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『ホテル・イミグレーション』感想

 入管。入国管理局。このことについて私はほとんど知らなかった。
 贔屓にしているカンパニーの名取事務所が、好きな劇作家の1人である詩森ろばさんと組んで入管を扱う。これは見に行かなければ! そう思って足を運んだ。
 日本で外国人の難民認定が降りる確率は0.7%だと言う。困って申請する人が1000人いたら7人しか認定が降りない。EUでは入国管理局に収容されても半年と上限が定められているが、日本は無期限に収容ができる。HPに掲載されているような食事は与えられない。出てくるのは腐ったごはん。まともな医療も受けられず、心を壊していく。シャンプーを一気飲みして死のうとする人、排泄物を壁に塗りたくる人、処方された睡眠薬をこっそりためている人。収容所は夜通し誰かの叫び声が聞こえると言う。

 柴田春江は外国語支援団体に所属し、子どもの頃から住んでいる大きな家でカンボジア人のヤンさんと暮らしている。非正規滞在者(不法滞在者とは全く別)は働くことも家を借りることも図書館カードを作ることもできない。支援団体を通して支援者の家に住まわせてもらう。そこに離婚を機に10年離れて暮らしていた息子・祐一が突然家出してくるところから物語は始まる。
 ヤンさんが祖国カンボジアを出なければならなくなったのは政府に抵抗したからだ。もちろんテロを起こしたわけではない。平和的なデモに参加しただけでも捕まって命の危険にさらされる。それが今のカンボジアだと言う。独裁者ポル・ポトの後、民主主義を掲げて政権を握ったフン・セン大統領も今や独裁者となり、多くの一般市民を虐殺しているのだ。そのためヤンさんはカンボジアへ帰ると命の危険がある。日本に亡命してきたのに難民認定が降りず、居場所がないのだ。
 この作品が丁寧だと思うのは、何も知らない観客と同じ立場で入管に関することを素朴な疑問や差別感情も交えて聞いていく役回りがあること(この手法に名前があった気がするが忘れた)。
 春江の同級生で親友の知子は、春江のことを心配してヤンさんと暮らすことに反対していた。そんな知子が春江に押され、支援団体の中心である杉浦弁護士と収容されているクルド人の夫を持つ水野さんを交え、ヤンさんと初めて話をする場面で、自分の中の差別を浮き彫りにされた。大学まで進学する人がほとんどいないカンボジアで、ヤンさんは大学を出てITの会社に勤めていたエリートだった。そのヤンさんに大袈裟なジェスチャーと片言の日本語で話しかける知子。
 身に覚えがあった。私もアルバイトなどで在日外国人と働いたことが何度もある。その時に何故か相手の話し方に同調して子どもに話しかけるような話し方をしてしまうのだ。知子以外の登場人物たちはそんな話し方はしていない。知子がヤンさんを対等な人間として見ていない証拠だった。そして私も。日本語が流暢に話せないと日本語が理解できないんだと思ってそんな話し方をしていたんだと思う。でも日本語がすらすら話せないからって頭が悪いわけじゃない。理解することも自分で考えることもできる。反省した。今まで関わった在日外国人の人たちに申し訳なくなった。もうこんなことはしない。

 春江とヤンさんは平穏に暮らせているわけではない。町内会長の後藤はヤンさんへの悪意の象徴だ。「ご近所の皆さんから苦情が来るんですよ」「あんたみたいな外人がいるだけでみんな夜中不安なんですよ! 特に若い女性は!」から始まり、春江にも「独り身で寂しいからって50にもなって若い外国人を家に連れ込んで」などと酷い言葉を浴びせる(作中では感想に書くのもはばかられるような本当に本当に酷い言葉もあった)。ひいてはヤンさんの散歩を尾行して罪をでっちあげ、警察に通報しようとしたりもする。ヤンさんにとって警察沙汰になることはまた入管に収容される危険性のあることだ。
 終盤、そんな町内会長・後藤の息子が飛び降り自殺をしてしまう。ヤンさんを追い出せと書いた紙をばら撒きながら。息子は13年間引きこもりで、父親である後藤は彼に「お前の価値は隣のカンボジア人以下だ」と酷い言葉を浴びせていた。その差別感情が息子を追い詰め、死を選ばせた。
 詩森ろばさんのコメント「マイノリティが生きづらい社会は、マジョリティも生きづらい社会だ」の通り、マイノリティへの差別が日本人男性というマジョリティの後藤の息子を苦しめ「最悪」を引き起こしたのだ。
 事件の後ヤンさんは身の危険を承知のうえで、カンボジアに帰ることに決める。報道規制にあっている祖国の友人たちにフン・セン政権がやっていることを伝えるために、カンボジアのニュースを集めたSDカードを持って。「日本は酷い。心を殺して死んだように生きるくらいなら、自分の命に意味があったのだと思って死にたい」そうヤンさんは言う。しかしヤンさんが生き延びる未来は絶望的だろう。祖国の入国管理局で止められるであろうことは容易に想像できるし、ましてや与党に不都合な情報を持っているのだから見つかれば命はないだろう。それでも祖国に帰るほうがマシだと言う。日本で生きるより死ぬ方がマシ。

 そんなことを言わせてしまう日本の入国管理局。酷い。自分も何かしなくては。物語が進むに従って観客はそう思うようになる。でもその正義感は本当に持続可能なものなのか。ラスト春江の台詞が問いかける。
 「私は誰でも良かったわけではなくて、ヤンさんに来てほしかった。ヤンさんと面会して色んなことを教えてもらううちに、この人から学ぶことが沢山あると思ったから。ぜんぶ自分のためにやらないと、面倒を見てあげてるとか日本に住まわせてやってると思ってしまいそうだったから」
 安易な正義感を恥じた観客は私以外にもいるだろう。この作品を見てどう思うか、どうするかはそれぞれの自由だけど何かしたい、力になりたいと思うならよく考えてからだ。
 「私が何人もいればいいけど私は1人しかいないし、1人でできることは限られているから。他にも色々ある中で私は外国人支援がしたいと思った」
 それぞれが自分のできる範囲で無理をせず、自分のやりたいと思った支援をする。それが広がれば世界は少しずつ良くなるはずだ。今の日本にもうダメかもと思うことは沢山あるし、世界には理不尽なんかめちゃくちゃあるし、政治もひどくて将来の生活も不安だけど。自分にできることはないかって寄付したり署名したりして誰かの活動を応援することはできる。そうやってなんとかやっていくしかない。

 さて、春江の息子の家出の理由は父親の後妻に性暴力を受けたことだった。突然キスをされたところを父親に見られていた。すると後妻は祐一に襲われたと嘘をついたのだという。「キスをされた」と祐一がやっと話してくれた、その場面で客席の一部からクスクスと笑い声があがったことが残念で、だけどそれこそがこういう演劇を見る意味だと思う。笑ってしまった人も「そんな酷いこと。ありえない! よく話してくれたね」と春江が祐一を抱きしめる姿を見て、全くもって笑いごとではないことを分かってくれたらいいなと思う。

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