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「動的平衡(ドウテキヘイコウ)」を読んで、生活を快適にする


この記事は6500文字弱程度です。
記事は「動的平衡」の内容にかなり触れています。

福岡伸一氏は、日本の生物学者として有名な人物です。
いくつもある著書の中でも「動的平衡」は多くの人に知られていて、続編とそのまた続編まで出版されている。「動的平衡2」は私の手元にあるけれど「動的平衡3」はまだ読んでいない。
一番有名なのは「生物と無生物のあいだ」という著書で、80万部以上も売れたベストセラー。

福岡伸一氏は、生物の基礎研究が専門ですが、要するに「生き物の理とはこういうことだ」という事を深く研究していて、研究は分子や細菌の話だったりで我々には難しいし深いのですが、基礎研究だから、基本だから、本質だから、真理だから

主張がめちゃくちゃシンプル。
一貫して「この世の中は動的平衡である」と伝えてくる。
しかもいくらでも難しく書けることを、その専門性を崩すことなく、易しい表現で記してあるところが凄いのです。

今すぐ商品やサービスにならない分野なので、認知症の薬とか癌に効く治療法などのような、私たち素人のテンションを直接上げてくれるような派手でわかりやすい話はあまりない。
とはいえ、そういう派手な分野は、新薬とか発明で期待値は上がるものの、すぐに個人に影響するようなものではないことが多い。

でも、一見地味そうな福岡伸一氏が伝える基礎研究の「生命というものは、こうなっているのだ」は、実は我々の暮らしにめちゃめちゃ直結する。
関係しまくっている。

例えばこう。
コラーゲンは人体にとって重要なタンパク質で、確かに肌のハリはコラーゲンが支えている。だからといって食べ物でコラーゲンを摂取しても、肌の張りの衰えをカバーできるかというと、それはできない。
口から摂取したコラーゲンはバラバラのアミノ酸に分解されるが、そのアミノ酸は他のタンパク質からでもいくらでも摂取でき、体内でも合成できるので、体がそれを必要と判断したらそれを生成するだけで、人間に都合良く動いてくれるわけではない。

つまり、口からコラーゲンを摂取しても、体内ではその成分までもが完全に分解されて、もはやコラーゲンじゃなくなるので、イメージしているようなコラーゲンは少しも補給されていない。
ましてや皮膚からコラーゲンが吸収されることはないそうだ。

これを初めて読んだ時、無知な私は当然
えーーーーー!だった。
ま、分解したら別物になるのは当然で「たしかに!」なんだけど、あまりそこに考えが回っていなかった。そうはいっても、ちょっとくらいは効果あるんじゃないの?くらいに思ってたから。
また、その事実もそうだけど、コラーゲンが良いからと、買ったり飲んだり肌につけたりしているのが当たり前の世の中を、生物学者が原理原則で華麗にぶった切ってる!それがまたイタ気持ち良い。
学者が書いたものを私が好んで読む大きな理由は、学者は事実ベースで客観的視点が基本、しかも良くも悪くも忖度せず大抵はっきり語るし、そしてそれだけの知識、博識、研究や深い考察からの根拠があるところ。
(全員ではない)

なんにしても痛快!
そうこなくっちゃ、と思う。
私は資本主義も商売も好きなのだけど、人間の思考で考え出されたお金儲けのための商品への痛烈な皮肉は、それはそれで何やら気持ち良い。
「人体はそんなに単純じゃない」と福岡氏は言う。

科学で解明できない世界は確かにあるだろう。
でもそれは「龍が見える」というような無秩序で摩訶不思議な世界というよりは

世の中がとても精妙であるがゆえに、解像度の低い人間たちには「今はまだ見えていない」事があるのだということなのだと思う。
福岡氏もそれっぽいことを言ってた。

コラーゲンに戻ります。

実際コラーゲンにはちょっとした期待値があるのは間違いなく「お肌プルプルになるからコラーゲン鍋食べに行こう!」という会話は、女子のコミュニケーションを円滑にするかもしれないし、気楽で単純で楽しい。
だからそれは「心を豊かにする」目的として、遊びとして、あっても良いのだろう。この場合のコラーゲンはきっかけで、むしろその気持ちのテンションが肌のツヤに貢献するのだと思う。

