを決めて順次いじめていた。
2学期に私が仲良くなりはじめていたヤツというのが、「いじめられる側」に属していたため、私もそっち側と判断してきたのだった。
しかし、私はそれに応じず「いじめる側」の奴らは戸惑っていた。何故なら私が大人しくいじめられなかったからだ。その瞬間、一発触発の状況となったが、大事に至らなかった。私は「いじめっ子」でも「いじめられっ子」でもないという希少な立場を確立していくが、孤独な高校生活となった。また、露骨にちょっかいをかけない代わりにロッカーや机にいたずらをされるようなことが幾度とあった。

そして、何よりも苦しかったことが連日のように近くで繰り広げられているいじめである。カツアゲされパシリにされていたり、首を絞めて落とされていたり、サンドバックのように殴られていたり、、など、嫌でも誰かがいじめられている場面に遭遇してしまう。その時、私は「やめろ!」と言って立ち向かっていくことができなかった。なぜなら、「いじめっ子」側は常に5人以上群れをなしていて、私が立ち向かったとして、無勢に多勢だと思ってしまったからだ。それ以上に私が「いじめられる側」に転じるリスクを感じてしまい自分を守ってしまったのだ。そのような自分がとても情けなかった。
それ以上に「こいつら本当にいじめるのをやめて欲しい」という祈りのような気持が、いつしか「こいつらいい加減に死んでほしい」というような呪う気持ちにすり替わり、自分の汚さにことごとく愕然とした。
「君たちはどう生きるか」の原作にでてくるコぺル君の気持ちにも少し通じる。

音楽好きの私は中学時代、ビートルズを聞き、ジョンレノンに行きつき、「愛と平和」を奏でたことに価値を感じていた。また、高校が浄土真宗の高校で週に一コマ、仏教の授業があったが、ブッタの生涯などを学び、良心が啓発されていた。
私は、ジョンやブッダどころか、汚らわしく、弱く、自分自身の価値の無さを痛感し、自殺したい気持ちもよぎるほどだった。

そんなとき、何で私はこのようなことをそもそも考えるのだろうかと立ち止まった。バンドの仲間や一般的若者も、シリアスに自分と向き合って生きているかと言えば、まったくそうではなく、軽く、薄く、楽しく生きていた。自分自身を追い詰めたとて、道が見いだせる見通しも立たないため、適当に生きるよう自分自身に言い聞かせるようにした。

ダメな自分を突きつけられながらも、ダメな自分からも逃げたのだった。

挿入ソング:


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