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山田君 不動産で世を渡る(プロになる)※平成バブル 丸源 5856

 ひょんな縁からKAWAI先生と出会った。
そのころ俺は新宿の不動産会社に勤務していた。
バブルの後片付け、先達たちが作った不良債権は、更生会社の簿価0円のくそ物件に生まれ変わった。
 大量にあるくそ物件は、売れば会社のキャッシュフローを良くした。債権者には申し訳ない。
 そのくそ物件をデユーデリ・リノベーションして売却するのだ。そのミッションの責任者に俺が任命された。
 驚くと思うが、参考物件として代々木のニューステートメナーのワンルーム。バブル時代に1億円で購入。エンドに売却した価格は1千万円である。
実に10分の1。
その他すぐに処分が難しい不良テナントの入ったアパート、安すぎる家賃の店舗物件、倉庫など種類は多岐にわたり「よくこんな物件を担保に金を貸したなあ」とつくづく思った。

バブル時代の不動産担保評価なんて、現地も見ないで評価した感じとしか思えない。

 俺は片っ端からデユーデリして物件資料を作成し、買ってくれるだろうと思われる最高価格の値付けを行い売却を進めた。
 主に仲介会社にマーケティングしてもらい販売価格を決め、仲介会社に客付けをお願いした。
 

 
 不動産買取業者は文句も言わずテナント入りのアパートなどを買い取ってくれる。立ち退き交渉得意な連中だ。
 不良テナント入りの物件を売却するうちに「物件を持ってる男」として多数の業者が俺のところに訪ねてくるようになった。

 ある時、都内の不動産会社の中年女性と商談した。その女性は旦那が大学教授で、なんで不動産やっているのか分からないほど不動産知識に欠けていた。あとで気づくのだが、それなりの人脈を持っていた。

その婦人が、今度俺に合わせたい社長がいるという。
なんでもOKの俺はすぐに了解した。数日後、信濃町にある小さい無名な会社の社長が大学教授婦人のエスコートで俺の会社に訪ねてきた。
老紳士であった。その場ではあいさつ程度で、よい物件があったらお互いにビジネスできるよう関係性を築こう的な感じで終わった。

 数日後にその社長が会社に来るようにとの連絡がはいった。どんな会社か興味ある俺は即答して会いに出かけた。大学教授婦人がいうには財力がある社長との事だった。なにか新しいことが起こるような予感にかられる気分になったのをはっきり覚えている。

この老紳士との接触が俺の人生に大きい影響と挫折を呼び込むのであった。



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