つぶやき物語【光明1~光明20】のまとめ(冒頭に中書き②追記)

【光明21】は、4/29(月)スタート(o^-^)b ※物語の最初fからお読みの方は【中書き②】を、途中から読まれた方はまとめも併せて、ご一読頂けると大変嬉しいです。
【中書き②】
 診察結果に愕然とした妻は、幼少の頃から父親がインシュリン注射の針をお腹に射す光景を、恐い思いで見ていたらしい。
 それなのに、祖母に父、そして夫である私までもが同じ病に蝕まれていたとなると、生まれたばかりの息子で4代続く危険性を孕む。
 しかしそんな妻の怯えも何処吹く風で、内科的には劇的な改善が、眼科的にも小康状態に収まった奇跡も相まって、私自身は全くの能天気。
 その結果、失明の危機に瀕している筈の重病人は、その立場に有るまじき事件を引き起こす暴挙に出てしまうのです。
【光明21】へ続く。
~・~・~
【前書き】
 この時に生まれた息子が、もう27歳になるのですから、かなり昔の話。
 しかしその時の場面一つ一つが、まるで映画の1シーンの様に、鮮やかな形で脳裏に刻み込まれています。
 そこで、その記憶を手繰り寄せながら、つぶやき140文字への嵌め込みを試みました。
 この後から始まる暗闘の日々の先にどんな未来が訪れるのかを、綴って行きたいと考えています。

光明1【身重の妻と危険な夜間走行】
深夜に妻が産気付いたので、義母が駆け付け、その後2人を乗せた車を私は病院へと走らせた。
途中、歩道で人が倒れていた様だが、只の酔っ払いなのか私には判別が付かなかった。
なぜならその時、私の左目は殆ど見えず、右目もかなり危うい状態だったのだから。

光明2【人生最後の運転】
「安全運転で行くね」、そう言ったのは方便で、夜目が全く利かない状態の為、速度を上げる事は自殺行為。
病院の玄関で2人を降ろすと、私は油汗を拭って大きな溜め息を付く。
夕方、私は出産後の妻を病院に残し帰宅するが、その日を境に二度と車を運転する事は無かった。

光明3【ボール直撃が開演の合図】
子供が生まれる1年前、週末にテニススクールへ行った時の事。
レッスンでコーチの打ったボールが私の顔付近に飛んで来て、運悪く逆光の為に行方を見失い、左目を直撃。
その後、眼科に通うのだが、事態は想像以上に複雑で深刻な状況への幕開けとなって行った。

光明4【揺らぐ心に懐妊の報せ】
事故後に数回、町の眼科に通うと、詳しい検査が必要だからと紹介状を渡された。
しかし私には思い当たるフシが有り、嫌な予感に苛まれ、大病院での受診を躊躇する。
さて妻にどう話をしたものかと悩んでいると、それからほどなくして妻から懐妊した事を告げられた。

光明5【異常を知らされぬ妻】
妻が身籠った事を知ったのは、転職して半年経過した頃で、まだ仕事は忙しくは無かった。
だがこの辺りから業務が急増し、帰宅時間が次第に遅くなり、悪阻の酷い妻と話す機会が無くなる始末。
結果的に、目の異常は妻へも職場へも伝えないまま、仕事に没入して行った。

光明6【後戻り出来ずの疾走】
左目は見えないものの右目は問題無かった為、朝は一番乗りで出勤し、深夜に退社する生活が始まる。
残業は百時間に及ぶも、思えば仕事が楽しくて仕方無い『ワーカホリック』状態だったのだろう。
その反動で妻の体調を気遣う事を放棄し、失明への道を突き進んで行く。

光明7【異変からの現実逃避】
平日は始業前に出社し、他の社員が出勤する頃に法務局へ向かい不動産の調査。
続いて単車を飛ばして新築の家へ到着すると測量し、数件こなして夕方に帰社後、申請書作成。
帰宅は深夜になる為、平日は妻と顔を合わせない状況だが、意識的に避けていたのかもしれない。

光明8【我に酔い痴れる鬼畜の所業】
では週末はどうしていたかと言うと、土曜日は休日出勤し、生まれて来る子供の為と、残業手当を荒稼ぎ。
また日曜日は昼前まで熟睡し、午後からは既に申し込んでいた資格学校へ通う。
父親になる重責を耐え忍ぶ自分に酔い痴れ、良き夫の姿を置き去りにしていた。

光明9【摂食環境は悪化の一途】
当時、朝出ると夕方まで事務所へ一切戻らず、単車で移動しながらの食事は不健康極まり無い。
夜の分は帰りに入手し、夕食も間食も区別無
く、仕事をしながら食べ続ける。
その悪循環は内科的な疾患ばかりか、視力悪化に多大なる影響を及ぼす結果へと導かれて行った。

