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毒親じゃないのに親を好きではないと感じた話


この文章は、約6900文字です。

1、大きな仕事がダメになり、絶賛絶望中

商品を作って小売する、という直接的な商売を辞めて、約2年が経った。
その間、特に働いていない。
貯金も収入源もないのによくやってこれたなというのが本音。

ダラダラとした充電期間を経て、今年の前半は「もう絶対にこれ以上のプランはない!」と確信して、惚れ込んで始めた事業に全力で没頭していた。私は心の底からワクワクしていた。私の一生をかけた商いになるだろうと。なのになんと、それがどうにもこうにも前に進まずに行き詰まり、打つ手がなくなってしまった。

ほんっとーにほんっとーに、地底をえぐるくらいに深く絶望したし、なんならまだ絶望中。浮上できていない。

ちょ、もー、聞いてくださいよ。
ありふれたものをそれらしい理由をつけて売るようなものではなく、お金と雇用が行き渡り、どこにも抜けがなく、ちゃんと利益が出て社会貢献と日本の未来にまで繋がるはずのプランだったんです。
商品は良い形で完成したんです。それでも敗北したんです。
意味わかりませんでした。
もう少し頑張ればなんとかなるのでは?とか、もはやそんなレベルではなく、そもそももうめちゃめちゃ頑張ったんですよ私。自分でも褒めたくなるくらい、やり切った。でも結果、惨敗。
決して私の暴走などではなく、その道のスペシャリストに話を通し、信頼できる人と確実に詰めていった、大人のビジネスだった。
それでもうまくいかないときはいかないのが世の常。
努力は、直接的には必ずしも報われないのだ。
ただ良かったのは、プロ中のプロを使ってこれだけやってダメなのだからさすがに「あ、これ、私のせいじゃないわ」と思えて、自分を責めなくて済んだこと。
とことんやり切れば、残念ではあっても悔いがゼロ。
今は、灰になった気分。
文字通り、涙も枯れ果てました。

でもまぁ今日はこの話ではないので次の機会にするとして。

私は今52歳で、一人暮らし。
東京の賃貸住宅。月額20万円以内で生活しています。
生活レベル、普通?低め?

先日ようやく、月額1万円近くかかっていたドコモの契約をUQモバイルに変えて、スマホにかかる費用は4,000円にまで落としたところでございます。
2年前に成人した息子のスマホの契約者もいまだに私になっていたので、実費は息子から現金で徴収していたとはいえ、これを機会に切り分ける事にした。
息子もUQモバイルになり、彼の生活費も安く抑えられる事になった。

使い勝手は何も変わらないのにコストが半分以下になるスマホの乗り換えに、今の世知辛い値上げ合戦の世の中で、まるで魔法のようだと思った。
凄い、いまだに不思議。

私は、生活はたとえ貧乏であっても、つまりお金が物理的にそれほどなくても、心の貧しさだけは絶対に許容できない。しかも自分の心に1ミリの誤魔化しもすることなく、心底豊かだと感じながら暮らす事にかけては一歩も譲らない、頑固者でございます。

だから、嫌々働くなどということは絶対にしない。
生活のコンパクトさと引き換えに時間が充分にできたこの2年は、時間のあるときにしかできない事に、散々取り組んできた。
時間と体力を必要とする古典や文学を読んだり、SNSから離れて適度にデジタルデトックスをしたり、長い映画を観たり、遠くまで歩いたり。

そのひとつとして、自分を深く掘り下げる事がある。
「好きなことを仕事にしよう」という軽い言葉は決して好きではないが、今、人生100年時代というのは紛れもない事実で、我々は無駄に長生きするし、あと数十年を逃げ切るために、自分をごまかしてイヤイヤ働き続けられるだけの忍耐力もない。

体が間違いなく衰えるのに、心も衰えるなんてそんな人生、絶対にしたくない。好きなことで生きていくしかない、選択肢はむしろそれしかないんだ。

私は、岡田斗司夫が毎朝しているという方法を採用して自分を見つめる事にしている。内容は、朝起きたらすぐに、A3サイズのノートに、自分の脳内にあることをただただ、脳が空っぽになるまでアウトプットしていくだけ。
A3サイズ(大きなサイズ)に意味があるというようなことを岡田氏は話していたけれど、その理由は忘れてしまった。