しかし基本的には、やっぱりそれの確実な効果を狙って課金するのは、冷静に考えて無駄には違いないやんか。
鍋にはたまにワイワイしても、サプリを毎日飲む必要はない。

私はこの話を読んだ時にその結論にいたり、コラーゲンを買ったことはなかったけれど、脳内の節約レベルは上がった。
もちろんコラーゲンだけでなく「目にいい」だとか「頭が良くなる」だとか、その手のものの多くが、口から、肌から取り入れる事に意味がなくなってくるとも言えるので、巧妙に期待値を上げてくるネット広告とか「お客様の声」に流されにくくなる。
ふっふっふ。見えない武器を手に入れた気分だ。

余談になるけれど、私が使っている洗顔後の手入れは化粧水とオイルのみで、その化粧水も99%以上が水。残り1%の天然成分で、極めて高い保湿力を担保している。
1人で運営されているエステの店主が開発した無名の商品だけど、コラーゲンやその他、キラキラしたものは何も配合されておらず、パックや美容液などの特別な手入れも不要。
でもどうやらそれで良さそうだと改めて思った。

1、「動的平衡」ってなんだ

この本のタイトルでもあり、福岡氏が一貫して主張する(生命活動としての)「動的平衡」とは

生命活動は、パーツをただ組み合わせた機械的な存在ではなく、絶えず分解と合成を繰り返している流れの中でバランスしている存在である。

という意味だけど、これじゃさすがに分かりにくい。

まず人間の細胞(とそれを構成する分子)は基本的に、そのサイクルが短いもので1日、長いもので3〜4ヶ月で入れ替わっていて、つまり4ヶ月前の細胞はもうこの世に存在しておらず、人間はまるっと生まれ変わりながら活動をしている状態だよ、と。
それは自動運転だけど、かといって判で押したように無機質な単純作業ではなく、瞬間瞬間で体内や体外の条件や関係性が変化するので、それに合わせてバランスを保ちながらその活動を維持している、その状態を「動的平衡」(動きながらバランスする)と表現している。

私が認識しているのはそんな感じ。

家計で例えると、毎月、決まった収入を家賃に、食費に、交際費に振り分けて使っていくとしてそれ自体は毎月同じなんだけど、いつもきっちり同じ金額が同じところに出て行くわけじゃなく、食費が少しかさんだり、交際費が少し安く済んだり、急な出費や臨時収入なども起こり、あっちをこっちに、とか、こっちを少し減らして、などの調整をして目的をずらさず整える事がよくあるが、それと似ているかもしれない。

2、「動的平衡」で2.5kg痩せた

私は今、52歳で、身長は150cm、体重は控えます。
基礎代謝率を調べると、1200kcal 弱。
運動は散歩以外はしていないので、摂取カロリー1200kcalまでに抑えると体重は増加しない計算になる。

私、骨格ストレートタイプで身長も低く、端的に言うと太って見えやすい上に、実際太ってもいるのですが、食べる量は多くない。
しかも年齢とともに食べる量が減っていっている。
甘いものをあまり買わないし、外食ほぼしないし、お酒も家では飲まない。

なのに痩せないというか、スリムな体型を経験した事がほぼない。
コロナ渦の時、家にいる時間が長く、体を動かさない割に疲れやすかったので「疲れない体メソッド」というものを自分で作り、めでたく疲れない体になり維持もできているけれど、その時に副次的に4kgほど痩せて、そこから体重もそのまま維持する形になっている。
数字ではないのは百も承知だけど便宜上言うと、もうあと5kgは痩せたいと思っていたところ

