劇場 第三稿


 劇場の観客席にはさまざまな人種が集まっていましたが、その日はなかでも注連縄人たちの姿が目立ちました。
 彼らはそのねじれた手足を地球製の小さな椅子に押し込めて、同郷のスターであるアケミさんの出番が来るのを礼儀正しく待っていました。
 劇場には地球人の姿がほとんどありません。ほとんどの地球人は、その頃すでに内地へ引き揚げてしまっていたからです。もともとは地球人の手によって建てられた劇場なのに、その頃には異星人たちによる異星人向けの演目ばかりが舞台の上にかけられていました。
 ぼくの家族はといえば、引き揚げの順番を待って住宅街でつつましやかに暮らしていました。父は銀行に勤めていたので、敗戦後の処理や新政府への引き継ぎ仕事で毎日が忙しく、ほとんど家には帰って来ませんでした。
 一家を切り盛りしていたのは母でした。彼女は洋裁を趣味にしており、家には地球から運んで来た布生地がたくさんありました。そんな母の腕前を伝え聞いた注連縄人や箒人たちは、珍しい地球の生地でつくったドレスを手に入れようと、謝礼となる地球の貨幣や生活用品をたずさえて、母のもとを訪ねて来ました。
 注連縄人たちのスターであるアケミさんもそのひとりで、その日ぼくは母の使いで、出来上がったばかりの赤いドレスをアケミさんの楽屋へ届けに来たのです。
 「これから。うたう。ある。おまえ。みる」
 と、アケミさんは届け物を済ませたぼくに協和語を使って言ってくれました。そんなアケミさんの厚意に甘えてぼくは、劇場の観客席に孤独な地球人として座っていたのでした。
 久しぶりの劇場でした。それより前のもっと幼い時分には、饅頭星でただひとつの劇場であるその客席に、両親に連れられてよく座っていたものでした。映画や歌舞伎、相撲の興行も観たような記憶があります。当時は地球人で満席だったその客席には、期待のこもった緊張感がみっしりと張りつめていました。
 多くのひとたちが、自身にとって初めての劇場をもっています。それはいくら年を重ねても忘れられるものではありません。ぼくにとっての初めての劇場は、その饅頭星の劇場でした。
 劇場の観客席には、その日も注連縄人たちの熱狂が充満していました。彼らにつられてぼくの気分もしぜんとたかまり、幕が開いた瞬間には大きな音で拍手をしました。
 舞台下手からゆっくりと、アケミさんがあらわれます。アケミさんは、さっきぼくが届けたばかりの赤いドレスを着ていました。手足がねじれていることを除けば、まるで地球人の女優のようです。
 客席からは注連縄人たちが、重低音で喝采します。
 「こにちは。いらっしゃい。ありがとう。ある」
 マイクを通してアケミさんが協和語で言いました。
 戦争が終わってもまだ、協和語は饅頭星のいたるところで使われていたのです。
 そもそもは地球人が勝手につくり、ほかの種族にも使うよう強要して始まった協和語ですが、そのことに対する人々の反発はあまり無いようでした。
 さまざまな民族、人種が集うこの星で、みんなが使える言葉があって便利だね、くらいの感覚だったのではないでしょうか。注連縄人も箒人も、協和語をふつうに話していました。
 「わたしの。ほしのうた。うたう。ある」
 照明が落とされて、アケミさんの歌がはじまりました。地球人であるぼくに、その歌声はまるでモーターの駆動音のようにしか聞こえません。しかし注連縄人ばかりの客席は沈黙し、アケミさんの歌に聞き惚れていました。
 第一部の歌が終わり、アケミさんが一度舞台の袖に帰ります。すると喝采の中で舞台の上にセットが組まれ、注連縄人の俳優たちによる寸劇がはじまりました。いまにして考えてみれば、それはきっと伝説的な「バルバル・フォリーズ」による舞台だったはずです。客席の注連縄人たちが翅を震わせるような大きな音で爆笑していたことを何となく覚えています。ですがもったいないことに、芝居の内容となるとぼくは全くと言って良いほど覚えていないのです。もっとしっかり見ておけば良かったといまになっては思いますが、当時まだ十四歳だったぼくには、注連縄人たちの芸術的コメディ・センスを理解できるほどの教養はありませんでした。
 ぼくが覚えているのは、そのとき舞台の上で行われていた芝居の中身ではなくて、芝居の途中で突然となりの席に座り込んできた天婦羅人のことだけなのです。
 「グ  バリ ギュ   ブル」
 天婦羅人は協和語ではなく彼らの言葉でそう言うと、固い手のひらでぼくの左手を握ってきました。怯えたぼくは、「ことば。わからない。ある」と協和語で言いますが、彼はさらに力を入れてぼくの手を握り、「ギュ  テラ ズ」などとささやくのでした。
 彼の手のひらにある衣のような突起が、ぼくの手の甲に当たって痛みます。さらに彼はそのごつごつした顔をぼくに近付け、天婦羅人特有の体臭にぼくは咽せてしまいました。彼の手のひらからじわりと脂が分泌されて、僕の手を濡らしました。
 ぼくは彼の手を振り払うと、飛び跳ねるように客席を抜け出しました。
 劇場のロビーから出口に向かう通路で、背後に響くくぐもった注連縄人たちの笑い声を聞きました。
 手の甲についた天婦羅人の脂がとても気持ち悪くて、はやく洗い落としたいと思いました。
 ぼくが劇場を飛び出すと、街はいつものようにやかましく、いつものように夕暮れでした。