それを私もそこそこ長く続けているのだけど、最近、自分でもびっくりするような事がそのノートに出力された。
私の意思で書いたとは思えないそれは

「私、おかん、好きじゃないかも」だった。

おかんとは、大阪に住む、79歳の私の母のことだ。

2、うちの母について

個人的には衝撃に近いものがあった。
これまで自分の人生で、1回も、1秒ですら、母を好きでないなどと疑った事がなかった。どうしてこのタイミングでそんな、書いた自分さえ驚くような言葉が飛び出してきたんだろう。

母親は京都生まれ、京都育ち。
父親も同じく京都生まれ、京都育ち。
二人はお見合いで結婚して、2年後に私、またその2年後に妹が生まれる。

私が中学2年の夏休み、父が急死する。
ある日の朝、突然倒れて、そのまま救急車の中で亡くなった。死因が分からず解剖したのだけど、結局「心不全」という事で処理された。
ところがその10年後くらいにひょんなことから、実は父が当時、心筋梗塞を患っていて、ニトログリセリンを持ち歩いていたと知る事になる。
母も知らなかった。
家族全員でびっくりした。

母は39歳でシングルマザーになり、私と妹を育てることになったのだけど、正社員で働き、恋もたくさんする、とてもパワフルな人であった。
当時はバブルだった事もあり、母は夜遊びもよくしていた。
スチュワーデス(今で言うCA)やアイドルの取り巻きの友達と一緒に、よくミナミのディスコで踊ってた。
自分が自由奔放だからか、他人にも何かを強制したりする事なく、私が中型バイクの免許を取って夜に走りに行く時は「えーいいな、私も連れてって」と言ってきたり、彼氏を作って旅行や外泊をして楽しく過ごしており、一般的な母親像とは少し違うけれど、充分な養育をしてくれたと感じるし、私は親から愛されていると普通に思っていた。

母は50歳くらいで再婚して、恋多き女を卒業して、ようやく落ち着いていた。それから孫を可愛がる、普通のおばあちゃんになった。
そして時間が経ち、再婚相手を亡くした母は76歳でまた独身になった。

私と母は、いわゆる仲が良く、気が合う親子の部類に入る。
時々感情的になる事もある母だけど、私はその辺の空気を読むのがうまい方で、目の前の人がどうして欲しいのかがわかるし、わりと相手の望むように振る舞える。逆に妹は「私はお姉ちゃんみたいに、媚びるようなことはできない」らしい。

妹の方はそんなだから要するに正直すぎる性格で、それは悪いことではないにしても大人からみると扱いにくく感じたり「可愛くない子」になってしまう可能性はある。そのせいかわからないけれど、何かが確実に積み重なり、今、母と妹は折り合いが悪い。

相対的に私は、明らかに妹よりも可愛がられてきた。

それは、それぞれにそれぞれあるにしても、私にとってはあまり大きな問題はなかったはずだった。

3、母の老後

コロナ渦だった2年前に伴侶を亡くし、一人になった76歳の母は、自然に私と頻繁に連絡を取るようになった。
母は大阪、私は東京という距離に加えて、母の年齢的にも、こまめに生存確認する必要を感じたし、私は独身なので母も気兼ねしない。
加えて、夫婦ではよく旅行に行っていたらしいのだけど、母はその代わりに私を旅行に誘うようになった。もともと旅行好きだけど、一人だとどこにも行けない性格。自分ももうそんなに長く生きないだろうから、行きたい所に行ってたくさん思い出が欲しいらしい。

そう話していた。
それに私がつきあうのも特に問題なかった。

私だって、親孝行になるような事なら少しでもやっておきたい。
そもそも私は「バカな子ほどかわいい」を地でやってきたようなタイプで、全く親孝行な子どもではなかったから、やれる時にやらなきゃバチが当たるし悔いが残りそうだった。
それに、母のやりたい事につきあうのは特にストレスでもなく、私が事業を一旦やめたこの2年は、まさにそのためにあるような気さえした。

そうしてこの2年が過ぎていくのだけど、変化があったとすれば、母の体力が少しずつ衰えて、長時間歩けなくなってきた事、生きがいのように感じてた経理の仕事(彼女は79歳になった今も会社員をしている)の終焉を感じている事。それに付随して、少しずついろんな不安が出てきた事。
そんな話を不安げにするようになったし、目に見えて徐々に小さくなっていく母。

