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50歳からの「疲れないカラダ」の作り方


この記事は、有料です。
以前少しだけ実施した「疲れないカラダ講座」で伝えました内容を、ブラッシュアップして書いたものです。

2020年3月末、高校を卒業した息子が大阪の専門学校に通うために家を出たのと、コロナのタイミングが同時に来て、私は一人暮らしになったと同時に家からも出ず、1日中誰とも話さない生活に突入。
究極に時間を持て余して何か始めた人は多かったと思う。DIYとかミシンとかキャンプとか流行ったけど、私は

疲れやすい自分の体を、根底から改善しよう

だった。

特に忙しいわけでも動きっぱなしでもないのに、いつも疲れている気がする。常時ダルい。昼寝が欠かせないけれど、昼寝をして起きてもまだ疲れていてそのまま夜になる。無駄に時間だけが過ぎる毎日。
何かしたいなぁと思いながらスマホを見る。
こんなに倦怠感があるのは年齢のせい?(その頃48歳)
心に余裕がない。イラっとしやすいし、不安になったりする。

決定的だったのは、ふと「明日のデート、キャンセルにならないかなぁ」と思ってしまった時。
長く片思いして告白し、付き合うようになってからもずっと好きの熱量が変わらない人と、なぜか会うのが億劫になる。それほど疲れているのか。
ハッとした。

これは本当にマズイ。それで

方法はわからないけど、とにかくこの倦怠感を、やめよう

と決心するに至った。
人は追い詰められると、やる。

そして結論。私は実践した次の日から、劇的に倦怠感がなくなり、それから4年経つけれど、ほぼ疲れ知らずを継続している。
誇張しているわけでも、盛っているわけでもなく、疲れない。頭が冴えている。体の疲れは心地良い疲労感だけになり、寝れば回復する。
効果が次の日から感じられるたのが想定外すぎて、プラシーボみたいなものかと疑った。そこでどういうことか掴みたくて、友人にも実践してもらったら、彼女も次の日から目に見えて疲れ知らずになった。

それは口コミで薄く広まり、リクエストをもらって何度か人に伝えたり、小規模ながら講座も開催したりした。
何人もが、次の日から元気になった。すごく痩せた人もいたし、私もこれを実践して、期待してなかったけれど副次的に4kg痩せた。

私の生活は、地味に、でも全く違うものになった。
朝から晩まで同じ機動力で動けるし、ものを考えられるようになった。
夜9時からでも普通に外出できる。これは友人も同じことを言う。
他にもこんな作用を自覚できるようになった。

1、昼寝をしなくなり、日中あくびが出るということがない。
2、読書が楽になった。難しい本に集中できる。
3、人の話を聞くのがおもしろい。全力で集中して聞ける。
4、料理や掃除、書類関係の処理などを後回しにしないですぐできる。
5、判断がブレない、間違いにくい。
6、いつも機嫌が良い。心に余裕があるので嫌な人に出会わない。

実践した内容をかんたんに書いておく。

1、できないことをしない
2、足さない
3、禁止しない
4、必要がなければ選ばない
5、心から望むことは疲れない

基本はこれだけ。
イメージしにくいかもしれないけれど、例えば毎日家族のご飯を作る人なら経験があるかもしれない、疲れている夕方に思う
「作るのは作るから、メニューを誰か考えてほしい」
私も幾度となくあったこれ。だからこそ家族に「何食べたい?」と聞くんだけど、そこで「何でもいい」と言われると、ムキー!
体を使うよりも、脳を使う方が本当にしんどい。
でも不思議と、好きなことをしていたら、体は疲れても気分がいい。
だから「疲れる」っていうのは普通にあるにしても、我々は、脳が疲れるのが不快なんだ。

私が考えるのはこう。

疲れというのは2種類ある。
脳の疲れと肉体の疲れ。
一緒くたになってわからない時もあるけれど、肉体の疲れだけなら寝れば回復する。でも脳の疲れは回復しないで溜まる一方。
無駄な会議とか、保護者会とか、座っているだけなのにやたら疲れる。脳が、特に不快な脳の使い方が、体からエネルギーを奪っている。だから、生活の中で不要な疲れをいかに減らすかが大事になってくる。