 よく知られていることですが、饅頭星の陽の光は、地球人の目で見ると常にオレンジ色に見えるのです。それは地球上の夕暮れ時にそっくりです。饅頭星に夜は無いので、地球人はいつも夕暮れの光のなかで生活することになるのでした。
 大気に含まれる粒子の構造によってそう見えるのだそうですが、ぼくがあの星のことを思い出すとき、やはりそれはあの夕暮れ時の光に浮かぶ懐かしい光景となってあらわれます。路面を走る岩石列車、並ぶ屋台の物売りの声、ダンス・ホールに集うざわめき、花々を油で揚げる美味そうな匂い、箒人たちが吸うパイプの煙のいやな匂い、それらすべてが夕暮れのやわらかい光に包まれ、ぼくにとっては何もかも懐かしく思い出されます。
 かつてあらゆる星の人々が集うユートピアとして栄えた饅頭星は、いまやどこの星に行っても味わうことがかなわない、都会的な洒脱さと、牧歌的な平穏を兼ね備えていました。
 現在広く言われているような、敗戦後起こった饅頭星における混乱、あるいは犯罪の横行のようなことを、幸いなことにぼくは体験していません。地方の村落や、鉱山地帯でそのような事件があったことは当時も耳にしましたが、ぼくが暮らしていた都市部においては、戦争が終わってからも、人々の生活はなにひとつ変わらないように見えました。むしろ戦争が終結したことで、戦前にあったスローガンである「種族協和」的な気分を、市民の側が率先して追い求めていたような感すらあります。だがそれは当時まだ子供だったぼくによる印象であり、更にぼくが、銀行勤めの父の息子である恵まれた環境にいたからかも知れません。
 のちに母から聞いた話ですが、終戦後すぐの時点で、父をはじめとした銀行関係者や地球から来ていた公務員たちが、注連縄人の新政府に呼び出されたことがあったそうです。そのときに酷い尋問を受けたひとも居たようですが、ぼくの父は「あんたは良いんだ」といったていで、すぐに帰されたのだといいます。父の仕事ぶりは誠実で、注連縄人をはじめとする他種族の人々からの人望も篤かったのだと思います。
 でもぼくが知らない場所や人々の間では、陰惨な行為が日々行われていたのだとしても何ら不思議ではありません。協和だのユートピアだのと綺麗事の理想主義をいくら並べ立てたとしても、饅頭星が地球の植民地であったことに疑いの余地は無いからです。

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