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生きようとしていた私

いつも、自分自身の内側から始まる違和感が自身を脱皮させ、外側の変化がもたらされることで新たなステージの扉がばーんと開いてきました。そして、次の混沌が近づいてきていることを感じながらも、束の間に訪れる静寂の時間には、運命の輪を客観的に眺めては、サイコロを手に握ってニヤニヤしている自分がいたりします。

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屋久島から帰りたくなくて涙が止まらず、心に湧き上がるものを強烈に感じたあの日、平和でのんびりとした時間のなかで、守られてニコニコとそこにある女性たちと、「一万年の旅路」の叡智について語らい合い過ごすうちに、私のなかではすでになにかが動き始めていた。もう、走り続けて疲れ切っていたことを、私は私に知らせていたのに、すべてを無視して、まだまだ走り続けたのだった。

その後もこれでもかこれでもかということが起こり続け、そのうち、心がストップし、それでも思考でいろいろやろうとして、あがいていてもなにも変わらず、なにも感じず、なにもする気がおこらない。
ただ、自動操縦される日々が始まった。

そんな日々のなかで、のたうち回った挙句に新たに追加された機能は、あらゆるドロドロを光の世界へ返すお祈り。
息が詰まり、死んでしまうかもしれないとよぎった瞬間、浮かんだのは真言と祈りの歌だった。
封印していたドラムも久しぶりに手にし、まだ、生きようとしている自分に気づいたある日の明け方。

ヒーリングの方法はいろんな人が伝えようとしてくれたことだけれど、息がとまりそうになって、やっと、腑に落ちて、自分で始めることができた。
私を一生懸命に助けようとしてくれた人たちにものすごく感謝した。

焦燥感がでてきては息が止まりそうになる。
そんなときには自分を整えて光をむかえいれる。
私以外のエネルギーを光に返すため。
負のエネルギーを招き入れた私自身を光でつつむため。

自動操縦も悪くはない。
あの日、踊ろうと思わなければ、仕事を辞めることは考えもしなかっただろう。
あの日、失意の中で飛鳥へ向かわなければ、Yataの家に出会うこともなかっただろう。

「ただただ、喜びの中を生きなさい。」

言葉は繰り返し蘇ってはくるものの、芯から回復しきるまでは、大きな変化は始まらず、そこへいたる流れを、崩れた思考で少しずつ思い出しては整理しようとする、終わりがみえなかった日々。
心が止まっていても、身体はなんとか動き続けようとするが、最後には強制終了の時がくる。そうなると、もう、降伏するしかない。

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