逃げ足だけは、すごく速い



去年までの自分なら、多少嫌なことがあっても
「まあ、そんなこともあるだろうし」とおおらかなふりをして
敢えて自分では気にしないように努めていた

おおらかなのではない
我慢して、自分で自分に我慢を強いていた

気にするなんて、大人げない
心が狭い、と思われたら嫌だとか
軸はいつも、自分以外の他人にあって
一番大事な自分の心を誤魔化していたように思う

今の自分は
何だか嫌な気持ちになるなあ、と意識した瞬間に
その場に所属するのをやめる

誤解を解く手間も惜しいし
生まれてしまった嫌な気持ちは、たとえどんな説明があったとしても
元に戻すことはできないから

昔は、その場に敢えて留まり
間違ったことはしていない!と自分の正当性を主張した

今は、スッと
自然に消えることを選ぶ
逃げ足だけが、速攻、速くなった

先日、ある人から、
あなたは、得になるか損になるかが見分けられる、と言われた

言葉だけ切り取ると、とんでもなく利己的な奴だし
そんな狡賢く立ち回る人とは、できれば付き合いたくない、と
普通なら思うだろう

けれど、そんな自分を、うすうす自覚していたからこそ
改めて言われて、腑に落ちた
このままでも良いと、優しくない自分を許すことができた

ここにいると、自分が嫌な人間になるから立ち去る
この人から受け取る言葉は、心が痛むから近寄らない
無意識にそうすることで、自分を守っているのだから

そうやって生きながらえてきた
だからこれからも、心のセンサーを信じて生きる

取捨選択は罪ではなくて
生きていくための本能ならば、恥じる必要はない


今のわたし
逃げ足だけは、すごく速い








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