開かれたぶいちゃとその敵

カレーにソースもマヨネーズもありえないと思っているが実際に試したことはないので私がそれに感じている嫌悪感は結局の所異文化に対する恐怖でしかない

何かにおいて正解を決めるということはこの世に産まれ得る全ての可能性を同調圧力によって不正解にする危険性を常に孕んでいるのでカレーにソースマヨネーズをかけることに対する個人的嫌悪感とは別にソースマヨが存在する社会を許容しノンソース派を唯一の正解としないことこそが我々が到達できる唯一の合意点である


あるコミュニティから有害なつまらなさを持った人間を排除することは功利主義を考えれば正しい事なので批判できないように感じるが多数の側でなければ苦痛を感じるシステムというのは問題であると常々思っている
コミュニティの連帯が面白さに依存していると考えた時面白くない人間というのは文字通りコミュニティを破壊する有害な存在であり排除する行いは正当であるように感じるが同時にそれはあまりに全体主義的な判断ではないか
コミュニティの多数の幸福というのは少数の苦痛を無視してまで得るべきものなのか?そんなコミュニティに属するというのは息苦しくないか?自分自身の別の部位を排除していないか?
しかしVRCのコミュニティが基本的にはそのコミュニティ自体の面白さによって成り立っている以上面白さを上回る面白くなさを許容しようとすると面白さのみを維持しようとするコミュニティに敗北することは明白である


この話飽きたのでゴブリンキングってどれくらい社会的地位があるのか教えてあげます


えーとね






たぶん…

























税理士ぐらい

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