アルバスとスコーピウス

もう半年近く前にたった一度しか観に行けなかった斉藤莉生さんのスコーピウスの感想を残したくて、まだまだまとめられていないですが今あげさせてください。大好きだった気持ち、ファンの皆さんと共有できたらいいな。
締めの言葉、7月に書いたままどうしても変えられなかったです。


ハリーポッターと呪いの子 

2022年7月15日(藤原福山斉藤)


1.はじめに

『呪いの子』のみならずハリポタファンタビのネタバレ多数なのでご自身で回避してください!(『呪いの子』観た人でも友情って書くか愛って書くか迷うところで愛って書いてるので、地雷なら回避してください。)


マグルにも魔法って使えるんだなと思いました。タネも仕掛けも分からない演出ばかりで、あの舞台の上は間違いなく魔法界だった。ディメンダーが出てきたときの身の毛のよだつような感覚、ヴォルデモートに本能的に感じる恐ろしさ、何もかも、感覚だけは現実だった。



2.キャスト

藤原竜也さんのハリー・ポッターがとても人間らしくて、台詞回しも素晴らしかった!友達に「脚本だとハリーが結構悪者じゃない?」と言われたのですが、字面だけだと毒親のようにすら見えてしまうキャラクターを、ただ「彼もヒーローではなく、お手本となる父親像を持たない、子育てに迷う一人の父親なのだ」と思わせる、一人の人間としての説得力がありました。


ロンはどの世界でも明るくてまっすぐでハーマイオニーが大好きなロンで、ぶれないって強さだと思う(あと慣れ親しんだ映画のロンに近くて嬉しい)。嘆きのマートルも映画から飛び出してきたようでありながら愛らしさがあって、人間の身体能力すごいなという気持ちになりました。


榊原郁恵さん、かわいらしい方だと思っていたら、素晴らしい役者さんだった。最初は凛としたマクゴナガル先生すぎて全く気づかず、アンブリッジ先生になったところで「郁恵さん?あれ、もしかしてマクゴナガル先生も?」となりました(遅い)。


誰よりも何よりも、アルバスとスコーピウス!私の中での彼らは、割となよなよした少年たちというイメージができてしまっていたのですが、それぞれがとても魅力的なキャラクターになっていて、二人が二人でいるのは、いじめられっ子同士がなんとなく一緒にいるのではなく、互いに惹かれて一緒にいるということがよく分かった。特にアルバスは、その思い込みの強さはハリーを思い起こさせるような気の強さを感じた。スコーピウスは変わり者という感じが溢れていたけれど、優しさがそこかしこから伝わってくるようで、福山さんも斉藤さんも素晴らしかった!アルバスとスコーピウスはこれからきっともっとたくさんの人に愛されるキャラクターになっていくことと思うが、それは彼らが演じたからに他ならないはず。身も蓋もないことを言うけどほんっとアルスコのイメージを壊さない範囲の美少年をよく充てがったもんだと思います。



3. ファンタビ3感想

まずは、この作品をファンタビ3を踏まえて見ることができてよかった!

市販の脚本と比べてだいぶアルバス→スコーピウスへの想いがはっきりする台詞が足されていて、「暗闇を照らす光」とか、「僕にはスコーピウスしかいらない」とか、「スコーピウスは僕の人生で1番大切なんだ。これからもそうだよ」とか、クィアベイティングと呼ばれてもしょうがないのかもしれないけれど、J・K・ローリングは最初からこれが描きたくて、2016年にはまだ描けなかっただけなのかなぁと思う。ファンタビ3の存在はそういう意味では少なからず影響しているはず。


ファンタビ3、周囲が理解できないほどの才能に溢れた善良だけれど繊細な青年と、その善良さを利用したくせに誰より愛した青年の、一夏の恋のその続きを描いたアクションファンタジー映画だった…


というのが観た直後の私の感想です。(というか、あれを見てこういう解釈をする人間と思って以下を読んでいただきたいという表明。)

ハリーに「ヴォルデモートを倒す」という使命を自覚させ、背負わせ、死地へと一人で向かわせたアルバス・ダンブルドア。シリーズ7巻かけて描かれたのは、単なる愛情深く生徒を導く校長かつヴォルデモートに対抗できる頭脳と才覚、戦闘力の持ち主という姿だけではなく、自らが死へと導かねばならない青年との距離感に迷い、時には愚かな選択もし、「間違った人間を信用」してしまったこともあった彼の姿だった。

