タキシード仮面が生まれるまでの過程の考察

皆さんは「美少女戦士セーラームーン」というアニメを知っていますか?
僕は知っています。賢いので。
このアニメの中に、タキシード仮面という変態が出てきます。綺麗なタキシードの一張羅を身に付けその上からマントを羽織り、顔には仮面、頭にはシルクハットという、Hなパーティーを見に来た変態金持ちとしか思えない格好をしているこのキャラ。
何を隠そう、このアニメのヒーローポジションであり、ピンチに陥った主人公たちを何度も助ける超イケメンキャラなのです。

では
そんなおいしいポジションについている彼は、なぜこのようなイロモノ枠としか思えないとんでもファッションをしているのでしょうか?
今回は、これを考察してみます。


①タキシードを着るということ

タキシード仮面の服装について考察するうえでまず注目したいのが、その名前にもついている「タキシード」。
タキシードのWikipediaを参考にしてみると
『現代では国や場合により国賓を招いた晩餐会から、気軽なパーティーなど、広く着用されている。』
という記述が見られます。
タキシードは礼服の一種であり、およそ一般的には悪者と戦う際に用いるものではないことがうかがえます。では、なぜ彼はタキシードを勝負服(比喩でなく)にしたのでしょうか?
再び、先ほどのWikipediaの記述に注目してみます。タキシードを着るのは『晩餐会から、気軽なパーティーなど』とされています。この記述とタキシード仮面の行動に齟齬がないように考えてみると、一つの結論に辿り着きます。
すなわち、タキシード仮面は敵との戦いをパーティーだと思っているのではないでしょうか。
そして、そう考えるといくつか納得のいく事項も出てきます。
まず、タキシード仮面は敵と戦う際に薔薇を投げつけるのですが、これも戦いをパーティーだと思っているからこそ行っているのではないでしょうか。普通に投擲武器で戦うのであれば、ククリナイフとかの方が良いですからね。
次に、タキシード仮面が登場した際に敵に聞こえるような高笑いを上げることです。あれも、パーティーであると考えているが故の目立ちなのかもしれません。普通に戦うのであれば、バレないように背後から一発かました方が手っ取り早いですからね。
以上の彼の行動から、なぜタキシードなのかという問いは、「敵との戦いはパーティーと同義だから」と結論付けられるでしょう。

②タキシードの上にマントを羽織る意味とは。

前述の通り、タキシード仮面はタキシードの上から自身の膝まで伸びる非常に長い丈のマントを羽織っています。タキシード仮面を名乗るのであれば、必要はないはずの、あのやけにバサバサとしてしまうマントはなぜ着用されているのでしょうか?
それはズバリ、彼がヒーローだからです。
某甘いパンの彼然り、全ての敵を一撃で倒してしまうハゲの彼然り、アメリカ生まれのスーパーなマンの彼然りと、ヒーローという存在は古今東西多くの場合においてマントを羽織っているものなのです。
であれば、例え変態伯爵のような見た目になってしまったとしても、本アニメにおけるヒーローであるタキシード仮面がマントを羽織るのは至極当然のことであると言えるだろう。

③頭部を覆う、変態アクセサリーの数々

最後に、タキシード仮面の頭部に着けられるシルクハットや仮面などのアクセサリーについて考えていきます。
このセクションにおける考察で大切にしたいのが、偽エロ伯爵もといタキシード仮面の心理状態です。
タキシード仮面はここまでの段階で、タキシードを着込み、その上からマントを羽織っています。この状態を鏡で見たタキシード仮面は自身の姿についてどう感じるでしょうか。
恐らく彼は自身の姿を見た際に
「なんか普通過ぎるな」
と思うはずです。
そもそも、主人公たち自体が「やけに丈の短いセーラー服に着替えて敵と戦う」という結構なイロモノ状態である中で、タキシードにマントを羽織っただけの美形青年ではあまりに目立たなすぎるのです。この時点では、ただのタキシードマンなわけですから。
であれば、そこに一発イロモノ要素をぶち込もうと、シルクハットと仮面を着けるくらいのことはするだろうと考えるのが妥当でしょう。
一方、ここで一つ新たな疑問が発生します。
それは「なぜ、シルクハットと仮面なのか」ということです。
イロモノ枠としての箔を自身に付けるのであれば、選択肢はシルクハットと仮面だけではないはずです。+要素を2つに限定したとして、例えば顔を白塗りにして扇子を持てば「タキシード平安貴族」になれますし、頭に鉢巻を巻いて刺身包丁を持てば「タキシード寿司職人」になれます。
ここで選ばれる装飾にはどのような違いがあるのでしょうか。
ここで、もう一度タキシード仮面という存在が生まれる直前に戻って考えてみます。普通過ぎる自身の姿を見た彼は、何か装飾を身に着けようと考えます。そこで、彼は益々自身の姿をよく観察するはずです。すると、彼の中にはタキシードがパーティーという概念を構築するスキーマの一つであるという考えがよぎるわけです。であれば、あとは簡単です。パーティーを想起する際のスキーマを並べていけばその中には、仮面やシルクハットという存在が出てくるはずです。
すなわち、タキシード寿司職人・タキシード平安貴族とタキシード仮面の違いとは、パーティーの中にあって違和がないかどうかという話に帰結するのです。


終わりに

美少女戦士セーラームーンは、しばしば所謂「戦う変身ヒロイン物アニメ」というジャンルにおいて草分け的存在として語られることがあります。
それ以前においては、戦う存在と言えば男性が主流であり女性は基本的には男性の協力者的な存在でした。
しかし、本作はこの男女の関係性が完全に逆転し、戦う女性キャラクターとそれをサポートする男性キャラクターという構図が完成するわけです。そのような特異な存在として生まれたタキシード仮面という存在は、非常に魅力の詰められた存在であると言えるでしょう。
我々は、これからもこの魅力的な彼を是非とも愛し続けていきたいものです。



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