初冬の八ヶ岳(後)

 夜中に目が覚める。ツェルトの生地に影が写っていた。寝袋から這い出して外に出ると、大きな月が、木々のすき間をぬけ、青黒い空に浮かび上がるところだった。月明かりに誘われて、池へと向かう。
 きんと凍った夜の山に溶けてしまいそうな希薄なわたしに比べて、足元から伸びる影は日中よりも濃かった。影は月夜を謳歌してわたしの先を進んだ。
 みどり池の上には月明かりに写し出された天狗岳が青白く輝いている。息をするのを忘れてしまいそう。思い出したように鼻から息をすると、冬山の香りがした。

 
 すっかり朝日が上がってからテン場をあとにする。小屋に泊まった人は早々と夫々の山に向かったらしい。今夜もここに泊まるわたしの荷は軽かった。
 息を切らしながら急登を終え、中山峠に着く。海尻の村の人は、ここを抜けて諏訪、岡谷まで歩いたらしい。黒百合ヒュッテはここから近い。
 天狗岳に向かうと、西側からは冷たい風に吹かれる。八ヶ岳の冬はいつもそう。冬の縦走では頰の片側だけ凍傷に掛かりそうになる。首に巻いていたバラクラバをきちんとかぶる。粉雪が岩に降り掛かっていた。滑りそうでこわい。
 本当のところ、天狗岳に向かわなくても良かった。目的は黒百合ヒュッテのケーキ。天狗岳は腹ごなしのつもりだった。
 うっすらと雪化粧をした天狗岳ははっとするほど美しい。うっすらと白く飾った姿はまるでモンブラン。アルプスではなくケーキの方の。粉砂糖が掛かっている姿が山のモンブランを模していて、粉砂糖が掛かっていないのはただの山だ。そんなケーキ、「ニュウ」だ。

 頂上ではふしぎと風が止んでいて、陽差しが暖めてくれる。何組か休んでお昼をたべていた。すみに腰を下ろし、西天狗岳をぼんやりと眺めながら持ってきたお茶をすする。あちらの頂上にも色とりどりのジャケットが見えた。さっにまでくっきりと見えていた北アルプスは、少しずつ霞んできた。わたしの頭の上にも綿菓子製造機から生まれたばかりのふんわりとした雲が流れてゆく。

 黒百合ヒュッテに向かって降りるのは愉快だけれどすこし厄介だった。岩に粉雪が吹きついて滑りやすい。転んだら痛いやつ。両手を使って岩を伝い降りる。
 ときおり振り返ってみては、名残惜しそうに眺める。青い冬空を大きく専有している天狗岳の両峰が白く輝いていた。冬の天狗は夏よりも存在感が大きい。

 黒百合ヒュッテの小屋の中でぬくぬくと苔桃マフィンとココアを飲む。コケモモジャムが甘酸っぱい。ココアの甘みが身体に染み入る。冬はココアだよ。さっきまで風に吹かれていたのが嘘みたい。
 お昼すぎの山小屋は、入れ代わりお客さんが訪れ、食事を注文してゆく。カレーラーメンをお待ちの方〜。
 そんな様子を眺めていたら、昨日、シラビソ小屋で見かけた方が居たので声をかける。クラシックカメラが素敵で覚えていた。これから小屋に戻ると言う。同じコースですね。では、のちほど。
 シラビソ小屋にむかう。あそこにもチーズケーキがあるのだ。まってろ、チーズケーキ。

 もう少しで本格的な冬の八ヶ岳になる。ちょうど70年前の12月に登山家の芳野満彦さんが遭難している。彼の登山記「山靴の音」読み返すと、稲子湯から入って、本沢温泉を抜けて稜線に出てから、赤岳を目指し、下山時に遭難した。八ヶ岳にはたくさんの物語がある。この黒百合ヒュッテを作られた米川つねのかささんのお話も素敵だ。

 しらびそ小屋にもどりチーズケーキを食べてひと心地つくと、ストーブのぬくぬくした暖かさに癒やされつつ、本棚を物色して読書タイム。
 バスの時間まで余裕がありそうで、さらにお茶とかりんとうをいただきながら、窓越しに天狗岳を眺めてぼんやり。10時を過ぎると、山小屋の方やお手伝いの方々が休憩に集まってこられた。なんだか親戚の集まりみたい。
 テントで過ごす時間も素敵だ。でも、八ヶ岳なら山小屋の時間も、また違う豊かさを与えてくれる。夏山だと次の山を目指してしまうかもしれない。日の短い初冬だからこそ、なんにもしないでお茶を啜り、山を眺める。ほんと、それで十分なのだ。

おわり

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