見出し画像

みちのく潮風、冬

トレイルヘッドにゆっくり向かうのが好きだ。
飛行機や新幹線であっという間に移動してしまうと、心が置いてけぼりになり、駅についた途端にわたしの身体が途方に暮れる。「遠足は家に帰るまで」との格言があるように、「旅路は家の門を一歩踏み出してから始まる」。

18切符を使って東京を出たのは早朝。各駅停車で乗り継ぎを重ね、相馬駅に近づく頃には陽が傾き景色が山吹色につつまれる。初めての土地なのに、冬の午後は懐かしい気がした。
 常磐線の車内では帰宅途中の高校生が小さなグループを作って何やらおしゃべりをしていた。コートなんて着ていない。東北の冬といえども、太平洋側の日差しは関東と変わりなく、今年は雪もなくずいぶんと暖かい。

相馬駅からトレイルヘッドの松川浦までは駅前からバスがあるらしい。駅近くの郵便局で用事を済ませるとバスは一時間以上待つことになってしまう。それに歩くのを楽しみに来たのだ。喜びをバスに取られてたまるか、と松川浦まで歩くことにした。

今回は松川浦から仙台近辺までの予定の旅路。「みちのく潮風トレイル」をスルーハイクするとも、区切り打ちするとも思わず、ただ田舎町を歩きたかったという理由で来てしまった。
 歩き旅をしたければ好きなところを歩くので良い。それでも「トレイル」という場所を歩くなら、わたしには「歩く人」という第四の階級が与えられ、その特権を謳歌して、大荷物を背負って町を闊歩できる。平地とあらばテントを張り、ゴミ箱を見つけたらゴミを捨てられる。「トレイル・コミュニティー」ならハイカーを多めに見てくれ、通報しないでくれる。お咎めなしだ。歩いているだけで不審者扱いされる世の中、それだけでありがたい。グッバイ、職質。

みちのく潮風の最南部は、住宅街に近く、舗装路が多い。町を抜けて、商店で買い物をして、里山で泊まる。アパラチアン・トレイルで言えば、リサプライの簡単なメリーランドあたりと思えば快適なハイキングだ。


 子どもたちが集団下校していた。挨拶をしたが返事が曖昧だ。知らない人に挨拶しない文化なのかしら。わたしの「特権階級」的な立ち位置は、ハイカーでもなく、巡礼者でもなく、やはり大きな荷物を背負ったあやしいのおじさんだ。

松川浦に来るのは二度目。ふむふむ、と頷き、写真を撮ってから歩きはじめる。裏手の公園の入り口には犬が繋がれていてご主人さまを待っていた。奥ではご近所さんが集まって、井戸端会議に花を咲かす。そんなトレイルヘッド。いいじゃないですか。

 コンビニエンスストアに寄ってお茶を用立てた。ありがたい。店員さんがニコニコしている。そう言えば、郵便局の方も微笑んでらっしゃった。なんだろう、良いことがあったのかしら。それとも、わたしがへんなのか。
 

二日目

朝から相馬の神社に参詣。このエリアのルートを設定した方は、信心深い方のようだ。神社やお寺を繋いで歩いてくれる。少しお遍路さん気分。
道中のコンビニエンスストアで朝ごはんを用立てたり、トレイを借りたり。町の皆さまも出勤なのか忙しそう。やあやあ、ハイカーなですよ。

こういう町歩きは楽しい。スーパーに寄ってみたり、地元の商店で買い物したり、公園で休んだり。観光地を啄んで訪れるより、その町の雰囲気や成り立ちを感じられる。歩き旅の喜び。こういう環境が増えるのは嬉しい。まだ、この界隈では歩く人の立ち位置が微妙だけども。

新地に入る。トレイルは農道を進む。春から秋にかけてきっと美しい田んぼが楽しめるだろう。蛙の合唱も。
わたしは畦を選んで歩く。その方が足の裏に優しく、トレイルを感じられる。舗装路なら、全国津々浦々同じ感触だ。
 田園風景の乾いた薄茶色の景色が大きく広がる。空は青い。風がつよい。西側、蔵王からの風は吹き続ける。歩く向きが西に変わると、向かい風で歩くのにずいぶんと難儀する。東に進みたい。