光明10【息子誕生前日の情景】
出産予定日から10日過ぎた頃、仕事の忙しさは一段落し、久々に妻との時間を過ごす。
陣痛を促す為にと近くの河原へ散歩に行くが、お腹が大きな妻の歩みにも遅れる程、惨憺たる私の体調。
這う這うの体で散歩から戻った私は早めに就寝したが、夜中に妻が産気付く。

光明11【近いが故の珍事】
退院の際は義父が車で迎えに来て、妻は息子と共にそのまま里帰りとなるが、初孫との同居に義父母は大盛り上がり。
妻の実家は自宅から歩いて数分の至近距離に有り、新婚の頃は驚く事が度々起きたりした。
例えば私が仕事から帰宅すると、義父が我が家で入浴していたり。

光明12【右目よお前もか】
仕事帰りに妻の実家へ寄り、妻と子の顔を見てから帰宅の一週間が続いた日の夜半、TVを見ていた時だった。
急に画面が橙色に染まり、眼前に水泡が現れた瞬間、目の中が出血した事を悟る。
「遂にこの日が来たか」と、私はは観念して目を閉じ、避けられぬ現実に慄いた。

光明13【想像を凌駕する惨状】
翌日は有休を取り、以前に町医者から紹介されtた総合病院の眼科へ向かう。
人生初の瞳孔を開く点眼薬の投与から、眼底検査等の精密検査が進められた。
そして結果を見た医師からは、「何故こんな状態になるまで放置していたんですか!」と、厳しいお叱りを受ける。

光明14【根本的な治療は先ず内科】
医師から言い渡された病名は『糖尿病性網膜症』で、代表的な合併症の一つとの説明。
ボールの直撃は病状の悪化を速めたと思われるが、本質的な原因では無いとの事実を突き付けられる。
目の方は応急処置のみが施され、すぐさま内科へと送致される経過を辿った。

光明15【不吉な予感的中】
内科では血液検査の結果が、血糖値の正常範囲上限を、遥かに越える数値を叩き出した為、即入院を言い渡される。
先ず6週間の検査入院をして血糖値をかなり下げないと、目の手術する事が出来ないとの通告。
『思い当たるフシ』が現実となる運命を眼前に突き付けられた。

【中書き①】
 息子が生まれて1週間が経過した頃、残された微かな視力の右目も遂に、左目の状況に急接近します。
 流石に私も観念し、精密検査を受ける為に眼科へ赴き、医師に叱責を受けますが、放置していたのは現実を受け止める勇気が無かったからでした。
 この頃の自分を省みれば、結婚をしていながら無責任で、親となったのにまるで駄々っ子の様。
 子育てに奮闘する妻へはその生活の裏側で、この後から始まる新たな苦悩がのし掛かるのでした。

光明16【崩れ始める砂上の楼閣】
妻の実家へ向かい診察結果を伝えると、目の事は勿論だが、妻がより恐れたのはの内科の方。
実父が糖尿廟、祖母はその合併症から両足共に膝から下を切断した。
遺伝すると幼少から聞かされていたので、我が子へ忍び寄る黒い影に、妻の希望は奈落の底へ沈んで行く。

光明17【絡み付く魔物の触手】
妻に頼める筈も無い私は、一人寂しく鞄に衣類や線面具を詰め込んだ。
内科へ入院すると検査と並行して、糖尿廟についての基礎知識を叩き込まれる日々が始まる。
ここで初めて、この病を起因とする種々の合併症が持つ深刻さに触れ、虚け者の背筋にさえ戦慄が走った。

光明18【勘違いせし罠への誘導】
食事に加え指導されたのは運動療法で、お昼が済むと病院から少し離れた河原を只管歩いた。
以前の不摂生と真逆の生活に、血糖値は急降下、体重も激減し、目の調子さえ小康状態。
更に内科医からはお褒めの言葉までも頂き、気を良くした私は自身の苦境を見失った。

光明19【現状誤認に拍車】
夕食後の検査を済ませると、病院横の銭湯へ行き、その中のサウナ室へ籠るのが日課となる。
患者として優等生だった私は、消灯点呼の時間間際に滑り込んでも、多少のお目溢しが有ったかもしれない。
この優雅な暮らし振りが緊張感を削ぎ落とし、傍迷惑な事件が勃発する。

光明20【燥ぎ過ぎた祭りの後】
その日は同僚の女性4名が見舞いに来てくれるとの朗報に、私は朝から浮かれていた。
午後からの外出許可を取り、駅前のカラオケボックスで時を忘れて盛り上がり、病室へ戻るのが門限を少し過ぎる。
看護師は大騒ぎ、妻へも消息確認が入り、私は窮地へ追い込まれた。

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