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拝啓 市街地ギャオ様

拝啓 市街地ギャオ様

第40回 太宰治賞 「メメントラブドール」受賞おめでとうございます。

まずはわたしの話ですが。
あなたは、わたしの作品が誰の目にも触れる予定のなかったころから、第ゼロ稿からずっとずっと寄り添ってくれていた人です。

あなたは、わたしの全ての作品を本当に愛してくれて、大切にしてくれる人です。お互いに同じ時期に小説を書き始めて、ああだこうだと常にくだらないことを言い合い、楽しいことも悲しいことも数え切れないほど共有してきました。

あなたがいなければ、今のわたしはいません。


あなたはプロの作家になりました。わたしはそれは当たり前のことだと思っていて、正しい人が正しく評価された文学の世界は捨てたもんじゃないと改めて思いました。

あなたはプロの作家になったのに「一番尊敬する小説家は衿さやかです」とポストしてくれましたね。いけません。素直に金原ひとみって言ってください。そんなことを言ってくれてしまうような人です。わたしは小説家じゃないのですよ。

わたしたちは、かなり前からふざけて「お互いに本が出たら帯を書こう」だの「じゃあ文庫化されたら解説書き合おう」だのと言っていて、なんてわたしたちはおめでたいのだ、と思うようなことで遊んでいました。それは本気でそんなことがありえないことだからこそふたりで言い合って遊んでいただけなのに、あなたにおいては、冗談ではなくなってしまったわけです。

帯や解説を、著名な作家の方が書いてくれるでしょう。あなたの作品は、必ず文芸界に受け入れられるでしょう。同年代の作家の方々からも、先輩の作家の方々からも、もちろん多くの読者の方々からも。きっとあなたは好きになってもらえる人です。あなたはとても魅力的な人だから。すごくうれしい。でも、ほんとうはね、帯や解説だけは、ちょっとだけ悔しい。遊びで言ってたことが本当に起きるなんて思わないじゃない? って。いや、冗談です。どうかあなたが、文学の世界でのびのびと羽ばたいてくれますように。

あと、あなたは担当編集者の方の話をたくさん聞かせてくれますね。本当にその方は素敵な方ですね。(もちろんお会いしたことはない)わたしはそれが本当にうれしいです。あなたが一緒にお仕事をする人がこんなに素敵な人でよかった、と心から思えるような編集者さんです。そして、あなたが担当編集者さんのことを心から信頼して、好きでいることが伝わってきます。担当編集者さんも、あなたとあなたの作品のことを命懸けで守って、推して、サポートしてくれようとしていることが伝わってきます。

あなたたちはどちらもプロフェッショナルで、どちらも職人です。わたしはそれがほんとうにかっこういいことだと思う。わたしまでその方が好きになったし、あなたがそんな人に巡り会えたことがうれしい。あなたが楽しいことが、わたしはうれしいから。あなたと、担当編集者さんは、これから二人三脚、いろいろなことを乗り越えながら、どうか楽しくのびのびとお仕事をしてほしい。ふたりとも、心と身体をどうか健やかに。

あなたは本当に優しい人です。

わたしは時折、あなたの優しさ故の傷つきやすさや、その傷の不器用な隠し方に、ふるまいに、胸がつぶれそうになることがあります。優しい人がどうか傷つかないでほしいと、半ば喧嘩腰に神様に祈りたくほどに。あなたの作品の中にはそんな人たちがいっぱい出てきます。どれだけ暴力的な表現や猥雑な描写をしても、だからそれは根底に流れる愛や優しさとしか読み取れない。そしてわたしは途方に暮れて、泣いてしまうのです。傷ついて欲しくなんてないのに。あなたにも、あなたの作品に出てくるすべての人たちにも。そして、あなたの作品を愛してくれるすべての人たちにも。

わたしたちは共に、とても孤独でしたね。そしてその孤独を共有し合いました。もちろん、お互いに見せ合うことのない傷も孤独もありました。プライベートのことはお互いあんまり話さない。べつに話したっていいんだけれど、あんまりそういうものはわたしたちの間にはいらないような感じがしていましたね。

わたしたちはお互いの作品をただ見せ合う。見せ合うだけで、痛いほどに伝わる。お互いに言葉にしなくたって散々傷ついてきたこととか、不条理に思ったこと、そして幸福に思ったこと。ささやかだけれど確かにあったそれらのものもの。綺麗だったもの、汚かったもの。消したかったもの、消せなかったこと。それは恒久ではない。瞬間的だったものかもしれない。でも、確かにあったものたち。

