言い訳

言い訳をさせてもらうと、私は憎まれるべき人間だと思っていた。

ひとを傷つけて、罵倒して、完膚なきまでに打ちのめして、そうして自分が同じレベルで憎まれることでしか、対等にならないと感じていた。
私が存在する不条理は。

文字にすると全く意味不明だが、当時の私には本当にそれが真に迫るたったひとつの信条だった。
ただここにいることが堪らなくつらくて、自分で自分を責めるだけでは足りなくて、人に裁いてほしかった。
死刑になりたいから人を殺したという犯人と同じ理屈だ。
とばっちりに遭う側からすれば、迷惑以外の何者でもない。
それもわかった上で、ただひたすらに刃を振り回した。
私を憎み、私に憎まれて、一緒に死んでくれる人が欲しかった。

支離滅裂だと言われても、そんなことは百も承知で、私が一番おかしいと思っていた。
だから余計に死にたかった。
許されたくなかった。
優しくされればされるほど、そうじゃないと切りつけたくなるし、優しくする余裕なんてなくなるくらいまで追い込んでやらないと気が済まなかった。
私に向けられる優しさは、すべて不適切なものとしか思えなかった。
だから、適切と思われる位置に、私が憎まれる場所に戻せれば、それで満足した。
傷だらけで、血と涙でぐちゃぐちゃで、ぼろ雑巾のように擦り減ってしまっても、そっちの方がしっくりきた。
それが私の「納得」で、
我ながら異常な精神状態だった。

その当時、私が傷つけた人からの報復が、今になって返ってきているとしたら。
勝手ながら、私はとても恐ろしいと思う。
以前はあんなに、罵られればほっとするような感覚すらあったのに、
今の私は、ぬるま湯に浸りすぎて、否定されることを心底恐れている。
大好きなひとに、嫌われることは、こんなにも恐ろしい。
でもそれが、かつて私が無限に繰り返してきたことだ。
どんなに言い逃れしようとしても、できるものではない。
言い訳しないでください、って、他ならぬ私自身が言ったのだ。
だから私は、この事実を、自分が犯した過去を、正当に、真正面から受けとめるべきだと思う。
言い訳でも正当化するでもなく、どうすることが真っ向から向き合うことになるのか、まだ少し判然としないけれど、
いまこれが浮かんできたということは、向き合うべきときで、向き合える私になれているということだから、
逃げずにじっくり受けとめようと思う。

少しこわいけど、自分を追い込みすぎずに。
自分と自分の大切なひとを、自分を大切にしてくれるひとを、本当に大切にするとはどういうことか。
これを機にしっかり考えようと思う。

いつもありがとう。
やってみます。