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自分のことを話す、ということ
自分のことを話すことって、普通に生きてれば結構あると思います。
いま私は大学生ですが、ここまで生きてきて幾度となく自分のことを話す機会がありました。
それは自己紹介であったり、自己アピールであったり、形式は様々です。
ところで、この自分のことを話す、という行為。
わりと私は好きなんです。
ただ、大抵の人は自分の話をしている時の方が人の話を聞いている時よりも楽しいので、気を遣って自重しているのではないかと思います。
度が行過ぎると「隙自語」(隙あらば自分語り)と言われるわけです。
なぜ自分の話をしている時の方が楽しいのでしょうか。
それはやはり、承認欲求が誰しも根底にあるからではないかと思います。
しかし他人の話として聞いていていちばんつまらない物が「自慢話」です。
ちなみに2番目は「見た夢の話」です。
自慢話をすることによって、自分の株を上げたい、と誰でも思うわけです。
私も思います。
承認欲求を満たすことが出来る1番手っ取り早い方法なのではないでしょうか。
そしてこの傾向は男性に強い、というのは言うまでもないでしょう。
男性は女性に比べて強く生きることを歴史上強いられてきました。
女性はその男性を支える役目を担ってきたわけです。
「かまとと」という言葉が女性から発生したことからもわかるかと思います。
ただ私は、私含め男性の方が自己主張欲が強い、とまとめてしまうのは少し野暮なのではないかと考えています。
女性だって自分の話をしたい気持ちは男性と同程度あるはずです。
ただそれを我慢できるかどうか、また如何に自慢と捉えられない話し方をするか、の能力の差ではないかと思います。
そんな気遣いが必要ない人が、心を許せる人、ということになるのではないでしょうか。
そして会話スキルが高い人は、自慢話と捉えられるような話を我慢する傾向にあります。
もしくは、自慢話と捉えられないように予防線を張ります。
しかし難しいことに、あまりこうした話をしないと逆に「自分の能力を隠す人」として卑しい目で見られることもあるのが事実です。
これはほぼ嫉妬に近いとは思うのですが、斜に構えるとこのように考えてしまう可能性もあります。
そこでバランスの良い「自分の話」というものは、受け答えをしつつ自虐を挟む、ではないでしょうか。
例えば就活中、TOEICの点数を聞かれたとしましょう。
あなたはTOEIC950点を記録しています。
これをそのまま伝えると、自慢と捉えられることはほぼないとは思いますが、もし相手が500点程度であった場合壁ができてしまいます。
そこで、「950くらい取ったけど、ぜんっぜん話せないし生活に生かせないんだよね〜」と不自然でない程度の自虐をすることで、距離を縮めることができるのではないでしょうか。
この例は自慢話とは違いますが、通じて言えるのは「見栄を張るな」ということです。
ここまで同年代のそこまで親しくない友人、というよくある対面を想定して話してきました。
しかし、自分よりはるかに年上の人に自分の話をすることがあります。
親は自分の話を気持ちよくできる対象ではないでしょうか。
親としては子の話は聞いていて楽しいはずですし、子もそれを理解しているはずです。
私は親に自分の話を全くしない子供だったので、何回も話せという風に催促されていました。
実家暮らしの今でも言われ続けています。
普通の家庭であれば、子供の自慢話を褒めてあげる親は多いはずです。
親としても子供の外での振る舞いを知ることが出来てwin-winの関係でしょう。
しかしこれが祖父、祖母の年齢の人達までいくと話は変わってきます。
これは私個人の意見ですが、お年寄りに自分の話をしてもあまり気持ちよくありません。
たくさん褒めてくれるにも関わらずです。
なぜでしょうか。
答えは2つあると思います。
ひとつは、若さを重視されているからのように感じます。
お年寄りが自分の話を熱心に興味深く聞いてくれる理由に、若さのエネルギーを摂取しているのではないかと考えてしまいます。
試合で1位になった話をしても、学校のテストで良い点をとった話をしても、聞き手の根底に「若いっていいね〜」という考えがあると認識してしまうと、私としては途端に冷めてしまうのです。
2つ目に、自分語りが挟まるからだと考えます。
この自分語りはお年寄りの場合、「アドバイス」として降り注ぐのです。
望まない「アドバイス」は誰からのものであれ、あまり気持ちの良いものではありません。
自分としては聞いてもらえるだけで十分なのに、そこに年の功からくるアドバイスをされてしまえば話の腰を折られてしまいます。
私も飲食関連で働く叔母に会う度に、「飲食には就かない方が良い」(※個人の感想)と言われ続けています。
しかし、こうした昔話も悪いことばかりではありません。
以前祖父と話していて、祖父の仕事に関係することで昔のガス関係の話が出てきました。
化学と世界史を齧っていたので話を合わせることが出来たのですが、その時はなんとも言えない快感がありました。
たまにこうしてカウンターを打つためにも、知識は必要なのかなと思います。
ここまで散々好き勝手にかきましたが、お年寄りを貶しているわけではないことはわかって頂きたいです。
なんなら私も気持ちが分かりますし、そのような歳の取り方をする気がしています。
昔はこうだった、、という話が快感なのは今の私にも分かりますし、歳をとったら若い人にそうした話をしたいとも思います。
結局私も承認欲求に従順な人間なのです。
というちょっとした自虐を挟んで終わりにしたいと思います。
稚拙な文章でしたが、ありがとうございました。
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