マジレスしたい

こんにちは。

「マジレスしたい」と思ったことはありますか?

私はあまりありませんが、世の中には多くの「マジレスしたい民」が存在します。

マジレスは、マジなレスポンス、ということで、冗談などに対して真面目な返答をするものです。

インターネット上では否定的な目で見られることが多いマジレスですが、何故そのように扱われるのでしょうか。

また、なぜ人はマジレスしたいと思うのでしょうか。

順序を逆にして、マジレスしたいと思う理由について考察したいと思います。

なお、以下で話すのは基本的に「インターネット上の冗談に対するマジレス」についてです。

ひとつは、引っかかったことを正さずにはいられないタイプの人です。

間違ったことに対して、それを訂正しなければ気が済まない人がいると考えます。

スーパーで、精肉コーナーに魚があったら戻したくなりませんか?

それと近い気がします。

決定的な違いは、利害の有無です。

精肉コーナーに魚があると冷蔵庫の温度が違うかもしれませんので、魚が傷んでしまうかも知れません。

精肉と思って間違えて誰かが取ってしまう可能性もあります。

冗談は魚とは違い腐りません。

その冗談で誰かが実害を被ってしまう可能性を考えてマジレスする人はほとんどいないでしょう。

そうだとしても、冗談で騙されるような人がリプライ欄を開いて精査するのでしょうか。

ふたつめに、自分の知識をひけらかしたい、という魂胆がある人です。

このタイプの厄介なところは、自覚がないことが多いということでしょう。

自分が知っている知識に関する冗談が来ると、条件反射で自分の知識と合致させたくなってしまうのだと思います。

知識がない人ほど自分の知識を見せつけたくなるのは、これまで生きてきて何回も肌で感じてきました。

「能ある鷹は爪を隠す」という諺がありますが、その通りだと思います。

「弱い犬ほどよく吠える」というやつですね。

次に、なぜマジレスが否定的な目で見られるのかについて考えたいと思います。

これはインターネット上に限らず、日常会話でも起こりえます。

最大の理由は、「話の腰を折るな」という一言に集約されます。

インターネット上のつぶやきにせよ、会話にせよ、その人のフィールドというものが存在しています。

そのつぶやきや話に反応する権利を自ら得た者は、そのフィールドでは展開者に従属している、と考えるのが楽でしょう。

楽でしょう、というより、円滑なコミュニケーションを行う上で最も簡単で最も有効な方法です。

フィールド展開者(話者)はそのフィールド内で自らの話を披露します。

特に議論などでもない場合、そのフィールドに属する人は話者の望む反応をすることで良好な関係を築くことが出来るでしょう。

しかしそこで侵略者がそのフィールドを荒らしてしまえば、場は崩壊してしまいます。

この侵略者こそ、冗談におけるマジレスです。

ユーモアを持って話す人はマジレスではなく笑いが欲しいはずです。

そこに斧と槍を持ってずけずけと踏み込んでしまっては、全てが終わりに持っていかれてしまいます。


ここまでマジレスに対して色々と書きましたが、もちろん全てが悪いわけではありません。

議論の場で間違った意見にマジレスをすることは必要です。

しかし、最近はマジレスが本来の使い方を失い始めています。

それが、人の間違いを訂正する時にマジレスという言葉を使うようになった、ということです。

某SNSのリプライ欄でもよく見かけたことがあるのでは無いでしょうか。

「マジレスすると、ふいんきじゃなくてふんいき、な」のようなものです。

これに関しては賛否あると思います。

時と場合によるとまとめてしまえば終わりですが、、

インターネットで人の指摘をするのは難しいです。

第1に、相手の表情などがわからないため、相手が本当に間違えているのか、冗談で間違いにしているのかが分からないためです。

第2に、その人が訂正を求める人がどうかが分からないためです。

会話では、人の間違いを訂正するレベルはだいぶ低いでしょう。

しかし、話者のフィールドがあるのは忘れてはいけません。

私は人の間違いを指摘しないタイプです。

なぜなら私がやられたくないからです。

言い間違えなどを指摘される時ほど恥ずかしいものはありません。

しかしこのタイプは、相手が今後違う相手に指摘されて恥ずかしい思いをする、ということを完全に無視しています。

最適解と言えるのでしょうか。

最適な方法は、相手が話し終えてフィールドを閉じてから、「そういえば𓏸𓏸って△△だよ」と優しく教えてあげることではないかと思います。

また私がよくやるのですが、相手が言い間違えをしている場合、さりげなく自分が正しい言い方をして気づかせます。

これも相手のフィールドに干渉しないため有効な方法だと考えています。

少し話がズレましたが、これらのことを全て「マジレス」と捉えることに対して最近違和感を感じています。

それはマジなレスポンス、ではなく訂正レスポンス、です。


余談ですが、「マジレスすると、」という言い回しが嫌いです。

この枕詞を用いることで、もし「マジレス乙」などと言われても「いやマジレスすると、って書いてるやん」と言い逃れすることができます。

「マジレスすると、」と書けば相手の話の腰を折っていいと考えていませんか?

確かに相手がマジレスを求めているとしたら私がとやかく言えるものではありません。

冗談に対するマジレスは求められていない限りしない方がよいものだと私は考えているので、しないに越したことないと思います。

男性が女性をデートに誘う時に、「今度一緒に遊ばん?笑」と最後に謎に笑う現象に似ている気がします。

もし断られても、あまり本気じゃなかったように振る舞うことが出来るので。


少し補足しておきたいのですが、私は話者のフィールドが絶対だとは思っていません。

話者のフィールド内で聞き手は従属する、と表現しましたが、あくまでそれは円滑にコミュニケーションを進めたい場合です。

人間のコミュニケーションは必ずしも円滑が至上とは限りません。

相手の顔色を見ながら会話をする方がいいこともあれば、そう出ない場合もあります。

そのモードを上手く使い分けることが出来る人が、コミュニケーションにおいて強いひとであると考えています。


色々と脱線しましたが、私がマジレスについて考えていることを書きました。

私は今後もマジレスをすることはないと思いますが、マジレスが否定的な目で見られなくなる日が来るといいですね。

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