体力とお仕事の「今こんな感じ」

 あまり深刻な話ではないです。……いや、困ってはいますが。うーん。でもどうなのかな。困ってる……というより、戸惑っている、ありゃまーという感じ。
 いやでもこれ、「困りたくない」「悩みたくない」という、「ここから先は深刻」ゾーンの手前で「わたしは大丈夫よ~」と踏みとどまりたい、そんな感じかもしれないです。
 ことの始めは2021年11月末にお姑さんが亡くなったところから。実際にはそれより数ヶ月早く、スタートを切ってましたが、商業のお仕事を休んで本格的に夫実家の片付けに取り組もうと決めたのは、お姑さんのお葬式のあとでした。
 で、そこから、今年2023年3月末に取り壊しが始まるまでの一年と四ヶ月、日曜日と、最高気温が28度を超える日以外毎日、十軒長屋の端から端まで詰め込まれたガラクタやガラクタじゃないものの片付けにいそしんだわけですが。
 片付けが終わった直後の4月5月はまだ動けたんです。この時、A社さんとB社さんからお仕事再開されるならどうぞとご快諾……多分……をいただき、A社さんのほうはプロットから初稿着手OKまで、このあいだにするするっと進みました。あとから思えば、これが非常にラッキーだった。
 で、この4月5月のあいだに、娘の結婚が本決まりとなり、新居への引っ越しがあり、片付けの片付けをしつつ、その手伝いがあり……そこそこいそがしかったですが、この頃はそれほど苦ではなく、こなせていました。
 そしてA社さんの初稿に本格的に取り組みだした6月。楠田は異常な眠気に襲われるようになりました。
 8時間、そこそこぐっすり寝て、それなのに、起きる前からもう眠い。眠いと思いながら起きて、それでもなんとか朝食をすませ、家のことを片付けたら、もうダメです。起きていられない。朝寝です。
 起きます。昼ご飯を食べます。眠いです。昼寝です。起きます。ほんの少し原稿をします。眠いです。でももう夕飯の支度をしなければ……。夕飯を食べます。ダメです。眠いです。お風呂も入りたくないですが、そんなわけにはいかない。よたよたしながら入浴したら、朝も昼も寝ましたが、もう限界。夜も寝ます。原稿は一日数行進むだけ。
 あまりに常に眠すぎて、車を運転するのも怖い。
 これはまずいと漢方薬のお店に駆け込んだのが6月半ば。
 補中益気湯という、「気」が足りてないからまずはそれを補いましょうね、という漢方を処方され、それから毎日、30分ずつ煎じて飲んで。
 一週間ほど飲んだところで一日一回の昼寝だけで普通に起きていられるようになり、原稿もできるようになってなんとか初稿を仕上げることもできました。漢方すげえ。
 その後、漢方飲みながら、改稿二回もクリアでき、B社さんとネタ打ち合わせや、プロットの前段階のやりとりもこなせていたんですが……。
 だましだまし……だったんでしょうか。とりあえずA社さんの原稿が仕上がるまでは気を張っていたんでしょうか。改稿にOKをいただいた7月末からぱったり……なにも浮かばなくなってしまいました。
 あちゃぱー。
 なんの擬音でしょうか。
 ……ググってみました。正確には「あじゃぱー」といい、昭和の流行語だったそうです。その後、平成にはいってからも「かいけつゾロリ」で使われていた……なるほど。
 でも「あじゃぱー」じゃなくて「あちゃぱー」なんだけどな。
 ニュアンスとしては「あーあ、困ったことになっちゃった」でしょうか。あ、やっぱり困ってるんだ(笑)
 物語や文章がなにも浮かばないだけではなくて、これは猛烈な眠気に襲われるようになってからずっと、とにかくやる気が出ないという状態でもありました。草ぼうぼうの庭に出る気も起きない、夫実家から持ってきて、面倒な洗いや始末が必要な物にもさわれない、大好きな洋裁をする気にもなれない。さらには本当になにも浮かばなくて、B社さんとのやりとりも止まってしまいました。その状態で、本格的に自分の状態を悲観せずにいられたのは、おそらくこの時期に「陳情令」にハマったおかげだと思います。
 新しい沼は深くて、滋味豊かでした……。
 言い訳じみますが、感情をドラマであちらこちらに振り回してもらえることで、ひたすらに沈み込むことがなくてすんだ感じです。
