こころをかき乱された経験

エヴァを観ていると、私にとっての恩師の言葉が思い浮かびます。



変化はウェルカム


人は、人と比べることでしか自分を知れない


人間には、yesかnoという二択でしか物事を判断できないから


別れ、出会い、それが自分を変えることができる絶好のチャンス


結果的にいい方も(見方を変えて)悪い方もどっちもハッピーだと思うこと



ズワイガニにとってのファーストインパクトってとこですかね笑


恩師のお話は、あの時の自分にとって、生きる力というか、パワーをすごくもらえたんです。

授業中に涙がおさえられなかった(笑)


あと、トラウマが癒やされた気がしました笑


そして、もう一つ。

エヴァとの出会い。



人が一人生きることの生々しさ、綺麗事はなし。


エヴァは、まるで聖書です笑


本物のキリスト教の聖書はいかに人間が罪深いかってかいてあるんですよね

いろんな人が出てくるんですが、もうみんなことごとく神様との約束を破る笑

聖書読んでて、ズワイガニは「え?、そんなことすんの?やめときなよ?」って思うとこがあったり、


そこはエヴァと似てるんですよ。


でも、キリスト教の場合、

人間(自分)の犯した罪のために無実の、全く人格が完璧な存在であるキリストが処刑される→でもキリストは、そんな処刑した私たちのこともゆるしてくれる


っていうストーリーが軸にあって


これで、いかに自分達人間が罪深いかわかったでしょう、だから洗礼を受けて罪を洗い清めましょう、神様を信じましょう

っていうのが、

ズワイガニはすごくむかつきますね。正直。


いったん話題をエヴァに戻しましょう笑

先述のように、エヴァは第壱話観たときから

なんでこんなシンジって、ネガティブなのか

なんでレイって、こんな無愛想なのか

なんでゲンドウってこんな冷たい父親なのか

なんでミサトってかっこいいのにどこか子供っぽいんだろうとか

なんでアスカってこんなに高飛車なんだろうって

キャラクターに引っかかって興味を持つようになる

それぞれの抱える心の闇を知るうちに

なんだかしょうがないなぁと思うキャラクターが大半で、

中には無意識にものすごく感情移入しちゃうキャラクターがいたり、


で、エヴァの魅力の源って、

聖書に出てくるキリストのような

完璧な人格者が出てこないとこなんですよね。


つまり、誰もが人間として対等に描かれている。

そこが、実際パーフェクトな欠点のない人間なんていない、現実世界のリアルさで好き。

追記 そんな生々しい世界で自分がどんなふうに生きていきたいか、主人公達が模索していく姿に共感できるということ。それに、立場上自分の上にいる人にも欠点はもちろんあって、それでも命令や指導には従うことの必要性。いかに他人の欠点を含めて他人を理解できるかっていうのもポイント

決定的なキリスト教世界との違い。

だからこそ、人間が生きることの難しさをすごくわかることができる。

(補足)

言い換えると、キリスト教のどこが嫌かっていうと、礼拝だけしてればいいのかっていうことなんです。自分は罪深いです、すみませんで終わりにしてしまうようなのが。自分の行動に責任を持たなくていいのをぎりぎり許容してる気がして。

エヴァはちゃんと、結局自分の意思で、自分の頭で考えることで、そこからはじめて自由になれるんだよっていうメッセージを感じるし、本当にそうだろうなと思います。(補足閉じ)


エヴァが一種の宗教じみているっていう感覚は確かですね笑


追記

仮に、エヴァのキャラを年代別に対比をしてみる。

彼らの人生を段階的に以下のように(簡略的に)まとめます。


思春期 シンジ、アスカ…愛情不足の幼少期(誰からも自分を認めてもらっていない感覚が強い)→世界を救う役割自分が変わる必要が発生

30前後 ミサト、(リツコ)…親への怒り(復讐心)と愛しさ(許したい気持ち)の葛藤をかかえながらもがいている              

親以降   ゲンドウ、冬月…失う(った)ことの恐れ→自他を巻き込む自滅の道を選ぶ


まず、主人公が①なのでひとまずこれは置いて。

②は、①の被害者っぽいところがある。

ミサトの父親は、外界との関わりを絶って、家庭の役割から逃げていた研究者だったので間違いない

③は、、、年的にもう十分生きてきたことだし、思い通りやらせてもらうよっていう諦観もあるような笑 人を傷つけることが怖いというよりも、自分が傷つくことの方が怖いっていうのが顕著ですよね。人生で負ってきた傷が大きすぎて。とくに、ゲンドウは息子に対してもあんな態度ですから、人と付き合って幸せだった経験って奥さん以外ないだろうし。冬月は研究者だったのでミサトの父親タイプかもしれない。いわば①からずっと抜け出せない人達かもしれない。


人を傷つけることが怖いっていうのは、本質的には自分を傷つけることが怖いってことなんじゃないのかな。

1.人を傷つける人間は価値がない→自分が人を傷つけた時、自分の価値もなくなる、と思い込んでいる。つまり自分の価値を人の評価を基準にしてしまう

2.また、仏教世界で自他の境界って曖昧だとかいう話を以前、河合隼雄さんの本で読んだことがあってそれっぽいことでも思うんですよね。一言で言えば感受性の問題でしょうか(仏教について調べよう)。

3.人を傷つけて人から嫌われることが怖いから人と関わらない方がマシっていうのもありますよね。


また、親との固執にどこまでとりつかれるのかっていうリアルさ。

①、②は完全に親との関係によって悩まされていますし。

親から逃げ出すことと、なるだけ理解しようとした結果距離を置くのは別物。

というか、そもそも親が苦手な子供にとって選べる選択肢はこの二つだけなんですよね

前者は圧倒的に、後者より自分にとってすごく重荷に感じるんじゃないでしょうか。(ミサト達の②がそう)

そうなんだけど、他人を理解するってどこまででも果てしないもの、、。

加持さんがこんな感じの台詞言ってましたね笑


どうしてこの物語でミサトが輝いているのかというと、

②のミサトが①を導くからじゃないでしょうか

ミサトが大人になりきれていないのは、親との固執をし続けているからだと思うんですよね、なんだか。

ここまで書いてきて、今一つ思ったことがあります。


生きている人間が一番リアルなんだと。


むずかしいですねぇ。。。

ではまた。笑



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