だから、一緒に住むという話も出てきた。
仕事を辞めて家にいる時間が長くなった時、趣味もなく友達もいない、社交的に見えて実は非常に内向的な母が、1人でいたらあっという間に認知症になるのは自明ではないかと。
認知症について明るくないのでこれも素人考えなのだけど、とにかく本人を含め、家族みんなそのことをとても心配している。

そして一緒に住むなら、それは当然私になる。姉妹のうち、独身でそれが一番容易な立場にあるのは私だけだから、無論そのことは以前から考えてもいた。

そりゃ、母も私も、それぞれの一人暮らしの自由さは失われるだろうけれど、それに変わるものもあるだろうし、悔いを残したくない。
特に違和感もない。不安もない。

そう思ってた。本当にそう思ってた。

4、毒親でもないのに親を好きではないとか、ある?

なのに、突如現れた、私がA3ノートに書いた「私、おかん、好きじゃないかも」これを自分であらためて読んで、私が最初に感じたのは

「毒親でもないのに親を好きではないとか、そもそもある?????」

という疑問だった。
そこでベタに検索した。
「親を好きになれない」とか「理由はわからない 親を嫌い」とか、そんなような言葉で何度か検索していると、愛されていると感じているのに親を好きになれない、という事で悩んだり、相談している人は、割と普通に存在していた。

しかしネットの結論が概ね「親も人間なのでそういうことはあります。適切な距離を取るのが良いでしょう。」のような「いやま、そうなんだけどね」みたいな話のみで、どうにも物足りない。

それでも、自分と同じような人がいるという安心感がまず最初にきた。
不思議だった。
つまりこれは私が「これぞという理由もないのに親を好きでないなんてそんなの自分だけだったらどうしようと思っていた」の裏返しということになる。
勝手なことを思っておきながら、その一方でやはり自分は親不孝者という少数派になりたくないのだと思う。

5、自分の気持ちと母の気持ち

さて、その「私、おかん、好きじゃないかも」という問いのようなものはその後、比較的すぐ、自分の納得いく流れになっていく。

シンプルにいうと、親には感謝しなくてはいけない。という思い込みに対する、自分を縛っている観念への拒否反応だと思う。

親に育ててもらっているのだから感謝しなくてはいけないというのは、我々が子どものころ、多かれ少なかれ、大人に言われたり、何かに書かされたりした、まさにあの刷り込みに他ならない。
性格的に、相手が何を望むのかを見るのが得意で、こともなくそれを言えるし書ける私は、むしろ求められるがまま積極的に親への感謝を表明してきた。
それに加えて私は、母に面倒をかけた自覚が多分にあるにもかかわらず、その母からはいつも愛情表現をされていて、加えて明らかに「妹よりも可愛がられ」て「現在独身」なのだから

あんたこれ、親孝行しないでどうするの、どれだけやっても足りないくらいでしょうよ。親の面倒を見るのなんて、当たり前すぎるくらい当たり前だろという理屈があったし、もうそういうもんだと思っていた。

いや、そうです。異論はないです。理屈では言われなくてもそうだよなと思っているし、よくよく考えても別に同居が嫌だということもないはずなのに、内省が得意な私はここで自分の心の奥の正直な気持ちにも気がついてしまうのです。それは

明らかにワクワクもしない

という事実。
いやそれ、どの口が言っとるんじゃ、という本当にわがままを超えて自分勝手な話ではあるのだが、そこをカッコつけて話しても意味はなく、ダメ人間を露呈するのは承知の上で書いているのだけど

母との同居に、少なくとも今は、理屈抜きの心からの喜びを感じることができない。ごめんなさい。
すみません。でもこれ、このまま同居したらかなりマズい。ただそこですぐ「同居しません」はちょっとまだ結論が早すぎるからしないけども。

ただ、今の段階で、まぎれもない、腹の底の自分がそう言うてましてね。
ほんまにどうしようもない奴ですよ、恩義も忘れて。

頭と心の乖離に、落ちこぼれの娘は罪悪感でいっぱいになるわけです。

(ここで私は、罪悪感でひとしきり悶絶する)