対してファンタビでは、またも飄々と指示を出し裏で手を引いて悪に対抗する、ハリー・ポッターシリーズ前半を思い起こさせるような出方をしていた。今度の敵はゲラート・グリンデルバルド。ハリー・ポッターシリーズの読者にとって、彼らが「より大きな善のために」をキーワードに心を通わせたものの、アルバスの妹の死をきっかけに決別し、やがてアルバスがゲラートを葬ってニワトコの杖を手に入れたというのは周知の事実。ファンタビシリーズでも因縁は大いに感じさせるものの、二人の関係がはっきりと語られたことはない。

そして、シリーズ3作目にしてついに明かされる「ダンブルドアの秘密」。作者の発言などから、アルバスがゲラートを愛していたことはファンの間では周知の事実だったように思うが、私は、何よりの秘密は「アルバスがゲラートに愛されていたこと」ではないかと思う。冒頭、二人がカフェで落ち合うシーン。人はあんなにも優しい瞳で人を見つめることができるのか。息を呑むほど美しいマッツ・ミケルセンが魅せるグリンデルバルド。正直3作目はマッツのゲラート以外考えられない。アルバスに「君を愛していたからだ」という台詞があるが、そんな言葉よりも雄弁に、彼は今でもアルバスを愛しているのだと語る瞳。

二人が何故惹かれあったかは、7巻を読めば十分だろう。才能に溢れているのに環境に恵まれていないと思っている青年が、初めて、対等に会話が成り立つ美しい青年に出会う。彼は自分を誰よりも理解し、そして、誰よりも愛している。どちらが先に惹かれたのかなんてことは分からない。分からなくていい。きっと、狭い世界で二人が愛し合うのは時間の問題だった。グリンデルバルドが慈しむと傷つけるを同時にできる人間であることは、ファンタビ3を観た皆さんならばお分かりだろう(麒麟かわいそうだった…)。彼にとって「情を向ける」という意味で同じことなのかもしれない。その危うさすら、恋に落ちた青年には魅力的に見えていたはず。悲劇を機に二人は袂を別つことになるが、私たちは知っている。ハリポタ界において、10代の恋は、初恋は、ほとんどが永遠に続くものであると(ジニー→ハリー、ハーマイオニーとロン、ジェームズ→リリー)。

ファンタビ3を観て、強烈に思い出したやりとりがある。(斉藤さんが好きなシーンとして挙げていて嬉しかった!)


アルバス「これほどの年月が経っても(リリーを愛するの)か?」

セブルス「永遠に(原文:always)」


「ハリーに情が移ったのか」というアルバスの問いかけに、リリーの守護霊と同じ雌鹿である自分の守護霊を見せたセブルス。アルバスは、彼を通してかつての恋人に問いかけていたのではないか。「今も私を愛しているか」と。だとすれば、この答えはどれほど彼を救ったか。私には想像すら及ばない。「愛していいのだ」と。「愛されているのだ」と。思う答えだったはず。セブルスはリリーの息子を、ゲラートはアルバスの秘密を守るために死んだ。この恋を永遠と呼ばずして何を永遠と呼べば良いのだろう。

この恋が、呪いの子では「大きな過ち」と呼ばれる。ハリーがアルバスにかける台詞である。「ダンブルドアだって大きな過ちを犯した。」それはきっと、彼がかつてグリンデルバルドを愛したことを指しているのだろう。当然だ。ハリーはいかに彼らが愛し合っていたかを、いかに人生に互いを必要としていたかを知らない。彼自身、「わしが人を愛すれば必ず傷つけてしまう」と語っている。

そうだろうか。その愛はグリンデルバルドを傷つけていただろうか。彼はむしろ、その愛のために生きていたのではなかったか。その愛はダンブルドアを傷つけていただろうか。仮にそうだったとして、彼はその出会いなしで生きていくことができただろうか。その夏、彼と出会わずに、その思い出なしに、生きることができただろうか。私はそうは思わない。



5.二人のアルバス

ハリポタ界において、名前とはその人の性質を何より示すものである。ジェームズ・シリウス・ポッターは、ハリーの父であるジェームズとシリウスのように、いたずら好きで少し意地悪だが、要領がいい人気者。ならばアルバス・セブルス・ポッターは、アルバスとセブルスの性質を引いているのであろう。ここで、アルバスに初めて寄り添う人間としてスコーピウスが登場する。彼はアルバスに、セブルス・スネイプが渡したのと同じ台詞を渡すのである。

「僕たちずっと友達だよね?」
「永遠に(原文:always)」

ダンブルドアとグリンデルバルドにアルバスとスコーピウスが重なるのは、2人を繋いだのが孤独、もっと言えば「自分を理解してくれる人がいない」という感情であるという点に他ならない。兄弟にすら理解されず、いじめられて、お互いしか理解者がいなかった。

