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アドンコマンについての考察

〇#アフカン声優応募に向けて

 アフリカン・カンフー・ナチス公式アカウントにて #アフカン声優応募 が始まった

 ビッグ・ブラック・ガール役とアドンコマン役の声優オーディションをTwitter上でしてしまおうと言うアフカンらしい大胆な企画だ。
 セバ監督直々に「ジャパニーズアドンコマン」「アドンコミニスター」と任ぜられたこの私が、名実共に「アドンコマン」になれるチャンスである。挑戦しない訳がない。
 しかし、流石はTwitter上での公募。ほぼプロに近いような方々もさっそく投稿されている。このまま声で戦っても勝ち目はない。なんとかして「僕が一番うまくアドンコマンを演じることができるんだ!」と哀戦士の頃のアムロ=レイばりのアピールをしなければならない。この頃のアムロが一番調子くれていたような気がするが気にするな。

 そこで私が一番アピールできる点。それはアフカン愛とアドンコ愛である。こちとら誰もが成し遂げなかったアドンコの個人輸入を「アホの一念岩をも通す」の勢いで成功させた実績がある。
 アドンコの味を知らずしてアドンコマンを語るなかれ。アドンコマンのことをどれだけ私が理解しているか。セバ監督やガーナアーリア人たちに知ってもらおうではないか。私はアドンコをキメつつさっそくキーボードをたたき始めた。

〇アドンコマンについての考察

 まずはオーディションのために用意されたシーンだ。ヒトラー、東條、アドンコマンの三人が悪だくみをしている。本来なら、このシーンはアドンコマンの代わりにゲーリング(黒人)が居た。ヒトラーの腹心であるゲーリングが策をヒトラーに奉じてもおかしなことは何もない。それこそ厳かに、重々しく演じることができればいいだろう。
 アフカンをちょっと追った者であれば、ゲーリング役の役者さんが撮影場所に来なかったため急遽アドンコマンが代役をしたと言うエピソードを知っている。だからと言ってここでゲーリングの演技をしてはいけない。今ここに居るのはあくまでもアドンコマンなのだ。

 アドンコマンとは何者なのか。なぜ彼がここに居るのか。彼について考察をし、理解を深め、整合性のとれた演技をしなければならない。
 私の考えを述べさせてもらおう。アドンコマン。彼は
       『近所の酔っぱらいのオッサン』  である。
 あなたの近所にはいなかっただろうか。朝っぱらから酔っぱらいつつ、町内をうろついていたオッサンが。

 オッサンは町内に新築の家があれば毎日のように行っては監視し、時には職人に口出しをする。全然関係がないのに。
 オッサンは妙に町内の噂話に詳しい。いわゆる事情通である。情報の出所が不明なのにやたらと物知りである。
 オッサンは語りたがる。何かにつけて「あのキシダってのも俺に言わせてみれば……」などと何様目線かわからない高みから論評する。

 そんなオッサンがアドンコマンなのである。何者でもないただのオッサン。それがアドンコマンと言う正体不明のキャラクターなのだ。

〇アドンコマンストーリー

 アドンコマンが酔っぱらって歩いていると、ある日噂をキャッチする。

「ヒトラーと東條っちゅうエライやっちゃが来たらしいで」
「なんかようわからんけど、外国のエライやっちゃらしいで」

 暇を持て余したアドンコマンは当然見に行く。したり顔で、さもここに居て当然と言う顔でアドンコを飲みながら二人を見ている。
 ヒトラーはヒトラーで「東條が現地で腰巾着を見つけたのだろう」と思っている。
 東條は東條で「ヒトラーが現地の事情通を部下にしたのだろう」と思っている。
 そしてアドンコマンはいつしか、二人の傍にいて当たり前の存在になった。

 アドンコマンは酔っぱらいだ。しかし、現地の事情はよくわかっている。その発言のほとんどは役に立たない、取るに足りないものであった。しかし、極たまには核心を突いたするどい物があった。
 アドンコマンは身なりがいい。その若さでブラブラしているところを見ると、昔は有能である程度の成功を修めているのだろう。アドンコマンの発言はヒトラーに取って無視できない物であった。

 部下でもない、配下でもない、同盟者でもない、ガーナアーリア人でもないアドンコマンはヒトラーにとって特別な存在であった。気を許せる唯一の存在であったと言っても過言ではないだろう。それは友といえるものだったのだろうか。
 そんなアドンコマンはヒトラーや東條との酒の席に居ることが許された。
何者でもない彼は、ヒトラーや東條に対してもため口を許された。
 アドンコマンの発言がただならぬものを示していると判断すると、ヒトラーすらも背筋を正す。
 アドンコマンとヒトラーとの関係はそんな例えようもない関係なのであった。

