今の社会は理性>感情?(7月度対話のテーマ:理性と感情)
お久しぶりです!ゆうかです🌝
試験やほかの予定などの関係で、前回からかなり久々の更新となってしまいましたが・・・皆様いかがお過ごしでしょうか✿
哲学カフェでは夏休み中に対話の開催を予定しておりますので、随時SNSのチェックをお願いいたします🌻!
さて、7月上旬、早稲田哲学カフェでは懇親会も兼ねて運営メンバー内で対話を行いました。
テーマはタイトルにもある「理性と感情」です。
今回のコラムではこのテーマに対する私の意見とともに、対話で出た考えも紹介させていただきます!
これまで私は、なんとなく「理性>感情」だと思っていました。
なぜなら、感情は自分の足を引っ張るもののように感じていたから。
感情は、私たちの予想や置かれている状況とは関係なく湧いてきます。
だから、周りの人にぶつけてしまわないようにとか、自分の進みたい方向の邪魔にならないようにとか、社会の文脈にあわせて理性でコントロールする必要が出てくる。
もし感情を全部投げ捨てた理性だけになったら、すごいフラットな無の境地になれるんじゃないか。
あれこれ考えなくてもスムーズに社会で過ごしていける気がする。
もちろん極端すぎる想像なのは分かってはいるけど、
それくらい感情をわざわざコントロールする行為って面倒だな~と感じていました。
ただ、もし理性しかなかったら自分がどこに行くのか分からなくなりそう。
理性自体には目的がないから、感情で方向づけしないと使えないのではないか。
対話を終えた後メンバーの皆さんからこのような意見をお伺いして、
感情も理性も両方とも人間には必要なんだ、と気づくことができました。☻
では、なぜ以前までの私は感情って邪魔だとまで思っていたのだろう。
対話では、今の社会は理性を重視して感情を排除しがちであるという意見も多数出ていました。
もちろん、社会でほかの個体と共存していくには個人の欲や感情をコントロールする必要は必ず出てくる。
ただ、最近は生産性を高めようとする科学技術が数多く登場したことで、
それ自体に生産性があるわけではない感情は二の次になっているのかもしれない。
また、インターネットの発展によって一時的な感情の放出が自分の首を大きく絞めるリスクが出てきたことも関係しているのかもしれない。
そういった社会で過ごしていたことで、無意識に「理性>感情」のイメージが染みついたのではないか?との考えが生まれました。
今私たちが生きている社会は理性を重視しがちな傾向があったとしても、
本来の人間は理性も感情もどちらも必要な生き物である。
こう考えることで感情に振り回されたり、抑えつけようと悩んだりすることから、少し解放されるかもしれない。
私は今回の対話の感想を皆さんからお伺いして、こんな風に思いました。
今回のコラムは以上となります!
読んでくださった皆様、誠にありがとうございました🌻
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