それらを具体的な言葉を通してではなく、作品を見せ合うことだけでお互いに伝え合う。というか、作品を見せ合うこと以上に的確にそれはできない。作品を見せ合うことで、わたしたちはお互いが分かるし、お互いがわかり合っていることを、理解する。あなたが、わたしのどんなみっともない作品も、いじわるな作品も肯定してくれたから、泣いてくれたから、わたしは今日まで書いてこられました。そのおかげで、たくさんの方々に作品を届けられました。わたしはあなたにどれだけ感謝してもしきれない。わたしはあなたの、そのあまりにも不器用な傷の隠し方も、溜め込み方も、途方もなく優しく寛容で繊細なところも、ぜんぶまとめて愛しく思います。

でも、もうそれは辞めにしましょう。
あなたはもう孤独ではありません。あなたは、もうプロの作家です。あなたは、プロフェッショナルな方々と、今後はそういう話をしていって欲しいのです。そして、より、高みを目指していくのです。あなたはもう、わたしと馴れ合っていてはならないのです。あなたは、より、高いところへ行ってください。わたしはそれを心から願っている。わたしは、一読者として、これからあなたのことを応援します。


わたしは、あなたに絶対に傷ついたりして欲しくない。優しい世界で、あなたの書きたいことを書きたいように、書いていってほしい。悲しい思いをせずに、苦しい思いや悔しい思いをせずに、楽しい気持ちで、おもしろく愉快な気持ちで、小説を書き続けていってほしい。そしてたくさんの人にそれが届いてほしいし、たくさんの人を救って、そして救われてほしい。わたしには力はないけれど、あなたのためにできることならばなんだってやろうと思っています。本当に、応援しています。(金原ひとみが帯書いてくれたらいいのに!)

受賞報告の電話口であなたが言ってくれたことは忘れません。

「太宰治賞 受賞しました。このタイミングで言うのもどうかと思うけど、衿がいたからやってこれた、ありがとう」

そしてふたりして号泣でしたね。本当に、おめでとうござます。一番かっこいい伏線回収してくるじゃん。そういう人ですね、あなたは。

3年前のこの記事は、あなたの話だよ。


市街地ギャオは、キャッチーでセンスの塊のような文章をこれでもかと繰り広げてきます。正直言ってかなりのハイカロリーな書き手です。

でも、それが何故こんなに心に沁みこむのか。それは読んだ人がそれぞれ感じることかもしれないけれど、わたしが思うに、彼はどれだけ現代的なテーマやポップな表現を謳っていても、根底にあるものが「トラディショナル」かつ「普遍的」だからです。

だからどうか、あらすじだけの内容で判断せず、現代ポップカルチャーと、人間古来の普遍性の起こす破裂と再生を味わってほしい。

本当に、いい意味で裏切られるから。
絶対。保証します。

「メメントラブドール/市街地ギャオ 著」読みたくなったでしょう?
(6/21にムック本発売です、是非!)
(わたしは筑摩書房との癒着は一切ありません)

うわべだけをなぞったような、そういう言葉を彼は絶対に使いません。「そう見せているだけ」です。読者のわたしたちはまんまとそれに引っかかって、ぐいぐいとハイカロリーの波を爆走させられます。そして読み終わったあと、ふと我に帰ります。そこには、人間の持つ「普遍的感情」が残ります。主人公や登場人物、それらの誰とも似た境遇で生きたことがないのに、わたしは作品を読み終えたとき、主人公や登場人物がふと隣に座っているような気持ちになるのです。読む前にはもう絶対に戻れない。自分の人生に、その人たちがもう参加してきてしまったのだから。

彼の持つ特有の「言語センス」は、彼の持って生まれた天性です。これは誰にも真似ができない。何故かというと、異様に頭の回転の速い人だから。1の刺激に対して100くらいのフィードバックを脳内で行い、そのとき最も適したものを瞬時に言語としてアウトプットする才能があります。これは本当に、特異体質だと思う。それを、小説でやっているだけです。これは、言葉を操る仕事(お笑い芸人の方・コメンテーターの方・ライター業の方、その他いろいろ)に必要な能力なのだと思いますが、その速さと的確さが異常なのです。正直言って、疲れるだろうなと思う。同じ一定の外部刺激に対して、アウトプットの選択肢が多すぎるというのは、才能ではあるけれど、同時にとても感情を磨耗するものだから。