「動的平衡」の中で「飽食の現代に普通の食生活をしている限り、タンパク質を除き、基本的な栄養素が足りていないということはない」と断言されていて、えー!となった。
私が深く読めていない可能性もあるのだけど、要するに、数値的には一時的に足りなくても、人間の体内で機能として補完しあうとか、貯蓄できる栄養素もあるとか、複合的で複雑なバランスを取っていて、足りるような活動をしているということなのかもしれない。
私は無知で、普通に食事はしているけれど、よく考えているわけでもないので、よくわからんけどもこんな適当なことでは、どっかしら足りていないのでは?などと思い込んでいた。

そういう人は案外多く、だから「目が疲れやすいからブルーベリーのサプリを買おう」という発想になるのかもしれない。

で、タンパク質だけは体内に貯蓄ができないので、日々のタンパク量は、女性で1日50g目安として毎日摂取する必要があると書かれている。
「疲れない体」を作っていた時に、ある程度タンパク質を意識して摂るようにはしていたので、これは良しとして。

「動的平衡」によると、食べる量と体重増加は比例しないとある。
食べた分がそのまま体重になるというような機械的なシステムではない。
例えば、少量を食べている「状況」は、体重増加という結果に反映されにくく、少量なら何度食べても、それほど体重は増えない。
一定以上の量を一度に摂取する「状況」は、体重増加に反映しやすい。
つまり、リンゴ丸ごとを一度に食べた場合と、リンゴを10分割して少しずつ食べた場合の体重増加は、前者の方が大きくなるという計算だ。
量ではなく「状況」が体重増加を制御している。
これは、同じ量を食べても、どか食いだと血糖値が上がり、インシュリンが反応し、脂肪細胞に「溜めこめ!」と命令するので太りやすい、という、よく聞く話と同じで

だから、ゆっくり食べろ、となる。
消化吸収が遅い食材を食べろ、となる。
同じ量でも、回数を多くして食べろ、となる。

聞いたような話だけど要するに「状況」をコントロールしろ、という事なのだと。

文字にしてしまえば、福岡伸一氏は、当たり前の話しかしていない。
でもその当たり前の「生物の世界はこうなっている」を、深く研究し、得た確かな根拠とともに伝えてくれる。だから「知ってるわそれ」じゃなく「なるほどやっぱりそうか」となる。
ようやく素直に実践する気になった私は

1日2回の食事を3回に分け
1回につき、400kcal目安にし(細かく計算したくないのでざっくり)
よく噛んでゆっくり食べる。
1日に50gのタンパク質を摂ることができるようにだけ意識して献立するけれど、計算はめんどくさいので

鶏肉200g〜250g、卵2個、豆腐少し、味噌汁、牛乳少し、程度をだいたい3回に分けて、お肉が魚になったりしながら、あとお米と野菜と、梅干しとか海苔とかを足したり引いたり、ま、だいたいこんな感じかなーと思いつつシンプル調理と映えない盛りつけで食べることを継続。

で、これで、サクッと体重が落ちたのです。
わりと当たり前のことをしただけで。
噛む回数が多くなると1回の食事で30分以上かかるので、お腹は膨れてくるし、何やら飽きてくるので1回の食べる量を自然に減らすことになり、その分、回数を増やすことに無理なく成功。
消化が良くなり、もともと良い便通がもっと良くなった気がする。

3、「動的平衡」な生活

「動的平衡」の原理は拍子抜けするほど当たり前の事かもしれない。
突き詰めれば「生き物とはそういうものだ」って話なので、なんのドラマもオチもない。ただ、そこに私の萌えポイントがある。当たり前だからこそ、家ですぐにできるし、お金もかからないし、ゴミも出ないことである。

エコだし、アマゾンよりもずっと速く最速で手に入る。

私は意識は高い方ではないのだけど、病気になると病院に行くのがめんどくさいしお金もかかる、そのめんどくささを避けるために、家の中でできることはしておく方が個人的にはよっぽど楽なので、その意味では料理をするのは苦ではない。
かんたんな調理のみ、ご飯はまとめて炊き、昼と夜が同じおかずになる事もある。
必要な分が足りていたら、それ以上は凝ったことはしない。
珍しい食材も買わないし、違うスーパーに行ったりもしない。

