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人生の伏線回収

人生には無駄なことはなにひとつないのだと思います。その時はわからなくても、ひとつひとつ、いつか伏線の回収をしていくような時がやってきます。

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20年ほど前、初めての失業の際、雇用保険で受けることができる様々な講座の中から、AdobeのIllustratorとPhotoshop、Flashを学ぶコースを選び、3ヶ月ほどスクールに通ったことがあった。

その時は、設計事務所で働きながら続けていた通信制の大学も終盤で、まだまだ若く、ソーシャルワーカーを目指しながらも、イラストやデザインの世界にも興味があったのでスクールに通うことにしたのだけれど、結局、イラストやデザインで仕事をするなんてハードルが高すぎて、その後、仕事として選択したのはソーシャルワーカーのほうだった。

その後の20年は、イラストやデザインのことは全く思い出すことなく、忙しい日々を過ごしてきた。5年ほど前から、さまざまな変化を迎え、気がつけばいま、Yataの家にいるが、都会に住んで仕事をしていた最後の1年ほどは、本当に心身ともに消耗していて、なにもやりたくなくなっていた。そんな時、なにもやりたくないけれど、絵なら描けるかもと、近所のアクリル画の教室に通い始めた。

私が通っていた幼稚園では、月に1回、1日中、絵を描いていてよい日があって、虚弱体質なのもあり、ほぼ不登園だったようだが、その絵画の日だけは楽しかったことを覚えている。教室一面にブルーシートがひかれ、瓶に入った大きな水彩絵の具のセットで自由に絵を描くことができた。記憶にはないけれど、二科展に入選した時の写真が残っている。ピンク色の髭でタバコを吸っている父の肖像画。

通い始めたアクリル画の教室の先生は、同じ年頃の、いつも個性的なピアスが素敵な人だった。ちょうどクリスマスの頃で、教材はボールに彩色するクリスマスの飾りだった。早くキャンバスに絵を描きたかったのだけれど、このボールへの彩色に意外にハマってしまい、ゴシック調の細かな柄を描き続ける私に、先生は「職人さんみたいですね」と、大笑いしていた。

その後、小さなサイズのキャンバスに、ドリームワークでみた、いつかの時代の私を描き、ガラス絵にはエジプトの神様セクメトを模写した。最後の大きなサイズのキャンバスの絵は未完だが、今見ると、Yataの世界観を描いている。星と鹿、そして、なぜか南国の花々。先生はなんでも自由に描かせてくれたが、下地や色の作り方や重ね方を丁寧に教示くださり、また、私の描きたいものの参考になるからと、古代の壁画や石像の画集をたくさん見るようにすすめてくださったりもして、私はどんどんアクリル画のとりこになっていった。

Yataの家に来て、「絵を描いて、毎日を過ごせたらいいのになぁ」と、その頃、呟いていたことが実現した。ひょんなことから、イラストとアニメ制作に携わることになったのだ。アクリル画ではないけれど、20年前に学んだ、とはいえ、ほぼすっかり忘れていた、Photoshopと Animate(Flashの新バージョン)を学び直しながら(いまは、Youtubeが先生だ)、今のところ、人権や平和、心理等にまつわるアニメ教材を手掛けている。20年ほどソーシャルワーカーとして実践してきた経験も活かせて、尚且つ、Yataの家にいながら創作活動ができるようになり、とても喜んでいる私がいる。

「ただただ、喜びの世界を生きなさい」
おそらく、ふとした瞬間瞬間に、喜びを感じることに手を伸ばしてきた。すぐに手放すことになったとしても、本当の喜びなのならば、またいつか、戻ってくるのだと、思うようになった。

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