そこから時間が少し経って、ふと、じゃあ私が息子に「育てたんだから面倒見てよ」なんて思うだろうか?と、考えてみた、が
うん、そんなもの、1ミリもない。
私のことは放っておいて良いから、君は何処へでも自由に行ってらっしゃいとしか思わないし、そうとしか育てていない。
そして、私の母は実際どう考えているんだろうか、どう感じているんだろうか、自分の希望はあるのだろうか、その本音を聞いてみようと思ったんだ。
「一緒に住むかも」とか「住まないかも」とか「東京なのか」「大阪なのか」「認知症になる前に?」「様子見る?」「マンションは売る?」「貸す?」「住む?」って、母が衰えるからなんとかしないとねっていう前提でそういう話は充分にしていたけれど

もっともっと奥の深い部分、条件とか関係なく、本音はどうしたいのかっていう話をしたことなかったし、そもそもそんな大事なことを忘れていたわけで、私は母の気持ちを知っていたつもりで、実は想像でしか捉えていなかった。ということに気がついた。

母は、自分の気持ちを言葉にするのに慣れていない方だけど、私は、人の気持ちを引き出すのは得意な方だから、誘導にならないように最大限の配慮をしながら、母の、純粋な気持ちにアプローチすることにした。

6、びっくり

それで、ゆっくりと丁寧に本音を引き出した。母の本音、それは

「私、ここ(大阪)でこのまま一人暮らししたい」

だった。電話越しに、ずっこけるかと思った。
え、毎日することなくなるから辛いって言ってたやん。歩けなくなってきて不安、言うてたやん。てなったよね。

でも、どんな条件をつけることもなく、誰に遠慮することもなく、母の本当の気持ちを表に引き出したらそれは「一人暮らし」だった。仕事を辞めて、認知症になるかもしれないし寂しいかもしれない。日々、とても不便かもしれない。でも母にとって一番大事なのは「誰にも煩わされずに、自由でいること」だった。

その場にいないと空気感がわかりにくいと思うのだけど、いつも他人を気にして物を言う母には大変珍しい、嘘偽りのない、混じりっ気のない純粋な願いだった。じゃあ、もう全力でそれだよ。間違いないよ。
全くもって疑いようがなかった。
あとはそれをできるだけ安全な状態で叶えるために家族が動けばいい。

取り返しのつかなくなる前に手を打たねばだなんて、私たち家族のエゴでしかなかったわけだ。そもそもそれ前提で話を進めていたことが間違いだった、早合点だった。なんだ、そうだったんだー・・・

もちろん母の答えだって「今日」のもので、明日はまた変化するのかもしれない。実際に認知症になったら、体に何かあったら、放っておくわけにはいかない。
でもそれはその時に考える。

それにしても、人の、もしかしたら本人も気づいていない、心の奥にある純粋な願いって、もうめちゃめちゃピュアで凄い。
全力で叶えたくなる。

それと同時に私の罪悪感もなんか、ゲシュタルト崩壊というか、結構崩れてきた感じがしなくもない。
くよくよするより、母の願いを叶えるという仕事が先ではないかと思うからか、とりあえず遠くにやることくらいはできそうな気がする。

「母を好きではないかも」という言葉がなかなかの衝撃的なとっかかりにはなったけれど、基本的に、人が人を嫌い、または好き、というのは、恋愛なんか特にそうだけど、とても流動的なものだ。
好きな日もあるし、嫌いな日もある。天気とそう変わらない。
それが親になると「愛してもらったのだから愛するのは当たり前で、いつでも感謝すべき」という条件による意味づけと、自分への縛りが生まれたりする。

考えてみると、子は親を超えることなんてできないので、親への感謝に罪悪感を感じたとて、同じだけ報いることそのものが不可能ではないか。
チャラになんてなりっこない、たぶんもともと成立しないものなんだ。

7、罪悪感は優しさ

ここまできて、なんだかんだ私は自分に甘いので、自分はめちゃめちゃ落ちこぼれだけど、罪悪感を持つくらい誰かのことを考えているってことにならない? 悪くないじゃん、となった。
すぐポジティブに変換してしまう。

罪悪感って、過去に意識が向いているということだから。
今に意識を向け直して、明日からできることをしよう。

たぶん今日の私は、今日の母をとても好きだ。

終わり。

ポルカてんちょ

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