理解不能なプロダクトほど、人を惹きつける。

理解不能さは、魅力的だ。

恋愛だってそう。

相手が今自分のことをどれだけ好き分かったら、
(ときメモでいうところの入学初日に話しかけてくる親友ポジションの奴。電話番号やその子の好み、その子を落とすのに必要なステータス、果てはスリーサイズまで。)

相手に惹かれるのだろうか。
まだ分からない、もっと知りたい、どう思っているんだろう?
という理解の不能さこそ、好奇心の源泉となり誘引される。


最近、色々な会社の研修について勉強している。

実際の研修資料を拝読すると、なんと素晴らしい。

めちゃくちゃ分かりやすい。

行動ベースに落とし込まれていて、
具体的に何をやればいいかが分かりやすい。

でもそれはどうしても一部分にしかならない。

ある趣の現代アートのように、一見すると何を伝えたいか分からない。
というところに深みがある。

ただ、適当にやったものに、それっぽい意味づけをしているものもある。

ではなくて、本質さが垣間見える。
何かを感じる、伝わる。

深さが欲しい。

あえて理解不能さをデザインしておくことが、奥行きになる。

分かりやすく伝えてもいい、でもそれが理解不能になるまで、
プロダクトを追求することって大切。

そんな風に感じた今日この頃。

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