リレー企画「あなたが愛した負けヒロイン」④

早稲田大学負けヒロイン研究会です。
ありがたいことにSEN(@ZYPRESSEN_pense )さんよりご寄稿頂き、このリレー企画も第四回までやって参りました。
今回も気合と愛のこもった記事となっております。ぜひよろしくお願い致します。

※以下、西尾維新作「戯言シリーズ」、「〈物語〉シリーズ」のネタバレが含まれております。ご注意ください。




ifルートについて──はじめに

本記事は、「〈物語〉シリーズ」の「羽川翼」の紹介です。
この記事を書いたきっかけは、ヒロイン救済ifルートへの見解が自己内で相対化されたためです。この前雑談していたとき、「ifルートはtrueルートあってこそ、あくまでifであるがゆえに良い」という見解に触れまして、ああそういう考えもあるのかと納得しました。
が、僕としてはやっぱりヒロイン救済ifルートが無い方が好みなのです。そうした言語化しにくい感覚を、なんとか語ってみようというのが本記事の目的です。
そういった意味で色々と機運が高まり、羽川翼についての記事を書くことにしました。
このシリーズとは長い付き合いで、かれこれ九年くらい読者をしていると思います。ですが、羽川翼というキャラクターに惹かれた時点を考えてみると二年も遡れないでしょう。
本文は、そうした羽川翼の魅力を「遅効毒」にたとえ、刊行順に──つまり読む順番に──概観してみる試みです。あたかも読者になった視点で読んでいただければわかりやすいかなと思います。
先回りして一言でいえば、羽川翼は「ふつうの女の子になれなかったヒロイン」です。
なお、僕はどちらかといえば感傷マゾのひとなので、負けヒロインの摂取消費をライフワークにしているわけではないです(姿勢によっては否定的)。しかし、そうは言いながらも「負けヒロイン」は惹かれる存在でもあります。
選択されなかった、選ばれなかった、実現しなかった…。僕はそういう言葉になぜか惹かれるところがあるのです。


羽川翼という存在

まず、〈物語〉シリーズに関する僕の状況から。原作は全巻読破し、アニメも見ましたが記憶が一部あいまいです。漫画版は部分的に読みました。アニメリアタイ当時、羽川翼なんて全く気にしていませんでした。テンプレ委員長キャラだな~くらいで流してしまっていたのです。
羽川翼というキャラクターに関しては、僕が説明するより、画像検索でもしていただいた方がわかりやすいでしょう。三つ編み、眼鏡、成績優秀、完璧超人、そして胸の大きい委員長キャラです(猫物語(白)以降はイメチェンしますが)。

画像1

傷物語Ⅲ冷血篇より

そして、そうした品行方正さの裏には虐待ともいえるような家庭環境があり、しかしその家庭環境は羽川が「正しすぎた」ゆえの親の防衛反応であり…といった負の側面が提示されます。
主人公である阿良々木暦とは春休みの出来事以降親睦を深めますが、彗星のように現れた戦場ヶ原ひたぎに正ヒロインの座を奪われます。

巧妙さ、あるいは遅効毒──化物語・上

先述したように僕は、羽川翼というキャラクターを軽く受け流していたところがありました。サブキャラくらいにしか考えていなかったのです。
それは物語の開始時に、羽川翼が「男女の関係」ではなく、「友達」というポジションで描写されていることに起因するでしょう。
シリーズ一作目『化物語』は、阿良々木暦が羽川翼に戦場ヶ原ひたぎについての話題を振るところから始まりますが、この時点では羽川は主人公という狂言回しに対する便利キャラのように見えます(三つ編み眼鏡委員長という狙ったチープさからもそういう印象を受けます)。言ってみればのび太に対するドラえもんのようなポジションです。
その後、問題を解決した阿良々木暦は(正確にはまよいマイマイで)戦場ヶ原ひたぎから告白を受け、承諾します。原作上巻にして、早くも正ヒロインが決定したわけです。
その結ばれる速さたるや、出会って一週間です。
ここで理解していただきたいのは、その展開の「違和感のなさ」です。羽川翼の完璧超人であるがゆえの便利キャラ(デウス・エクス・マキナ的とも言えそうです)感、そして颯爽と現れる戦場ヶ原ひたぎという美少女、そして戦場ヶ原と結ばれる主人公。
読んでいた当時、いとも簡単に正ヒロインが決まることにはいささか驚きましたが、かといって羽川と結ばれなかったことに関しては特に何も感じませんでした。
化物語上巻では羽川翼の内面の掘り下げはされず、二人の間になにかあったであろう出来事も示唆されるだけで明示はされません。
羽川翼が心の内に何を抱えているかは、化物語下巻を待つことになります。

