うたを

おやすみしてみました。
来月から半年、コロナを言い訳に。

なんだかんだで10年続けたレッスンだから、なくなったらどうなるのかなぁと少し不安になりつつも、
どこかほっとしている自分にも気付きました。

毎月のレッスン、お月謝そこそこ払っているから、行かなきゃ損なのだけど、忙しくなるとつい先延ばしにしてしまったり。
忙しくなくても、ボーカルスクールのあの独特の空気感に、合う自分に切り替える気力がなかったり。
歌いたい曲が見つからなかったり。
先生のテンションについていけなかったり。

そんな日も、えいやと重い腰を上げて、ひとたび教室に入ってしまえば、気が重かったのが嘘みたいに、楽しく歌って帰れたりして。
気づかなかった色んなことに目を向けるきっかけになったりとか。
色んなことがありました。

それはそれで貴重な空間だったから、かけすての保険みたいにレッスン料を払い続けても、無駄だとは思わなかった。
(休校制度ができたのを知らなかったからもあるけど)

今までは。

いまは、何が変わったのか、変わりつつあるのか、よくわからないけれど、とりあえず「私」が目立つ為の歌は歌いたくないんだな、と思った。
かれこれ10年、「私」の存在を主張するためと言っても過言ではないほど、必要不可欠な場だったけれど。
今の私にとって、そういった意味合いは薄れつつあるんだなと気づいた。

歌を介さなくても人と関われる自分に気づいた。
歌を媒介にして人を遠ざけていたことを知った。
それがあれば、それ以上は、私自身に踏み込まれないで済むから。
長い間、歌は私を守ってくれていた。

必死で「私」を叫びたいはずなのに、本当の私は知られたくなくて、日常とは違う「私」になりたくて、自分でも何がしたいかわからなかった。
ただ、周りと一緒じゃいやだった。
特別扱いされるのもいやだった。

歌は、私の一部で、この世を戦い生きていくための武器のようなものだと思っていたけど、実際は、無防備な私が現実に晒されないための鎧だったのかもしれないと思った。

その証拠に、ずっと何者かにならねばならないような恐れが常に潜んでいた。
何者でもないと思い知ることを極端に恐れる私がいた。
だから、自分から境界線を引いて、それ以上踏み込まれないようにした。
歌うときは、医者の世界を。
仕事のときは、歌の世界を。
代わる代わる隠れ蓑にして、なんとか世間を生き抜いた。
みじめな自分に気付きたくなかったし、気づかれたくもなかった。

でも、そんな鎧はもう要らないのかもしれないと思った。
私はとっくに世界の中にいて、私と人とを隔てる壁は、最初からないのかもしれないと思った。

だから少しだけ、手をゆるめてみたくなった。
ずうっと握りしめていた、恐れや不安、他にも色々あるけど、
「歌う私でいなければ」という焦り。
強迫観念にも似たその思いを、一度手放してみたくなった。
今ならそれができる気がした。

歌う私を手放して、それがこれからどうなるのか、私にも誰にもわからない。
やっぱり必要だと気づいて、新たに向き合い始めるのかもしれないし、案外ないならないでしっくりきて、いつの間にかたくさんの中のひとつに馴染んでゆくのかもしれない。
それは明日の私に任せるとして、今はがんばった自分を褒めてあげたい。

10年間よくがんばった。
歌からも自分からも、逃げずによく向き合った。
えらかったね。私はあなたを誇りに思うよ。
少し、ゆっくりしようね。
いつもありがとう。
大好きよ。