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長い間、桜が好きではなかった。

子供のころ作文を褒められて以来、マスコミ志望だった私にとってそれ以外の人生がある、ということについて考えたこともなかった。
2月から始まった就職活動。その界隈の空気にザラついたものを感じ始めた時から、もう気づいていたのかもしれない。セミナーや面接会場で出会う人種と自分はどこか違う、何かがおかしい。
OBと会ってもそこに自分の未来がみえなかった。

こんなはずではなかった。

麗らかな陽射しの中で桜が咲き始めようとしていた。

私は言葉が出なくなった。そして家からも出なくなった。

神戸にいた彼女はそんな私に呆れた目を向けた。
ある日、彼女の部屋に行くと、トイレの便座が上がっているのに気づいた。

もう、彼女も隠そうとはしなかった。長かった二人の最後の夜が明けた。

彼女は泣きながら私の手を引っ張ったが、最後には力なく離れた。
いつもより重くドアが、ガチャリとしまった。

葉桜となった並木を歩いた。忘れたようにひとひらの花弁が落ちてきた。もう、どこを歩いているのかもわからなかった。

そして桜が嫌いになった。

働き始めても、あまり桜を見に行くことはなかった。あの頃のヒリヒリとした痛みは、とっくに忘れてしまっていたのではあるが。

 4年前、コロナになった。第0波。まだ重症者が多くいた時。感染者を出した家に石を投げるような心無いことが平気で行われていた。
 一万人近い職員のなかで1番最初の感染者となった。職場は大混乱し、私は住んでいるところから遠く離れた海沿いの病院に1ヶ月隔離される。

 出てきた時には後遺症と鬱状態で会社に行ける状態ではなかった。結局、私は三ヶ月近い地獄を味わい、復帰した時には役職を解かれていた。
 しかし、不思議と私は明るかった。後遺症は残り、仕事のキャリアは何もなくなったが、妻との時間は増え、趣味の書は冴え渡り、たくさんの本を読んだ。給料は減ったが幸福感は増した。地位やお金が幸せとは関係ないことを知った。

 コロナになって一年、私は夜の公園を歩いていた。

ふと見上げると、

満開の桜

その向こうに、朧月夜

おもわず声にならない声で叫んだ。

おーい おーい 俺は、生きているぞ

その年からである。桜が嫌いではなくなったのは。


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