凋落する日本で国民民主とれいわへの愛を叫ぶ

改めて聞いてみたことがある。
私たちの選挙の投票先は自民党でいいのだろうか?
野党がだらしないから、そう言って現状維持でいいのであろうか?

お昼に500円も使えないから、パン2つで我慢するがお腹が減る。
旅行先として生きたところはたくさんあるが、予算の関係で選択肢が絞られる。
毎日疲弊しきったサラリーマンに囲まれて(おそらく自分も同じような目をしながら)通勤する。

恥ずかしい話、全て自分の話である。
日本でも経済的に成功している人がいるからこそ、SNSで見るような豊かな生活をできないのは自分の努力が足りないからではないか、そうずっと思っていた。

しかし、勉強していく中で気づいたことがある。それは個人の努力もあるが、国の政策が間違っているということだ。
本ノートでは極めて凡人である私だからこそ考えたこと・気づいたことを発信し、自民党に政権を任せてていいのかを問うてみたい。

願わくば、「給料が上がらないのも、欲しいものを手に入れられないのも全て自分が悪い」と思っている人にこの文章が届きますように。

選挙に行こうというキャンペーンに対して、私の周りの反応は冷ややかだ。
「いやいや、選挙なんて興味ないし行っても意味ないんじゃないの?」
「ただの時間の無駄じゃん、じゃあ土日遊びたいし」
気持ちはよくわかる…
しかし、私たちが現状を変えたい場合、暴力を除けば選挙か逃散しかないのである。

逃散という選択肢を考えてみよう。これは森永卓郎氏が著書『ザイム心理教』の中でおっしゃっていたことだ。税を下げろという「一揆」が起こる気配もない現在の日本では、高い生活費を賄うために、必死で働いて増税地獄の中に身を置く都市生活を捨て、田舎に逃避し自給自足に近い生活を送ればいいという主張である。

非常に興味深い主張ではあるが、三橋チャンネルの中で同氏はこうもおっしゃっていた。「夏は暑く、スイカやメロンは沸騰して爆発する」と。確かに税金を払い続ける生活も嫌だが、個人的には真夏の農作業を進んでやりたいとも思えない(そのため、農家の方々には本当に感謝している。

そうなると、選挙で変えるという話に帰着する。
ほとんどの人が投票権を捨てるこの国で選挙で変わる可能性が薄いのはわかっている。しかし、後戻りができなくなる前にたすかる選択肢は選挙しかないのである。
「そんなこと言ってもどの党が何を言ってるか全く知らない」
そう言った方もいると思うので、できる限りわかりやすく各政策の経済政策をまとめてみたい。
国民民主党代表の玉木チャンネルがまとめてくれているが、以下のような図になると思う。

出典:玉木チャンネル

一部玉木さんの主観が混じってはいるが、ある程度党の経済政策を正しく反映しているポジショニングマップであると思われる。
(個人的には立憲がもう少し緊縮な気がするし、れいわ新選組は国民の民主党と同じ第一象限に属していると考える)

私は、第一象限に属しており、今の日本に必要な経済政策を主張していると信じているからこそ、れいわ新鮮組と国民民主党を押すのである。

まず用語を説明し、次に日本に必要だと述べる根拠を説明したい。
積極財政とは、国家が積極的に歳出を増やして経済を活性化すべきという考え方である。一方で緊縮財政とは歳出を厳しく抑制すべきという考え方である。
金融緩和とは、お金を多くすることでお金の価値を下げることである。一方で金融引き締めとはお金を減らすことでお金の価値を上げる政策である。

日本の現状を考えてみよう。日本はこの前までデフレあった。デフレというのはモノの価値が下がり、お金の価値が上がる状況のことを指す。吉野家の牛丼などが全く値上がりしていない時期が長く続いたなどが状況説明としてわかりやすい。おばあちゃんがよく行ってたことがある。「昔(60年前くらい)は一日中1,000円くらいで映画館で映画が見放題だったのに、最近は一本1,500円とかだもんねえ」とこれがインフレということである。

改めてデフレとはモノの価値が下がり、お金の価値が上がる状況である。「え、安くなるのはいいことじゃん」と考える方がいらっしゃると思うが、端的にいうとこれはスーパー最悪な状況である。なぜならモノの価値が下がるということは、売る側から考えると安くしか売れないということである。そうすると当然雇用している従業員の給料を上げることなど夢のまた夢物語だ。だからこそ私たちの給料は30年間上がっていないし、基本的にはインフレを各国は目指すのである。

では、デフレの状況を脱するためには、どうすればいいのであろうか?あくまで理論上では、お金の価値を下げればいいのだからお金を刷りまくればいいのである。(金融緩和)実は日本はこれをすでにやっている。よく聞く「異次元の金融緩和」というのがまさにこの政策だ。しかしインフレの達成には達さなかった。

何が足りないのか、その答えこそが積極財政だ。お金を刷ったところで用途がなければそのお金は使われない。用途を与えることこそ例えば公共投資を増やしたり(道の整備など)、国民に配ったり(安倍政権での一律給付金)することが必要なのである。簡単に言えば需要を作ることが必要なのである。みんなの需要が増えれば、あなたの会社の製品を買うかもしれない、そうして売上が好調になれば、あなたのお給料は増えるであろう。あなたも増えたお給料で少し贅沢をするかもしれない。その贅沢は誰かの所得となるのである。こういうメカニズムを作ることができるのが政府なのである。

翻って今の自民党は何をしているのであろうか。岸田政権は口を開けば増税としか言わない。増税とは私たちの需要を減らす政策である。すなわち積極財政の真逆をいく、国民を苦しめる生活なのである。今の自分たちさえ良ければ将来の日本がどうなっても構わないと考えているとしか私には思えない。

愚かな政府は愚かな国民が作る。福沢諭吉である。私たちは愚かでないからこそ優秀な政府を作ることができる。無関心でいることができる時代はとっくに終焉を迎えているのではないだろうか。

#いいかも国民民主党 #れいわしかないわ

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