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特別な分岐点なんてない、変わっていくだけ(テーマ:出会いと別れ)

みなさんこんにちは!ゆうかです。

新生活を始める方も多い季節となりましたが、

皆様いかがお過ごしでしょうか?

早稲田哲学カフェでも、現在新入生歓迎イベントを企画中です😉

詳細は後ほどsns等で告知しますが、「友達(副題:出会いと別れ)」というテーマの対話を開催する予定です!

というわけで、今回のコラムのテーマは「出会いと別れ」です!ぜひお付き合いください🙌




「出会い」と「別れ」。

この二つの言葉は対立していると捉えられがちですが、

人間関係における変化を表すという点では、共通していると思います。

「出会い」は、ある人の存在を知ること。

「別れ」は、その人と物理的もしくは心理的に距離が離れること。

私はなんとなくそんなイメージでとらえています。

個人的な話にはなりますが、私にとって今年度は多くの人との出会いや別れがあった年でした。

例えば、就活や学内での活動を通じて、これまでは関わる機会がなかった年代や地域の方と話す機会が増えました。

実際に会った方のみならず、オンラインでの面接やメールのやり取りを行った方も含めたら、数え切れないほどの方と出会ったでしょう。

様々な人の考え方に触れ、生き方を見せていただく中で、

こんな風になりたい!と感じる方とたくさん出会った一方で、

自分とは大切にしているものが違うんだろうな、私はこうならなくてもいいかな、

という方にもたくさん出会いました。

一方で、入学当初からお世話になっていた先輩方が卒業したりと、印象的な別れもありました。

当たり前のように一緒に過ごしてきた場所に、彼らは4月からもう来なくなってしまうこと。

半ば唐突ともいえる環境の変化を、なかなか受け入れられない時間が続いていました。


「出会い」が前向きなイメージを持つことが多いのに対して、

「別れ」という言葉には、関係性の終わりを示すかのような後ろ向きなイメージがあると思います。

ただ、冒頭にも書いたように、両者とも人間関係の変化ということでは共通しているはずです。

ここで、シバノソウさんの「インターチェンジ」という楽曲を引用させていただきます。

曲の後半に、こんな歌詞が出てきます。

2人の言葉が減ってしまっても 2つの心はずっと動いてて
1人の時間が増えてしまっても 2人の世界はずっと続いているよ
いつかの関係が崩れても 終わりじゃない変わっていくだけ

出典 シバノソウ - インターチェンジ(Official Audio)

例えば、ある人と距離が離れてしまったとしても、「終わり」じゃない。

あくまで変わっていくだけ。

これまでと同じ距離で、その人から影響を受けたり与えたりはできなくなるけれど、

一緒に過ごした記憶は、互いがそれぞれの道を生きていくうえでこれからも影響を与え続ける。

だから、関係性が完全に終わるということはない。

私はこの歌詞を見て、こんな風に解釈しました。

他者との関係性の変化は、自分自身の中にも変化を及ぼすと思います。

例えば、他者との別れの際に、

「あの人がいなくなってしまって寂しいけど、私はこうやって生きていこう」とか、

「この人とはあまり関わらなくなってしまったけど、それは私にこういう考えがあったからかもしれないな」とか、

自分の意思をより明確にできるようになる、ということもあるのではないでしょうか。

一方で、「出会い」も同じように一つの変化として捉えることができると思います。

素敵だと感じる出会いも、変な人に遭遇してしまった…というような出会いも、

特別な分岐点でも、地獄の始まりでもない。

あくまで一つの変化にすぎない。

そこから生まれる「こんな風になりたいな」とか「こうはなりたくないな…」とかの、

自分自身の感情に注目することで、

より人は自分の軸を理解し、歩みたい方向にまっすぐ向かえるようになるかもしれない。

「出会い」や「別れ」は、

時に悲しみや苦しみ、不安、後悔、苦痛など、さまざまな感情を引き起こす。

ただ、一つの変化として捉えれば、完全にマイナスなものばかりでもないかもしれない。

私は、そんな風に思います。



ちなみに、コラム内で出した例や歌詞では、

「別れ」の対象はポジティブな思い出のある相手を想定していますが、

これがネガティブな思い出の強い相手との別れだとしたら、また意味合いが変わってくるでしょう。

このこともまたいつか考察したいと思います。

今回のコラムは以上となります!

読んでいただいた方、誠にありがとうございました(^^)v

哲学カフェの新歓活動もぜひお見逃しなく!

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