遅効毒の準備──化物語・下「つばさキャット」

化物語は各ヒロインの問題を解決するオムニバス的構成になっていますが、そのラストに位置するのが羽川翼回、「つばさキャット」です。
ごく簡潔にいえば、「羽川翼の抱く阿良々木暦への恋心が明示された」回です。
ここで、便利キャラ羽川翼という像は崩れ落ち、いわゆる「負けヒロイン」という像を獲得することになります。
衝撃的と言えば衝撃的ですが、男女の友情が恋愛関係に転化するのはライトノベルの展開としてはままあることですので、僕は当時「ふ~ん」くらいで流していました。
とはいえ、今思えば化物語の構成は結構とんでもないです。その物語の序盤に正ヒロインを持ってきて、その時点で羽川翼は「負け」ているのですが、それが物語の最後に明示されるという…。
なお予告的に言えば、その遅効毒的な作りは、阿良々木暦と羽川翼の過去編によってさらに補完されていきます。
二人で過ごした時間の厚みが提示されるのです。
ちなみに、羽川の問題に向き合う前のチャプターで戦場ヶ原ひたぎと阿良々木暦のデートシーンがあり、あの有名な「あれがデネブ。アルタイル。ベガ。」も戦場ヶ原のセリフとしてそこに収められています。
誰の知らない物語なんでしょうね。

遅効毒は巡る──傷物語

時系列としては化物語より前、春休みの出来事。
傷物語では、主人公阿良々木暦が半吸血鬼である理由が開かされます。いわゆるエピソードゼロというやつです。当然、後の正ヒロインである戦場ヶ原ひたぎとはまだ交流がありません。
物語は阿良々木暦が羽川翼のパンチラを拝んだところから始まります。ここで二人は接点を持ち、暦が吸血鬼キスショットに行き会った後もその関係は続いていきます。
暦が吸血鬼であるキスショットを助けるために血を吸わせ、自らも吸血鬼になり、ヴァンパイアハンターとの戦いに巻き込まれる──というのが大筋なのですが、羽川翼の献身的すぎるともいえる完璧超人ぶりが遺憾なく発揮される物語でもあります(ヴァンパイアハンターとの戦いに首を突っ込んできて負傷したり)。そうした一連の行動がきっかけで阿良々木暦が羽川翼に抱く感情は「畏敬」になります。
この時点で羽川翼と阿良々木暦のすれ違いは始まります。羽川翼は恋心で阿良々木暦を助けましたが、阿良々木暦はそれを理解せず、羽川翼の聖人性だけを見ていることになります。
僕としては、この時点でも羽川翼について思うところはありませんでした。なぜなら、完璧すぎて気持ち悪いからです。気持ち悪いというか、便利キャラとしての性質が強すぎると感じ取っていたのでしょう。
ただ、この二人の関係がこんなに拗れていて厚いものなのか…と驚かされたのは確かです。

遅効毒は論う──猫物語(黒)

猫物語(黒)は傷物語のあとの出来事、ゴールデンウィークの話です。つまり時系列としては傷(春休み)→猫黒(ゴールデンウィーク)→化(五月)という順序です。
この物語は羽川翼のバックグラウンドが開示される物語であり、阿良々木暦との関係が決定的に違えた物語でもあります。
バックグラウンドとは先述したように、家庭環境が複雑であること。そして羽川翼自身もある程度「壊れて」いること。
後述しますが、西尾維新作品にありがちな異常性です。
そのストレスを怪異のせいにして発散する、暴走する羽川を止めるというのが話の大筋です。
阿良々木暦が羽川翼の完璧超人性だけでなく、その異常性を受け入れた回でもあります。同時に、ここで読者にも羽川翼の異常性があらためて提示されます。
ここで羽川翼の掘り下げはほぼ終了するのですが、ここまでに羽川翼と阿良々木暦の過ごした時間をまざまざと見せつけられるのです。
読者は二人が過ごした時間の厚さを体感するとともに、羽川翼の二か月は戦場ヶ原ひたぎの一週間に及ばなかったという事実の重さをも理解することになります。

遅効毒は解消する?──猫物語(白)

刊行順としては猫黒の直後ですが、だいぶ時系列は下ります。間に三作品くらい挟んでいた気が…。
結論から言えば、羽川翼の一連の出来事に関する解決編です。
自身の異常性やストレスなどを怪異に肩代わりしてもらっていた状況を羽川自身が認め、それを返してもらうというのが大筋です。
いわゆる「弱さを得て人間的に強くなる」的な展開です。
ここにおいて、羽川翼の物語は閉じたかのように見えます。
実際、羽川翼の問題は──後述するただ一つの解決不可能な問題を除けば──ここにおいて解消しましたし、これ以降のシリーズで羽川翼がメインに据えられて展開する物語はありません。
重要なファクターを担いはするのですが、それゆえに猫白以降は便利キャラ感が再び増したようにも見えます。
実際当時読んでいた僕は、羽川の物語は終わったと感じましたし、相変わらず「ふーん」で済ませていました。そして相変わらず、デウス・エクス・マキナのような便利キャラ的立ち位置の羽川に興味を持てませんでした。

