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ふあん諸々。

不安というのは何層にもわたって存在しているのだと実感する。

最初は、嘘だ、信じられない、なんで教えてくれなかったのとか。

私のこと好きだと思ってたのに、とか騙された、とか浅はかで傲慢な考え。それを恥じる気持ち。
そして、じゃあ一体いつから?あのときは?と答え合わせが始まる。知らずにいた自分がばかみたいで、軽んじられていたみたいで。
別に教えてもらわなきゃいけない関係性でもないけど、そこそこ打ち解けてたつもりで居たから。
私のこと意識してたから内緒にしてたんじゃないか、とか自分勝手な思いが出てきて、そんな勘違いが恥ずかしくて、遡ってビンタしたい気持ちになる。

その後、私だけを見てよ!とか、他の人を選ぶなんて許せない!とかいうコドモみたいな自分の叫びに気づく。
そもそも最初から相手は自分のものではないのに。
こちらに気を引きたくて、はぐらかしたり、ちょっかい出したり、なんか色々無意識に小細工してたことに気づく。恥ずかしい。
そこから過去の恋愛について振り返る。


いつも目の前にいる好感度高めな異性(だいたい2人)を、付かず離れずで引き寄せておくのが好きだった。
決定的なことは起こさない、だけど確かに憎からず思っているよね、と確認できる距離感。
呼んだら来てくれる、だけど一線は越えさせない。そうやって振り回すのが好きだった。
決定的な言葉を口にするのも、それ以上の関係に踏み込むのも怖かったのだと思う。
言葉にすると本当に幼くて恥ずかしいけれど。
最初はそれで満足だった。
幼稚で狡い女だった。

その関係性がずっと続けばいいけれど、どこかで私の中に焦りが生じる。
ふわふわと泳がせてくれるのは大抵対照的な2人だけど、あるときそのどちらかを選ばなくてはならないような強迫観念に駆られる。
いま掴まなければ。はやく私のものにしなければ。
標的になるのは攻略しやすそうな1人。素直で裏表がなくて、人に好かれるタイプのほう。
狙いが定まったら、頃合いを見て私から一歩踏み込み、そこからメンヘラの恋愛が始まる。
あんなに私に夢中にさせてたはずだったのに、いつからか振り回されてないがしろにされるのが当たり前になる。
それでボロボロになって憔悴する私を、遠くから見ているもうひとり(私が遠ざけたほう)に気づいて、こんな地雷踏まなくてよかったと思ってるだろうな、と自虐する。
でもそれでいい。その方が優しくしてもらえるから。自分が安全圏にいる方が、人は他人に優しくできる。
もしかしたら選ばなかった方のその人が、私が本当にそばにいてほしかったひとなのかもしれない。
でもそんなことはもう遅くて、あとはただ蟻地獄のような苦しみでよくわからなくなる。
私が、本当は何がほしかったのか、何を間違えてしまったのか、いつも途中でわからなくなる。
人が絡まない選択なら間違えないのに。
自分ひとりで決められることなら覚悟できるのに。
人の感情が絡むことは、いつも恐怖と不安と紙一重で、正しい選択がわからなくなる。

そうして、メンヘラも板についたある時、遠巻きに見ていたもうひとりにもいつか彼女ができたことを知る。
そして私は一丁前に傷付く。
そもそも最初から、その人は私のものなんかじゃなかったのに。
そんなことはなからわかってたのに。
その人に「選ばれた」彼女を見ながら、私がこうだったらよかったのかな、とか、こういうとこが駄目だったんだろうな、とか自己否定を始める。
そもそもその人は、最初から私の何でもなかったのに。
何も求めなかったのは私なのに。
一丁前に、自分が「選ばれなかった」気がして鬱になる。

私はもしかしたら、私が選ばなかったという事実によって、意図的に相手を傷つけたかったのかもしれない。
そしてその傷でもってその人を縛ろうとしていたのかもしれない。
それがどの程度功を奏していたかなんて、今となってはわからないけれど。
そんなややこしい真実に気づくのも、それからずっとずっと後のことで、私はその後も長らく、自己愛まみれのメンヘラ道を突き進むことになる。だいたい20代の大半は費やしたんじゃないかと思う。