 そしてTwitterでも。「やる気が起きない」という泣き言に対して、「片付けが大変だったから」「疲れですよ」というお言葉をたくさんいただきました。ありがとうございました。
 あの程度でこんな状態になっちゃうなんて、自分、どんだけ情けないんだ、と少々自責に走りかけていたので、「あの片付けでは疲れが出ても無理はない」と、展示会にいらして現場をご存知の方に言っていただけたのは、本当にありがたかったです。
 そして8月末に、二ヶ月半飲み続けた漢方が切れ、もう飲まなくても大丈夫かなとそのままにしていたら、三日ほどでまた朝から眠い状態に……。
 なんかもう、自分の体力気力のなさに打ちのめされた思いで漢方を再開して数日。
 忘れもしない9月5日。朝からあった喉の違和感、夜になって上がりだした熱。翌日、薬局で買ってきてもらった検査薬で見事に出た「陽性」線。
 わたしより数日早く「喉がおかしい。頭がうすら痛い」と言っていた夫と、わたしが発熱した二日後に「喉がおかしい。頭がうすら痛い」と言い出した息子は、結局、「喉がおかしい。頭がうすら痛い」だけで始まって終わったのに、わたしは高熱三日、その後ツバを飲むのもつらい喉の痛み三日、ほぼ丸一週間、ベッドから出られない状態が続き、症状が消えたあとも一週間はなにをしてもすぐ疲れる状態でした。
 なんか……超低空飛行でぎりぎり飛び続けていたところにコロナで、ああわたしは飛行機じゃなかった、地を這う虫さんでした、ごめんなさい……みたいな気持ちになり……。
 やる気が出ない、どころじゃない。ご飯を作らなきゃ、と思うだけで泣きたい気持ちになるという、やばいやばい、ちょっとあんた、とにかく休んどきなさいな状態に。
 ここで自責や、無理に動くほうに舵を切ったら、おそらく年単位でやばい状態になるような気がしました。とにかく「動けない自分」をまるっと受け入れて、やりたいことだけやれていれば満点ってことにしないと、と。
 とはいえ、心中おだやかな時ばかりではなく。
 こんなに長く「物語を作る」ことから離れていたのは高校時代以来な気がします。
 誰かさんがあんなにガラクタを溜めなければ……あんなひどい状態にしなければ……と、恨みにも似た気持ちが湧いて、素直にお仏壇の前に座れないこともありましたし、なんの罪もない夫の笑顔に、「おまえはなにも犠牲にせずにのほほんとしやがって」と気持ちが荒ぶることもありました。
 でも、です。でも、片付けるって決めたのはわたしなんですよね。
 夫は「片付けなきゃいけないのはわかるけど、無理じゃない? でも業者を使うのは絶対いや」なスタンスで、息子は「親ががんばるなら手伝うよ」なスタンスで、「無理じゃない。業者入れたくないなら、自分たちでやるよ、ほら」と二人を引っ張ったのはわたしでした。
 自分で決めたことの結果なら、自分で引き受けようや、なあ?
 というわけで、動けない状態をヨシとして、今はとにかく気力体力が戻ってくるのを待つことにしたわけですが。
 あとはゲラを待つだけのA社さんのお仕事は年内に発売のお知らせができるかと思います。その後は……今はB社さんも白紙の状態です。本当の意味でお仕事に復帰できるのがいつになるのか……あせるとよくない気がするので、今はあせらず、とにかく待とうと思います。
 そして、久しぶりの参加を楽しみにしていたお庭。
 ごめんなさい。今はイベントの準備も旅の準備もつらくて。
 会いたい方々はたくさん、本当にたくさんいますが、今回はお休みすることにしました。
 楠田のスペースに行くぞと思ってくださっていた方々には、本当に申し訳ないです。お気持ち、ありがとうございました。
 そんなこんなの楠田の近況と状態でした。ここまでお読みいただき、感謝です。

*超久々に、まとまった量の文章書きました! た、楽しい……!
 いや、楽しい内容じゃないのに、なに言ってんだ……。
 でもまだちゃんと、こうして文をつづることができて、変な話、ほっとしました。
 ふい~(^^)


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