聖徳太子か厩戸王か厩戸皇子か
聖徳太子についても詳しい研究者石井公成によると、
指導要領改定案の問題点:「厩戸王」は戦後に仮に想定された名、「うまやどのおう」も不適切【訂正・追加】
17/02/23
ブログなどで関連する指摘を見つけると素人の書いたものでも重要と思えば見つけて追記なさってるので、私の疑問を残しておく。
名称問題に限ると、
・「厩戸王」「厩戸王子」表記、「うまやど」よみや「おう」は否定。「厩戸皇子/うまやとのみこ」は許容範囲としてご本人も用いている
・聖徳太子との呼称を完全否定するのには断固反対だから、神聖化の強化にも反対
で、主張でどうも納得がいかないのは、推古天皇やそれ以前の頃は、天皇は「大王(おおきみ)」が主流であった模様で、のちに「天皇」となり、現存する記紀以降では天皇と呼ばれていて、実際のちに付けられた漢字諡號で推古天皇と呼んでるわけで。
当時は「皇子」と呼んでなかったかも知れないから変えようという主張は一応は成り立つのではと思うのですが、であれば、同様に同時代の皇子もみんな名前を変えるべきだという話になるのではと。
現状、この時代の、天皇に即位しなかった皇族有力男子は「〜王」か「〜皇子」と呼ばれていて、皇太子を含むそれに近い限られた人物が「皇子」でそれ以外の有力者が「王」と呼んでるようですが、であれば、皇子の基準を満たした人物なら厩戸皇子で、そうでなければ厩戸王という選択は自然な発想では。
その観点では聖徳太子は皇太子に即位してるとされていて、その説を採用するなら厩戸皇子が妥当、皇子待遇でなかった人物であるという説を取っているなら厩戸王となるのが自然ではないのかと。
この観点についていったいどのようにお考えで「厩戸王は認めるべきでないが、厩戸皇子は一応の妥当性がある」という立場でいらっしゃるのか。どうも理解できません。
目に留まって言及するに足る論と見て何か反応がいただけたらいいなと願って。
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