遅効毒は発現する──結物語

僕が羽川翼という存在に気をひかれはじめたのは結物語からです。これは時系列でいえば最後(混物語を除けば)にあたります。また、刊行順で言っても猫物語(白)から16作品ほど後の作品であり、七年分のシリーズの重みが横たわっています。
本作では社会人としての阿良々木暦(23才)が描写されますが、勿論羽川の動向も描かれるわけです。
シリーズでは「高校を卒業したら世界旅行をしている」という示唆がされており、羽川翼は果たしてどんな大人になっているんだろう…と思いながら読み進めたのですが、面食らいました。
平たく言えば、テロリストになっていました。
『戦争仲裁人、ツバサ・ハネカワ』ということなのですが、国境をなくすための活動家をしており、一般庶民から見たらテロリスト然としている、というような描写が作中でなされています。
そんな羽川が阿良々木暦に会うために一時帰国し、お忍びで阿良々木家に来ている──この一連のシーンで、僕は羽川が気になり始めました。
少し脱線して、「戯言シリーズ」の話をしましょう。西尾維新のデビュー作から連なるシリーズです。このシリーズの正ヒロインは、端的に言えば「世界レベルのハッカー集団のボス」であり、羽川と同じように天才でした。
その天才性の代償か、階段の昇降などの上下運動ができない等、日常生活での支障があります。終盤では、その代償が余命という形で示唆され、帰結としてはその天才性を捨てることで主人公とハッピーエンドを迎えることになります。「異常(天才)から正常(普通の人)へ」、これは西尾維新作品によく見られる成長モデルです(先述した「弱さを手に入れる」というやつです)。
さて、羽川に戻りましょう。羽川の場合は、異常なままなのです。猫白で羽川翼本人に関する問題が解決してなお、テロリストになってしまうほどに。
羽川翼が異常な天才から一般人へ向かうルートはただ一つの要因によって閉ざさています。
そのただ一つの要因とは、「阿良々木暦と結ばれなかったこと」でしょう。羽川自身の問題でなく、阿良々木暦との問題。
解決できるはずのない問題。

「(前略)私、高校生の頃、阿良々木くんのことが好きだったんだよ。気づいてなかったでしょ?」
(結物語 p155)
「あはは、言ってみたかったの、こういう奴。学生時代に懸想していた男の子に、大人になってから告白するって奴」
(同 p156)

羽川のそのあっけらかんとした様子には、読んでいてある種の小気味良さとともに、薄ら寒い恐怖すら感じていました。

「僕は──僕は高校生の頃、羽川のことが好きだったんだよ。気付いてなかっただろ?」
「──あはは」
羽川は空笑いをした。とろんを通り越して、その目はうつろだった。
(同p162)

なお、当該章のラストでこの羽川が影武者であることが示唆されるのですが、それは半ば読者の読みに委ねられているように見えます。僕は本人説を推したいです。
ちなみに、結物語のラストでは阿良々木暦と戦場ヶ原ひたぎが結婚することが示唆され幕を閉じます。

遅効毒は至らしめる──漫画版化物語

結物語を受けて、僕は何も言えなくなっていました。羽川翼というキャラクターがこうした帰結を辿るとは思ってもいなかったからです。
テンプレ便利キャラから掘り下げへ(化→傷→猫黒)、その異常性の解決と羽川翼自身の物語の終結へ(猫白)。これで羽川の話は無事解決…と思っていました。結物語を読むまでは。
結物語において描写されたのは、異常ともいえる天才が「阿良々木暦と結ばれなかった」というただ一つの理由で「普通の女の子なれなかった」末路であり、悲哀でした。
この時点でもう僕は「あぁ…」しか発する語彙がなくなっていたのですが、その上さらに新しい供給が公式から投下されるとは思っていなかったのです。
それが漫画版化物語でした。
原作から10年以上たってからコミカライズ?と思うなかれ、今だからこそなのです。
端的に言えば、漫画版は大筋を遵守しながらも描写を盛りに盛っており、下手にアニメと並行した時期にこれをやっていたら批判のほうが多かったでしょう。
漫画版の大きな特徴として、「阿良々木暦視点の相対化」という点が挙げられます。小説では徹底的に一人称視点で進むため、主人公のバイアスがかかった見方しか提示されないのです──羽川翼についても。そしてアニメ版もその阿良々木暦の語りを尊重した作りなのでした。
しかし漫画版においては、一般人視点の阿良々木暦が提示されるなど、三人称視点を基調とした構成になっています。
そこで僕は、新しい羽川翼に出会いました。つまり、「完璧超人」で「完璧すぎて気持ち悪く」て「聖人」の羽川翼だけではなく、そうした阿良々木バイアスを取っ払った羽川翼に出会ったのです。
そこにいたのは、素朴に想い人への距離を縮め、時には色目で誘惑さえするような羽川翼でした。