正午の放送で「喜びの歌」が流れた。田園にしみこむ。
新地町を海岸方面へと進む。自販機もない景色。振り向くたびに鹿狼山は離れていった。車通りも少ない。トレイルのマーカーがなくても、ほぼ直進の道はわかりやすい。地図も携帯も要らない。楽しく歩く。
新しい常磐線の高架をくぐると、野鳥が多く休む池が現れた。わたしが近づくとカモが水面を泳いで離れてゆく。脅かさないようにそっと近づいて見たものの、臆病な一羽が飛び逃げてしまうも、それに釣られて周りの鳥たちも飛んでしまった。ごめんよ。


 旧常磐線に差し掛かる。高台の道路が南北に伸びている。わたしの古い地図には、まだ線路の実線が引いてあった。そこは線路をはぎ取って、アスファルトで固めた道路になっていた。堤防の役割も兼ねているのだろう。

右手から来る軽自動車をやり過ごそうと待っているも、近くの路肩に停まった。なんだ休憩かしら。そう思い、渡ろうとすると、「すいません」と声を掛けられた。
「みちのくなんとかって言うの歩いてるの?」と軽自動車の窓があき、日に焼けた小柄のおじさんが顔を出した。
「ええ」
「ここが流される前は、この辺りに住んでいたんだけど、いまは亘理に引っ越しっちゃって。亘理ってわかる?」
「ええ」
「なんか、この辺りで、ヒッチハイク、やってるの見たことあって、ああ、みちのくなんとか歩いている人なのかぁ。説明会に行ったんだ、役場の…」
ひとしきり話すと、反対側から軽自動車でやって来た。おじさんの知り合いのおじさん(こちらはもう少し丸っこい)が車に乗ったまま、おじさんに声をかける。どうやら用事があるらしい。
「ちょっと待って………ほれ、これ」と飴玉とクッキーの小袋を渡してくれた。
「四国のお遍路だと、なんか渡すんだろぉ」
「お接待、ありがとうございます」と手を合わせ、会釈をして出発。お遍路さんにお接待するのは、地元の人の代わりに歩いているからだ。わたしは誰の代わりに歩いているだろう。

昔の浜通り。人通りはなく、大きな工事車両が通り抜けるたびに砂埃が巻き上がる。旧中浜小学校と書かれた建物を改築していた。記念碑にするらしい。歩く人が泊まれたらいいのに。にぎやかな方が建物も小学校だった頃を思い出すだろう。

三日目
四方山縦走。
深山(しんざん)に登ると慰霊の鐘があった。お寺の鐘も鳴らさないわたしだが、気が向いたのか鐘を叩いてみる。カーンと冬の乾いた空を渡って、山元町に降りそそいだ。

森の稜線を風に吹かれず快適に歩く。土の上は足裏が気持ち良い。短いアップダウンが激しい。トレイルはよく整備されていて歩きやすい。ゴミもない。角田市と亘理市の人から愛されていると足の裏で感じる。歩くのが嬉しくなる。

お昼を少し過ぎて、町に降りる。さあさあ、スーパーマーケットだ。ぐるりと回るとイートインがあった。食料補給したあと、お茶をいただき、おにぎりを温めてたべた。ありがたい。充電もできる。最高じゃないか。

再び町歩き。国道沿いをよけて裏道を歩くと用水路に出た。これは良い道。陽が傾いてきた。黙々と進む。幸か不幸か、町ゆく人は忙しいようで声も掛けられない。それはそれでいいのだ。
今夜は阿武隈川沿いで野宿。陽が暮れてからさっとテントを張る算段だ。
まわりから見えない場所を見つけた。こそっと張るに限る。モクモクとケムを履く工場を見ながら、夕食のようなものを食べる。まだ夜は長い。やることもない。素晴らしい時間。ラジオを聴きながらぼんやりと対岸を眺める。