…盛大に話が逸れてしまった。
ここ数日の私の身に起きたことは、ただ、「数年間お世話になったリハビリの担当さん(異性)が知らん間に結婚してた」というたかだかそれだけのことなんだが、そこからこんなにも遠くまで思考と感情が広がってしまった。
想像(妄想)力が豊かなのも考えものだ。

そんなこんなで、散々勝手に傷ついたような気がしてみたところで、過去からの自分の浅はかさと幼さを一気に思い出し、恥ずかしさでのたうち回るとともに猛省して、冷静になり今に立ち返ってふと思った。

あのリハビリの彼は、もしかしたら(もしかしなくても)この上なく誠実な人かもしれない。

思えば、自分が患者さんと関わるときも、自分の話は極力しないようにしてた。けどだからといって相手を軽んじていたわけではない。
大事に思うから、境界線は自分で引いて、あくまで相手が主体になるように気をつけてきた。
自分の話をすることで、関係性が曖昧になることを恐れたとも言える。治療者でいる間は、自分という存在は鏡に徹するべきだと思っていたこともある。

そう考えると、きっと彼は私の時間を私が主役になるように、ベストな関わり方をしてくれていた。彼は彼の「仕事」を立派にこなしていた。だから安心して任せられたのだ。
今まで、境界線を踏み越えてくる相手ばかりでうんざりしていた私だから、親しみやすくかつ適切な距離を保って、誠実に関わってくれる施術者は本当にありがたかった。
今まで女性の施術じゃないと無理だった私がここまで長く安定してお世話になれたのも、あの人が担当してくれたからだと思う。
これは改めてすごい出会いだった気がする。

ひとしきり感情が出尽くして、凪に近くなると、じんわりとした感謝の気持ちがあたたかくあふれだす。
私が欲しかったのは、振り回されてくれる人でもなく、夢中になってくれる人でもなく、ただ安定して誠実に関わってくれる人とのつながりだったのだ。
そこに異性とか同性とか、最初から関係なかったのかもしれない。
私はただ、条件付きでない愛情を、愛ある関わりを求めていた。
互いの状況が変わっても、時にはすれ違ったり傷ついた気がしたり拗ねたような気持ちになっても、長い時間の中で確かに紡がれていく絆というものを信じたかった。
そんなものが存在することも知らなかったのに、心が、魂がずっと求めていた。
そんなことに今さら気付いた。
枠組みを介してでも、職務を介してでも、関わってくれる人がいるって有難い。
枠組みを超えて関わってくれる人、関わろうと思える人は、まだ見つからないけれど、小手先の駆け引きでは手に入らない何かを、30代半ばにして私はやっと学べている気がする。

前はわからなかったけど、こんなことがあるなら、歳を重ねるのも悪くないな。


さて、目下の不安はというと。担当さんの結婚で私のこれからに影響はあるのか?ということ。
だって異動とか転職とかでまた担当替えとか絶対やだもん…!
やっと安定してきたのに…!

あとは、結婚したことでその人自身が少しずつ変わっていって、これまでのような関わり方ができなくなったらどうしよう、ということ。
こればっかりはどうしようもないけれど、結婚相手の意向?か何かで、それまで仲良かった人とある日突然絶縁状態になったことがあるから、嫌でもナーバスになってしまう。
でも私にできるのは、今まで通りリハビリに通うこと。自分の人生に集中すること。目の前の相手と誠実に関わること。
そして彼のこれからの旅路がよきものであるよう、願うこと。それだけ。

青天の霹靂から、凪に戻るまで数日。
相変わらず、いちいち大げさだなーと自分に苦笑するけど、おかげで一皮剥けた私になれた気がする。
まだまだ体は安定しないけど、いつか彼が違う道に進む日が来ても、笑顔で送り出してあげられるように、これからもリハビリがんばるのだ。

もっともっと素敵になるからね!
見ててよー!!

そしていいかげん勉強しろっ笑
…がんばりまーす。