それと、それをベースにした上で実践も大いに役に立つ。
でもこちらは無理なくやろうと思う分だけ。
まず「やる気の出る、疲れない状態」を作ることが大事だから。

5、食生活
6、疲れない服についての専門知識

疲れていると、全てがうまくいかない

疲れていると、手伝ってくれない家族にイラっとしたりするし、外食や惣菜など、ただ楽をするための割高の出費が増える。
昔、この「楽をするための出費」がすごく不快だった。
楽をするためだから本当は快適になるはずなのに、そんなにお金と時間は使えないので、美味しさは妥協、「帰ってお風呂入れなきゃ」とか思いながら食べる食事は思い出にも残らなくて、お金もったいなーいと思ってた。
でも昔は結構やってた。
しかもストレス解消のために遊びや買い物で消費したら、そのストレス解消のためにまた働かなあかん。いややー(T_T)
疲れていると自分の頭で考えなくなる。自分の頭で考えなくなると他人のせいにする。不安になる。

ひとつもいいことない。

そして、疲れている大人は余裕がない。
周りが思う以上に余裕がない。それを見ている別の大人も余裕がないので「こっちだって余裕がない」となり、なかなか相手に対して余裕のある態度をとることができない。せっかくの休みに喧嘩になったり、場の空気が悪くなることもあると思う。

誰かが悪いわけではなく、みんな同じ。
疲れているという状態があるだけ。

逆に、ほとんどのことは「疲れていない」が解決する

疲れていないと、それだけでひたすらご機嫌さん。
すれ違う近所のおっさんが嫌味を言ってきても、前提が「機嫌が良い」なので「ん、なんか言った?」という感じで受け止められる。
相手の好意も素直に受け取れる。
わーありがとうヽ(・∀・)ノ
何かやろうかなという前向きな気持ちになる。
なんでもできるけど、たいてい自分を嫌いになるような行動はしない。誰かを傷つけるような事も迂闊に言わないし、焦って変なものに手を出さないし、目先のものを短絡的に欲しがったりしないんだ。
自分のことを嫌いにならない。

同じ人間なのに、疲れるか疲れないかだけで全然違う結果になってくる。
以前の私は、脳の疲れと肉体の疲れを一緒くたにしてたんですが、疲れたらとにかく昼でも夜でも寝てた。
でもそれだと起きても脳が疲れてるから「何も解決していないのに寝て現実逃避してしまった」というネガティブな気持ちを発生させていたと思う。
そこでまた色々考え込んで、疲労が溜まっていく感じ。
でも寝るくらいしか疲れを取る方法を思いつけなくて、また寝るんだけど、寝ても結局同じことを繰り返すだけだった。

目覚めるたびに、どよーんとする毎日だった。
これは本当に辛かった。

セカオワに「銀河街の悪夢」という歌がある。

昨日も一昨日も変わろうとしてたけど
今日も僕は変われないまま今日がまた終わってく(歌詞一部引用)

ある時期、私の毎日はこれだった。
で、変わろうとするっていうのは、ものすごく大事な気持ちで、それはそれで大事だけど、脳の疲労は根性論では勝てないのが本当のところだと思う。
それでも自分にしか自分を変えることができないのだから、前に進もうということをこの歌は伝えているんだが、それをやりやすくするために、疲れないカラダになれば、よりやりやすいと思う。

私は、自分の感じる不快ももちろん嫌だったけれど、家族とか仲間とかパートナーが大好きなんで、不用意な言葉や態度で絶対に傷つけるようなことはしたくないと思ってしまう。疲れていても、生きているのが自分1人ならなんでもいいんだけど、自分が疲れていることで大事な誰かを傷つけるのは耐えられない。
そして自分も、毎日を、ほんのこれっぽっちも偽ることなく、素直に、心から楽しく、軽く生きていきたい。
だってまだあと20年くらいは死なないだろうから。

ここからはメソッドの話。
私に合わせて作っているので、それぞれ自分に応用してもらうことになるけれど、難しい話でもない内容だと思う。
参考になれば。

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