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A子さんと京都移住~双京構想の裏にあるもの~

敬宮様の石川訪問を喜んでいましたら、
石川は昨日朝から線状降水帯により大雨特別警報が出て、川も氾濫するなど
災害が起きているようです。どうか、皆さん命を守り、ご無事で、
この危機を乗り越えられますよう祈ってます。

ラブは昨日の夜は、私のベッドには来ず玄関のキャリーケースで眠ってました。どうしたんだろう?自立した?私を寝かしつけるのが面倒になった?
(ラブは、寝かしつけてあげてると思っていそうです)。
まあ、そんな日もあるわよね。

昨日は三笠宮記念財団の成り立ち、A子さんが関わるようになった経緯、皇族の不透明な資金管理の問題について書きました。

今日はA子さんが現在拠点にしている、京都との関わりを中心に書こうと思います。

A子さんと京都をつなぐキーワードは「日本美術史」でしょう。

A子さんは2010年にオクスフード大学博士課程を修了し、
「日本美術史」の博士号を取っています。
これに先立ち2009年には、
京都立命館大学衣笠総合研究機構博士研究員に公募で就任し、日本文化研究班に所属。データベース化作業を行ってます。
これが京都との縁の始まりです。

【2012年4月より2014年12月までに依頼し、宗教法人慈照寺研修道場美術研究員に就任している。

2012年4月、発起人代表として心游舎を設立し、翌2013年の一般社団法人化に伴い同法人の総裁に就任。

2012年4月1日より2013年3月まで、立命館大学衣笠総合研究機構の特別招聘准教授を、2013年4月から2014年3月まで、同客員准教授を務めた。5月1日からは法政大学国際日本学研究所客員所員も務め、文部科学省国際共同に基づく日本研究推進事業欧州の博物館等保管の日本仏教美術資料の悉皆調査と、それによる日本及び日本観の研究に従事し、ドレスデン美術館ポーランドに出張した[10]

2012年5月より法政大学国際日本学研究所(文部科学省国際共同に基づく日本研究推進事業欧州の博物館等保管の日本仏教美術資料の悉皆調査とそれによる日本及び日本観の研究)の客員所員に就任。

2014年4月、京都市立芸術大学芸術資源研究センター特別招聘研究員、併せて同センター客員教授に翌年4月から就任した。

2015年(平成27年)4月より京都産業大学日本文化研究所専任研究員として勤務している】              ウイキペディアより

2009年からA 子さんは京都とのかかわりを持ち、
2012年から白足袋族の有力者、京都仏教会理事長である
有馬頼底氏(相国寺・金閣寺・銀閣寺住職)とかかわってます。
有馬氏はN国とかかわりが深い方でチュチエ思想の方です。
2012年は心遊舎立ち上げたり、父親の寛仁殿下が亡くなったりと、
お忙しかっただろうと思います。

心遊舎の立ち上げには京都の有力者の後ろ盾が必要だったでしょうし、
一般社団法人後の寄付金集めにも、後ろ盾は必要です。
有馬氏との接近は、そうしたA子さんのために上皇の紹介であっただろうと思えます。
                        

この頃、上皇は生前退位を考えており、
頂上会義で皇太子を皇位継承から外すことを考えていた時期で、
皇族の中に男系男子派を握っておく必要もあったと推察しますよ。
三笠宮家は男系男子派でしたし、A子さんは父親と同じ考えでしたからね、

心遊舎の一般社団法人化は、当初からの目的のように思えます。
面白いのは、2017年、事務局本部が大阪という事です。

【2013年4月1日、「一般社団法人心游舎」として一般社団法人化[3]彬子女王を総裁とし、本部所在地を京都府八幡市の石清水八幡宮内とする[4]
2017年、事務局本部を大阪府大阪市中央区南船場とする[5]
2019年4月1日、ウェブサイトをリニューアル[6]。京都事務所を京都府京都市中京区とする。】            ウイキペディアより

活動主体が京都なのになぜ大阪?

推測ですが、トルコの三笠宮記念財団がトルコ政府に認可を受けたのも2017年です。非公式に、私的にたびたびトルコに行く必要があったのではないでしょうか。関空からは直行便がありますから・・・

さて、A子さんが京都に完全に住居を移し住むようになったのは2018年です。
よく母親との確執と言われますが、母親との確執は2003年ころには表面化し寬仁殿下が亡くなった2012年には、当主を誰が務めるかなどで揉めています。

下の記事は、2012年有馬頼底氏に
母親と10年会ってないと話したという、親子の確執を書いたものです。
注目していただきたいのは確執の年数や、
皇族であるA 子さんがプライベートのことを話すほど、
有馬氏と親しかったという事です。
1ページ目を読むだけで充分だと思います。
この記事は、A子さん側からの話で構成されていますから・・

大学には2009年から務めていたのに、
9年もたった2018年から移住をすることになったのは何故でしょうか?

因みに白足袋族が双京構想なるものを立ち上げたのは2010年です。
上皇が身近な方に生前退位を漏らされるようになったのもこの頃です。
また、美智子様提案で頂上会議が持たれ始めたのが、2011年夏と女性自身には書かれています。
               

私は、この双京構想は上皇の生前退位と関係があり、
その目的は当時の皇太子様の移住を念頭に置いたものだと思いますよ。
当然、頂上会議では京都移住や、
当時の皇太子さまの天皇即位辞退を迫る話し合いがなされていたのではないかと推察します。

2017年6月9日に生前退位が国会で承認され、
今上陛下が天皇にご即位されることに決まりました。

A子さんが2018年に移住した裏には、皇太子の移住を諦めていない
当時の天皇方の思惑があったように思えてなりません。
また、A子さんの動きは当時の天皇方とリンクして見えます。
その一つが女性宮家です。

やはり今日も書ききれませんでした。

明日は女性宮家の動きとA子さんの京都移住について、さらに迫ってみたいと思います。

今日はここまで

      今日も読んで頂きありがとうございます。❤️

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