四日目
 天気が悪くなりそうだ。どこかで雨に降られそう。
朝ごはんを買いにコンビニに寄り道。そのまま朝食を食べてしまう。暖かいし、居心地が良い。悪い癖で、町中を歩いているうちに、コンビニをつなげて歩いてしまう。歩く旅がコンビニエンスストアに支配されてしまうのだ。志の高さも食欲には勝てないのかしら。

阿武隈川に架かる橋を渡ると岩沼市に入る。すぐ近くにスーパーマーケットがあるではないか。お昼ご飯を買いに行かねば。コンビニでお昼を用立てると、パンとかおにぎりとか炭水化物ばかりになる。なんだか胃が重い。ナッツとか高いのよね、コンビニって。
 ヨークベニマルではチーズとナッツ、油揚げを入手。ビバ、たんぱく質。

川沿いのサイクリングロードを歩きはじめると小雨が降り始めた。どんよりと垂れ下がった雲、緩やかに流れる鉛色の阿武隈川。雨が降ってしまうと、心地よい侘しさに包まれた。馴染みの景色にように感じられた。
屋根付きの休憩場所を見つけ、レインジャケットを着て、少し休む。通勤時間とお昼の間に出歩く人はいない。雨の音が過ぎていく時間のようで、じっとしているわたしは取り残されてしまう。
「歩かないと」バックパックを背負い、かじかむ手で傘を持って歩きはじめた。

 日月堂を過ぎ、トレイルは海岸近くを通る。少しでも海が見えたら気晴らしにでもなろうに、防波堤にすら近づかず、工事車両用の舗装路を、穴を避けながら進む。「千年希望の丘」という避難用の丘が遺跡のようにポコポコと盛り上がっていて、丘の上には屋根もあって休むのにちょうど良かった。
仙台空港近くに来ると地図にはない新しい道路ができているし、工事で通行止めの看板が立ててあったりと、よくわからなくなっている。こういう時は勝手に歩くに限る。次の目標を美田園駅近くのスーパーマーケットに定めて歩きはじめる。
 空港周りゆえ、生活感のない道路が続く。通り過ぎるのは営業車や工事車両ばかりだ。ほとんど車はスピードを緩めずに走り抜けていき、きまって泥水を跳ね上げていった。靴下はびしょ濡れだ。絞ったら茶色の水が出てくるに違いない。手はかじかむし、メガネは曇って歩きにくい。ロード続きで膝まで痛くなってきた。それ以外はすこぶる調子が良かった。ただ、「それ以外」に気がいかないのはわたしのせいだ。鴨が雨を気にしないように、わたしも気にしなければ済む話なのだから。
「そんな無茶な」いらいらとがっかりは歩くときのお供だ。

五日目

眩しいくらいに晴れている。最終日の今日は半日歩いて近くの駅に出るだけ。ぼんやりと終わっていく旅はわるくない。

井土浦から貞山運河までサイクリングロードがまっすぐ続く。運河沿いに座るところを見つけてひと休み。自動販売機でコーヒーを買ってくる。あーお休みはいいなぁ。あまりに心地が良いものだから、本を取り出す。読み差しのページに目を落とすと、冬のうららかな陽射しを浴びてたちまち眠くなってくる。
 目を瞑って座っていると時間が身体を撫でていく。風のように流れていくのを感じる。歩き旅でしか味わえない、座る愉しみ。

相馬から仙台まで5日間歩いてみると、県を跨いだわりに、空気間が似ていた。きっと松島を越えて女川までは同じ空気なのだろう。こういう肌で地域を感じられるのは歩きの良いところ。

被災地を歩くのは心の整理がつきにくい。わたしは寄り添えやしない。それでも、九年後の今を何日かでも歩くことによって、薄っすらとつながりができていく気がする。

そう感じるとわたしの旅が終わっていたことに気がつく。わたしに陸奥が住みつき、歩き旅に連れだしたそぞろ神はわたしを置いて、どこか次のカモを探しに行ってしまったようだ。
 わたしの魂はきちんと身体に収まっている。それが鎮魂だ。おかえり、わたし。

さて、仙台に向かう駅まで歩くか。一目散に、いちばん短い距離の道のりを選んで。