もうひとつの特徴として、彼の作品は、遅効性の毒(或いは薬)を持っていることです。4〜5年前に読ませてもらった彼の小説の、文言は思い出せないのだけれど、鮮烈な描写がフラッシュバックして脳内を駆け巡ることが多々あります。「どの作品だったか忘れたけど、登場人物がこういう感じの空気にいる作品、あれなんだっけ? あれのことずっと考えてた」みたいなことがしばしば起こるのです。不思議なことにわたしがその現象を起こすのは、海外の翻訳作品のみです。日本語で書かれた作品では、市街地ギャオの作品だけかもしれない。こんなに鮮明なフラッシュバックを繰り返すのは。わたしは分析力が乏しいので、それが何故なのかは分からないけれど、とにかく何年経っても急に思い出すのです。それもかなり鮮明に。色も匂いも音も空気も、すべてを一気に。これは遅効性の毒(或いは薬)を小説に仕込んでいるに違いないと思います。そういう作家です。

もうひとつ。市街地ギャオの類いまれなる才能としてあげられることは「読み込み力」です。有能な書き手であることはとっくに作品が証明してくれているのですが、彼は人の作品を読み解く力も異常に高いです。しかも、ジャンルを問わず。これはわたしも同じなのであまりえらそうなことは言えませんが、彼もわたしも、古来の日本文学のようなものをほとんど読まずに生きてきました。しかし、そんなことは関係なく、彼は誰のどんな作品を読んだとしても、その作品の行間にあるもの、意図していること、メッセージ性などを受け取る能力が高いのです。これもまた才能であるけれど、正直言って疲れるだろうなと思います。サラッと流してしまえない、という才能があるから。でも、よい書き手であることと、よい読み手であること、それは間違いなく本当のことです。彼が意図しているかしていないかは別として。おそらくそういう読み取り力が、先に述べたアウトプットの選択肢の豊かさをさらに大きなものにしているのだと思います。

そしてつまり、それは、彼がとてつもなく文学に対して「誠実・真摯・平等」であることを意味します。それはきっと、読者(もちろんわたしも)が想像する何倍も。自分の作品にも、他者の作品にも、彼は常に誠実であろうとします。それが、きっと、人の心に、琴線に触れる物語の原点なのだとわたしは理解しています。

市街地ギャオの、作家としての魅力は、わたしなどがこんなに長々と語らずとも小説を読めば一発でわかることなのですが、ついつい長くなってしまいました。彼が「飄々としているように見える」のは、そう見せているだけだと思います。だからどうか、彼を、誰も傷つけないで欲しい。これは、いち友人としてのわたしからの願いです。


あなたが受賞してデビューが決まったことによって、わたしは生まれて初めての経験をしています。それは「友人が一気にスターになる瞬間をリアルタイムで見る」という経験です。これって、そうそう多くの人ができる経験ではないと思います。ありがとう。ありがとう?はおかしいのかな。

これは言っても信じてもらえないだろうから言いたくないんだけれど、嫉妬心は本当にありません。あるとしたら、最初に述べた帯と解説のところかな。でもそれにしたって、あなたの幸せを一番に考えれば、著名で、かつ、あなたの作品をより有効に読み解いてくれる、そしてあなたの作品を売ってくれるプロフェッショナルな方に頼むのがいいに決まっている。作品が売れることは、経済的なことではないと思う。根本的には。(そりゃあ出版社さんは売れて欲しいでしょうけれどね)

作品というのは、どれだけ優れていても、やっぱり「流通」しなければ、届く必要のある人のところへ届かないのです。言い換えれば「流通」しさえすれば、届く必要のある人のところへ届くのだということに最近気がつきました。だからやっぱり、あなたは売れるべきです。あなたの作品を必要としている人たちに、届けなければならないから。売れてください。結果的にそれが多くの人を救うこととなります。

だから、あなたはわたしとはもう馴れ合っていてはならないのです。あなたは、いろいろな書き手の人たちや出版の人たちに知ってもらい、読んでもらい、広げてもらうべきなのです。それがあなたが今、一番にする必要のあることです。

「市街地ギャオ」としてのあなたのことは、これからは距離を置き、一読者として、心から応援しています。ただ、あなたの中の「市街地ギャオ」ではない部分が疲れてしまったり、苦しくなってしまったら、どうしようもなくなってしまったら、そうしたらわたしに連絡を下さい。わたしはあなたの「善き友人」として、あなたの力になります。


最後にもう一度。
本当に受賞おめでとうございます。

あなたのこれからの作家人生が、
どうか豊かなものでありますように。

うれしいことも、
苦いこともたくさんあるでしょう。
美しいものも、
醜いものもたくさん見るでしょう。

それらをすべてあなたの「糧」として、
あなたはよりよい作家となって下さい。

心から応援と幸せを願っています。
あなたがどうか健やかでありますように。
お祈りしております。


衿 さやか

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