母と私

私は子どもの頃、母を喜ばせたくて嘘をついていた。

晩御飯を作る母の背中にむかって話す学校のことは

だいたい6割が嘘だった。

残りの4割も事実を膨らませて膨らませて話をしていた。

私が道化になってふざければ、母はケラケラと笑った。

私は母との沈黙が怖くてマシンガンのように喋り続けた。

母と出掛ける際は、道中の電車の中での話題を何日も前から用意したりもした。

ただ、勉強は全然できなくて、だらしがなかったので毎日怒られていたし、兄弟の中では嫌われていたと思う。
それに関しては母には申し訳なかった。

本当に息を吐くように嘘をついていた。

話を盛ってしまう癖は未だに抜けない。

それが25年以上続いた。

母を笑わせることが私の中で大事じゃなくなって

家をでて一人暮らしをはじめた。

皮肉なことに、私が家をでてはじめて母は私に執着してくれた。

実家に帰ると、

私に道化になることを求めた。

(実家に帰らないでいると、母が一人暮らしの部屋に突撃する恐れがあるので年に数回は帰るようにしている)

けれど私は母を接待することはやめた。

沈黙することを恐れ、母を楽しませるために漫談することをやめた。

話す必要がなければ黙った。

TVをぼーっとみていた。

母は戸惑っていたように思う。

いっぱい話しかけてきた。

今まであれほど話しかけて欲しくてピエロになってたのに

ピエロじゃなくなったら、話しかけてくれた。

少し泣きそうだったけど、淡々と返した。

それから適度に距離をおいて付き合っている。

昔よりは穏やかに付き合えるようになった。

母は少し寂しそう。

もっと一卵性親子みたいに頻繁に長電話とかしたいみたい。

でも私はこのままの距離感でいたい。

実家に帰って、一人暮らしのマンションに戻るとき

母は必ず手料理をタッパーに入れてたくさん持たしてくれる。

私はマンションに着いたら真っ先にそれを捨てる。

親不孝な娘だな、とつくづく思う。

母は20代前半で私を産んだ。

はじめての子どもだった。

大きな大きな夢と希望をもって私を育てた。

私はその夢を破り、希望を打ち砕いた子どもだった。

母の夢と希望は下の兄弟たちがいくつか叶えてくれた。

感謝している。

これからもきっと、私は母の夢と希望に背いて生きる。

親をがっかりさせるのは、いくつになっても辛い。

でももういいんだ。

別に期待に応えなくていいんだ。

そう思うようにしている。

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