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ご近所さんの突然の訃報

昨日買い物から帰ってくると、一軒おいて南隣の奥さんが事故で亡くなられたと、お向かいの人から知らされました。

コロナの感染予防が叫ばれているこのような時期だから家族葬にするとも。

まだ若いご夫婦で二人のお子さんたちも幼稚園生や小学の低学年のはずです。(4月17日 追記:奥様、37歳。お子さんたちは4歳と6歳)

引っ越してこられてそんなに経っていないことや共働きで忙しくされていることもあり、接点がほとんどなく特に親しくしていた訳ではありません。

しかし、2か月と少し前に家内を亡くし今も心のリハビリ中の私にとっては他人様の̪死もこたえます。通夜や葬儀のときのことが思い出され辛くなりました。

突然奥さんに先立たれてしまったご主人の胸の内は想像に難くありません。幼いお子さんたちを抱えてこれからどうされるのだろうと思いをはせると胸が苦しくなります。

家内は死を覚悟してからも冷静に自分の亡き後のことに備えていました。例えば、私に遺そうとしたレシピもそうです。家の中のこともいろいろと教えてくれました、私ができる限り困らないようにと。

そして、今まで二人で歩んできた人生のことを、たくさん、何度もなんども話すことができました。二人で感謝しあうことができました。「幸せだった」と何度も言ってもらえました。二人で涙することもできました。

しかし、事故死の場合は何の準備をする余裕も与えられることなくその存在が消えてしまいます。これは不条理でしかありません。仕方ないこととはいえ、奥様にとってもご主人にとっても、あまりにも理不尽なことです。

家内の病気が見つかった時も、様態が急変して息を引き取った時も、私は混沌の中にいました。カオスです。

それでも、子供たちは成人であり社会人です。支えてくれました。

奥様を亡くされたご主人は小さい子供たちを抱えてとんでもない混沌の中にいると想像します。もしかすると、混沌状態だと認識する余裕もないかもしれません。

できることがあればお役に立ちたいと思いますが、今はただただ静かに奥様のご冥福をお祈りするだけです。

最後までお読み下さりありがとうございました。これも一期一会のご縁と思います。今後ともよろしくお願いいたします。