〇どう演じるべきか

 そんなシーンのアドンコマンなのである。ゲーリングがそこにいたのであれば作戦会議のシーンであろう。しかし、ここに居るのはアドンコマンである。で、あるのならばこのシーンは『飲み会』であろう。

 ヒトラーはなぜ天下一武道会を開いたのか?
 戦力の増強のため? 有能な人材をガーナアーリア人にするため? で、あれば生き残った者が勝ちなんてルールにはしないだろう。部下にするための有能な人材を殺してどうする。
 この問いの答えはきっと「ヒトラーはなぜDJをしていたのか?」と言う問いと同じものになるだろう。ヒトラーは彼の楽しみのためにこの残酷遊戯を開いたのだ。で、あればこのシーンも作戦会議ではなく「次の天皇賞はどの馬に掛ける?」レベルの雑談なのだ。その中でアドンコマンが面白い提案をしてきた。そんなものなのだ。
 そんなシーンでアドンコマンを演じるのであれば『酔っぱらい』を演じるべきであろう。
 アドンコマンはいつから飲んでいるのか。その舌は回っていない。アドンコの飲みすぎ? 気にするな。アドンコは体にいいし、二日酔いもしない。
 活舌が悪かろうが威厳のある重い声もいらない。酔っぱらいとして友と語るつもりで演じればいい。

〇注文をつけたい

 もし、私がアドンコマンとして採用されたのならば、上記の考察に従ってセリフを多少いじらせてもらいたい。
 ヒトラーとアドンコマンの間に上下はない。なので初めの”Hey Brother”は「なあ、兄貴」よりも「よお、兄弟」もしくは「なあ、とーちゃん」と親しみを込めたものにさせていただきたい。
 最後の”OK?”も「だろー?」や「せやろー?」とくだけたものにしたい。
 もちろん、実際の設定はセバ監督の胸の中なので監督の指示に従うが、こちらからも色々な提案はさせていただきたい。だって、そっちの方が面白いじゃん。

〇アピール 

 はっきりアピールさせていただこう。この日本に、いや、世界において私ほどアフカン楽しんだ人間はいないと自負している。これはうぬぼれなどではない自信がある。そしてそれは、日本で一番アドンコマンを演じたいと希望していることと同義である。

 忘れもしない2020年の12/28日、いや、26日だったかな? クリスマスってことはないな。たぶんそこらへん。アマプラでアフカンを観てから早くも一年が見えてきた。その間、アフカンネタで友人とTwitterで盛り上がったり、アフカンの二次創作を書いたり、アドンコの個人輸入を行ったり、毎日アフカンTシャツを着たり、地元の映画館にアフカン上映の陳情をしたり、秋元さんへインタビューしたりした。
 アフカンの世界に入り込んだり、実生活にアフカンを侵食させたりとアフカンと共にある一年だった。
 アフカンを観て楽しんだ人は多いだろうが、アフカン楽しんだ人は少なく、その中でも私はトップクラスに楽しみ、そして発信してきた。
 あの劇場公開前の決起集会でアドンコ大臣に任命され、パンフに名前を載せていただいたのは光栄の極みだ。
 ぜひ、今回アドンコマンを演じさせてもらってアドンコ大臣からアドンコマンそのものにならせていただきたい。
 「夢は信じれば叶う」と教えてくれたのは他でもない、アフカンとアドンコなのだから。
 そのためにもこうして少しでもできることを行いアピールしている。
 どうか、この気持ちを汲んでいただきたい。
 アドンコ大臣がリアルアドンコマンへ! 広報的にもおいしいではないか。私に任せてもらえれば、きっと周りで見る人たちごと楽しませて見せます。
 どうかどうか、切にお願いします。私をアドンコマンにしてください。

〇全てのガーナアーリア人へ

 私は仲間を欲している。私が楽しんでいるところを見て「あ、アフカンってこうやっておもちゃにしていいんだ」と同じ沼に入ってくれる者を待っている。
 今回の #アフカン声優応募 だって、きっとセバ監督からのお誘いだと私は考えている。だって、声のいい人が欲しいのならば普通に声優さんを探せばいいんだから。
 一緒に楽しもう。おもしろいことをしよう。それがアフカンスタイルだと誘ってくれているのだ。
 だから、一緒に遊ぼう。ガチで挑戦してもいい。ネタボイスを投稿してもいい。ダメ元で投稿してみてもいい。
「#アフカン声優応募 に1000人のガーナ―アーリア人が押しかけました」なんて結果になったらそれだけでもおもしろいじゃないか。
 それを全部聞くセバ監督は悲鳴を上げるかもしれないけど。

  アフカンで遊ぼう。ガーナアーリア人の輪を広げよう。
 私も、セバ監督もきっと待っている。


でもアドンコマン役は譲らないけどな!!
アドンコで声帯濡らしてかかってこいや!!


           2021年 11月 アドンコ大臣 まけいぬ

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