5年の歳月で、二人の友情は危うさすら感じられるほどに深まっている。

学期が始まる前、ドラコの息子と仲良くなることを快く思わず、アルバスがいじめられていると聞いて心配して友達を作るように声をかけるハリーに、「僕にはスコーピウスしかいらない!」と返す。母を失ったスコーピウスに「僕とずっと友達でいて」と言われ、「もちろんだよ」と返す、その会話の声色の切実さ。お互いがお互いを必要としていることを隠しもしないその声。

けれどやっぱり英雄の息子と死喰い人の息子という立場はスコーピウスを傷つけていて、アルバスが自分の気持ちを少しも慮っていないことに気づきながらも友達でいて、八つ当たりのような言葉を向けられても怒り方すら優しかったスコーピウスが愛しい。思想に共感できなくても、それでも導かれるまま共に死地に向かったスコーピウスの愛があまりにも大きくて心を揺さぶられた。歴史オタクのスコーピウスには、アルバスには想像すらつかないホグワーツへの憧れがあったはず。ホグワーツ特急から降りる覚悟はきっと、アルバスよりずっと必要だったのではないか。それでも彼は列車を降りるのだ。

スコーピウスは当たり前のようにアルバスへの愛を言葉にする。(アルバスはなかなか素直に返さないけれど、そこがいいところ。)けれど、「(ハリーポッターより)君のほうがずっといい」という言葉をどれだけアルバスが欲していたかには気づいてなさそう。それでも、その言葉を選べるのがスコーピウスなのである。アルバス・セブルス・ポッターの、唯一無二の親友なのである。
アルバスとスコーピウスの間には、アルバスとゲラートの間に生まれたような恋愛感情が生まれるのかもしれないし、友人同士のままかもしれない。「スコーピウスが一番大切なんだ」と語るアルバスにも、ハリーやロン、ハーマイオニーが手にしたように、自分の命より大切な子どもが生まれるかもしれない。「ティーンエイジャーの頭の中なんて理解しようとする方が難しい。」私たちは、二人の関係が続くことを祈るばかりである。



5.(やっと)呪いの子単体での感想

とはいえ、アルバスも聡明で優しい子。ディゴリーの父は息子を蘇らせたいわけではなく、愛していると伝えたかったのだと、それさえ息子に伝えられればよいのだと、たぶんハリーには分からなかった。ダンブルドアにも分からなかったかもしれない。セドリックが「あなたのお父さんはあなたのことを愛してる」って言葉をしっかりと聞いてから亡くなっていたと思うと、涙が止まらなかった。

 あとドラコが愛し愛される経験をしていたところで泣くよね…そりゃあ泣く。

アルバスは父親が時に間違った愛し方をしてしまうと知って、それでも父親ってものが子供を愛していると知った。

納得いかなかった点をひとつだけ挙げるなら、セブルス・スネイプが別の世界線でヴォルデモートに殺されたことを知ったときの台詞のカット。「闇の帝王自身の手に殺されるのは、輝かしいこと、だろうな」は、スネイプが自分の意思で自分の人生を歩んでいたことの証明みたいな台詞だと思っていた。でも、「アルバス・セブルス・ポッターに伝えてくれ、私の名前がつけられたことを誇りに思う」に泣いた。彼の恋が叶った瞬間だったのかもしれない。



ずっとハグをするのはアルバスからで、思いを伝えるのはスコーピウスからで、でもどうしても素直な言葉は伝えられないアルバスを「新バージョンだから」って抱きしめるのはスコーピウスで、自分の気持ちを考えてくれないアルバスを愛し続けたスコーピウスが、アルバスの思いが昂ったときにするだけの物凄く一方的だったハグは「僕たちそういうんじゃないよね」って拒絶してたのに、冒険を経てスコーピウスから「そうしたほうがいい気がして」って抱きしめるのも、ハリーに「僕の人生で一番大事なのはスコーピウスで、これからもそうだ」って伝えるアルバスも、たしかに「新バージョン」だった。

スコーピオプリンスの世界線から戻ってきたとき、プールから上がるところですらハグしなかったのに!


「ローズとその宮殿でずっと暮らすの?」「?たぶんね」の後の両腕を掴んで何か言いたげにするアルバスが、ローズが来なければ何を告げようとしてたか気になるけれど、きっとハグで返したスコーピウスには分かってるんだろうね。


6.終わりに

「異性に対しても同性に対しても狂おしいほどの愛を歌う」シェイクスピア演劇の話を訳者の方がどこかで出していたはず。まさにこの言葉に尽きる気がする。

また観に行きます!もう一人のアルスコも気になるし、向井理ハリーも観たいし、何より福山斉藤アルスコがもう一度観たい!

背中預けあって舞台に立つ二人っていいなあ。

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