化粧品をシンプルにするのも同じ考えで。
不足がなく、過剰でもなく、ちょうど足りている状態のものを使い続ける。別のものに浮気しない。淡々と使い切って淡々と買い足す。

私は生活の、見えないところをミニマリズムで生きようと思っている。

部屋は仕事上どうしても資材や道具があり、生きた年数分、捨てられないものもそれなりにあって、現実的に何もない部屋を作ることは難しいけれど、生活の軸をミニマムにすることはできる。
それは映えないし、そもそも写真にすら映らないけれど

満足。誰に見せるものでもないし。

4、「動的平衡」的恋愛

好きな人に誕生日プレゼントを買う時、今の彼は、何があれば一番幸せになるか、を丁寧にイメージして、これかな、あれかな、と時間と思考を使いながら、ぴったりの着地点を目指すということがあると思う。
私はそう。
「予算内で高見えする」というようなお得感の話じゃなく、選ぶ自分の感覚的にしっくりいくかどうかの話。
それを渡す時も、相手が忙しくて心に余裕がない時は、適切じゃない。
仮に誕生日から多少ズレても、受け取る彼の心のタイミングが良いと思われるときに渡している。
忙しそうな時に渡しても、悪気はなくても「後で見とくね」とかになりそうだし。

うちの息子は子どもの頃から「いつ言えばすんなり話が通るか」を測るのが得意で(私が楽しく電話をしているときに限って、隣にきてこそっと「お菓子食べていい?」と聞いてくる狡猾さ、経験した人も多いのではないかと思う)私からお金を引き出すのも得意だった。
絶妙に見計らって交渉してくる。
女の子に告白する時も95%うまくいくと思えるタイミングまで待ってからするとのこと(本人談)
でもそれは息子に特別な魅力があるとか、話術があるとか、積極性があるとか、なんかそういうことじゃ全くなくて

これはさっきの食べる「量」じゃなく食べる「状況」が結果を作るよ、という話に近い。
相手と恋愛に発展しないとも限らない程度の好感度くらいは担保しておきつつ、自分を変えずに(要するに付け焼き刃で無理したり背伸びしたりしないで)最高の状況だけを待つ。マダニだね。

福岡伸一氏は、生命はパーツとパーツを機械的に組み合わせるだけの存在ではなく、そこに代謝、思考、生殖、といった単なる総和以上の「効果」が生まれている、それが生命だ。そしてそれには「時間」もっと言えば「効果が現れるまでの時間」が鍵だと言っている。

チャンスが来るまで粘るのは、効果を最大限にするための、知恵だと思う。
容姿の美醜や、持って生まれたパーツに左右されない知恵。
ゆっくりいこう。

5、「動的平衡」な社会

ヒトを作る、最初の細胞であり唯一の受精卵が細胞分裂するとき、ある程度の数を増やすまではただの分裂で、同じ細胞がただ増えていくんだけども、途中で、脳になる細胞、肺になる細胞、筋肉になる細胞、と役割を持ってそれぞれ持ち場に分かれ、別の機能を持つようになる、と書いてあり

うん、そっか、なるほど、となったんだけど次に

たくさんある全く同じ細胞が、何を基準にして「俺、脳みそやるわ」「じゃ、俺は肺」「じゃ、俺は筋肉で」と役割分担するのだろう?と思っていると、なんと

「空気を読む」のだそうだ。

細胞が、空気を読む!!!
一気にテンションが上がる。

同じような細胞ばっか増えたら「この辺でよくね?」となり、今度はそれぞれ分担して仕事しようぜってなるってことか。
おもしろすぎる。

楽しくもない給料のためだけに行く職場ならともかく、これが祭りとか文化祭だと考えると、細胞たちと同じテンションになるのがわかる。損得考えずに「あ、それ私がやるよ!」と自然に能動的になる、あれと同じだ。
楽しく空気を読み、自分の負担を負担とも思わない。
等身大でできることをするあの感じ。

自分らしく生きる、心が喜ぶ、細胞が喜ぶ仕事の本質というのは、そういうものかもしれない。

ポルカてんちょ




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