ルートを変えずに描写を盛る──漫画版化物語

漫画版の描写は、誇張的で補完的です。大筋は原作に忠実でありifは示されません(2021/11/7現在)。
猫黒パートにおいては朴念仁阿良々木暦という描写が徹底的になされます。例えば、重要なシーンの言葉選びで羽川を「友達」と呼称したり。
また、羽川の内心も描写されます。そこには少し奥手ながらも「付き合う前の距離感」を楽しんでいるような、素朴な少女の姿があります。
作中の登場人物からは「もう結婚しちゃえば?」などと言われる始末(漫画版オリジナル台詞…だったはず)。
こうして原作の展開は損なわず、かつ羽川翼の魅力は端的に言って爆上がりしていきます。
決して結ばれず報われないヒロインの魅力が、10年以上越しに再発見される。阿良々木暦と羽川翼が過ごした時間が、より鮮やかに補完される。僕はそんな羽川翼を見ては、結物語で浮かべたうつろな笑いと、普通の女の子になれなかった末路に思いを馳せるのでした。

僕から不在対象を奪うな──はじめにかえって

というわけではじめの論点に戻って言語化してみましょう。
羽川翼は、僕にとってかなりストライクな負けヒロインでした。それは、読んでいた当初は感じなかった魅力が、遅効毒のように効いてきたからでもありました。既刊23巻という堆積した時間によって、読者である僕の感情も重みを増していたのです。また、魅力を理解すると同時に、既に「負け」ているという岩のように動かせない事実があり、僕はその狭間でダブルバインドに陥ったわけです。
そしてその魅力はifによってでなく、描写の補完と誇張によって再発見されたのでした。
さて、では僕にとって救済ifルートとはなんなのか? それは恐らく、「不在対象を埋めること」となるでしょう。
冒頭で軽く触れましたが、僕は「実現しないこと」に、防衛機制的に惹かれてきたところがあります。例えば実現しなかった「青春」などに。「言いたいことは一つもない」とわざわざ発言する行為は、言いたいことがあるという証左なのです。
実現しなかった「青春」という一種の不在対象に思いを馳せること。そして自己嫌悪に陥ること。それをマゾヒズムに転化すること。
そうした「実現しなかったこと」なる「不在対象」を追い求めるにあたって、救済ifは素朴に言って邪魔なのです。というか、その不在対象を埋め立てる行為に等しいでしょう。
平たく言えば、想像の余地が──そして煩悶の余地が──奪われるわけです。
こうした点から、僕は救済ifルートを設けずに負けヒロインの魅力を補完する漫画版化物語によって、羽川翼を再発見したのです。
そして、9年越しの遅効毒が浸透した結果、僕は今更になって羽川翼という負けヒロインに感情をバインドされているのです。

さいごに

というわけで、救済if無い方が好き派のゆえんをなんとか言語化できたのではないでしょうか。
そして、羽川翼というキャラクターの魅力を理解するにはちょっとだけハードルが高い(化~結まで23巻分+漫画版羽川翼編約5巻分)ということもおわかりいただけたかなと思います。
そうしたとっつきにくい負けヒロインである羽川翼の魅力を、コンパクトに言語化するという試みが本文でした。伝わっていれば幸いです。
なお、物語内の具体的な事象に関しては意図的に避けて描写しましたので、是非アニメや原作、漫画に手を伸ばしていただければと思います(猫物語(黒)とかかなりえげつないですし、何故か頻繁に下着姿になるキャラです)。
羽川を追う上でオススメの視聴順は「原作(化,傷,猫黒,猫白)→漫画→原作(結)」か、「アニメ(同様)→漫画→原作(結)」の順序です。少なくとも化物語を見ていただければその立ち位置が分かると思います。シリーズに興味がある方は刊行順に読むのが一番ですが。
救済if有り無しに関してはまぁ言うまでもなく、どっちがどっちという話ではないです。多分読みの強さというか、受け取り方の強さの問題なんだと思います。人には人の感傷マゾ。
人には人の、といえばですが、感傷マゾにおいてはいわゆる「自分語り」は必然である…という観点を理論化した文章を書いたのでよろしければこちらもどうぞ。この理論を盾に、どんどんナラティブに自分の感傷マゾを怪文書として出力しよう。

それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。

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