KAN様へ。4通目
KAN様へ。
KAN様が星へお引っ越しされてから、4ヶ月と19日くらいが経ちました。
(毎月12日の更新のつもりが月末に💦 音楽家なのに毎週、金コラ更新してたKANしゃまはすごい!)
3月になって、私はずっと読めなかった本が読めるようになってきました。
もともと、読書が好きなのですが
KAN様が遠くへいったことで、何も頭に入ってこず、読みかけの本は精神的に難解な内容のものだったこともあり保留になったままでした。
前回の記事から振りかぶります。
2月前半に行ったKANしゃまの地元、福岡は最高でした。なのにその後、2月後半はメンタルが相当不安定なことに。
それまで、少しづつ少しづつ調和がとれてきて、しあわせでやさしい気持ちが続いてたのが
過去のネガティブで攻撃的な自分に一気に戻ったようでどうにもコントロールができない状態でした。
先日、画家の友人にその話をしたら
ポジティブなことでも、とても心を動かされるようなことがあるとその反動があって、メンタルや体調を崩す原因となることがある、とのこと。なるほど〜。
自分的には、魂が次のフェーズへ入ったゆえの
揺り戻し、好転反応かと考え、そんな自分も否定せず(ネガティブやよこしまな考えを拒絶しがち)、受け入れて認めて許して愛して一緒に、ただ前に進もうという考えに至った頃には新月から満月を迎えておりました。
2月29日(木)。うるう年
前回2020年の2月29日が「KAN in the book」の発売日。
え。もう4年前が経過。勿体ぶって、まだ読んでません。
というのは、弾き語りばったりでもう一冊シオリ特典付きを手に入れてから、ゆっくり読もうと思ってたのですよ。ええ、本当に。
3月11日(月)
東日本大震災から13年が経過しました。
震災後、被災地応援に握手会へきていただいたのは存じておりました。当時の私はKAN様のLIVEにあわせて、ダイエットをしたり新調したワンピースやスーツで臨んでいたため、自意識過剰の私は
ずーたーぼーろぉーの今の、僕の姿は誰にも見せられやしない〜
ということで、素直に会いに行くことができませんでした。
その後、何度かチャリティLIVEに仙台へ来ていただいた際は、勾当台公園で遠くの方からしっとりバージョンのアイカツを熱烈凝視したものでした。
震災後、最も聴いていたのは「遥なるまわり道の向こうで」。
KANしゃまの曲の中ではめずらしく恋というより、人生について良いこと言っているなぁと、歌詞の意味を噛み締めながら聴いたものでした(失礼か
3月16日(土)
一年前の3月2週目の土曜正午(3月18日)。
午前中にワンクッションあり、正午に洒落にならないご報告がありました。
その時私は、自分にとっては清水の舞台となる仕事の当日でした。その準備のため、バンドライブツアー25歳の振替公演1月10日(火)、3月7日(火)に行くができませんでした。
これまでの人生は、万難を排してLIVEに参加してきました。今回は、社会的事業に携わる道を自ら選んだため、愛するKAN様のLIVEに馳せ参じるという選択をすることができませんでした。
※初日の横浜公演が見れたことが幸いでした。本当に大切な思い出です。
しかしながら、清水が済んだら、カルテットツアーが待っている。
KANしゃまに会える。
そのことを心の拠り所とし、不可能を可能とする努力をしてきました。
午前中のリハーサルを終え、お守りの薬を飲んで、後は午後から本番に備えるだけ。
洒落にならないご報告をいただいたのは、その時でした。
晴天の霹靂とは、このことでしょうか。
呆然としました。
この言葉を信じて、目の前にある清水の舞台へ飛び降りたのでした。
3月30日(土)
あの日から一年。昨年と同じ仕事を、今年もやり遂げました。
この一年は、本当に今までと全く違ったものとなりました。
あの日から、毎日みんながどうKAN様の言葉と過ごしてきたことか。
この一年は本当に驚くような奇跡がたくさんありました、感謝でいっぱいです。しかし、たった1年でこれまで生きてきたものとは、全く世界が違うものに変わりました。
KAN様、最後まで海より高く空より深い「愛」をありがとう。
これからも、ずっと一緒です。
では、股。
追伸:4月から再び、青山へ通います。
KAN様のおかげです。
北青山イメージ再開発は永遠です。
山積みの現実に毎日追われてるふりで
思い出は遠い日とうまく紛らわしてるつもりでいても
こうしてKAN様と向き合う時間を、これからもきちんと意識してとって行きたいものです。
ASKAさんのmoon、これから観ます。
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