雪の黒百合ヒュッテへ

 茅野駅に降りるとひんやりと乾いた空気が出迎えてくれる。硬い底のブーツ。重いバックパック。ガチャガチャとバス停に向かう。
 行き先別に登山客が並んでいる。ロープウェイに向かう列が一番長く、赤岳に向かう美濃戸方面が続く。黒百合ヒュッテや高見石小屋へ向かう登山口の渋の湯へ向かう登山者は一番少なかった。
 少なくて嬉しい。わたしの八ヶ岳は冬に登るもの。夏は人も多く、売店も賑やかで、なんだかお祭りだ。きっとそれが好きだという人もいるのだろう。山も、もしかしたら、にぎやかな方が喜んでいるのかもしれない。
 わたしは気が散りやすい。人が少ないほうが山は濃い。だから晩秋から冬に掛けての山が好きだ。

 登山口の渋の湯温泉から黒百合ヒュッテまでは2時間ほど。一月であれば雪はそれほど多くはない。本格的な積雪を味わえるのは二月だけで、あとは風ばかりが強い。
 踏み固められた雪の上をゆっくり進んでいく。汗をかいたら冷えるから体温を上げたくない。足の裏で雪を味わいながら冬の感覚を呼び戻す。その年の雪の山行を重ねるごとに、寒さや雪に慣れていってしまう。シーズンはじめの雪山は緊張する。
 ピリッと冷えた空気。立ち止まると音が消えた。雪はなんでも音を吸い取ってしまう。森の音もやんでしまった。そっと足指をグーパーしながら耳を澄ましていると、ヤマガラやシジュウカラのツピーという陽気な鳴き声が聴こえた。春のような歌後だった。

 トウヒやダケカンバの切れ目から西天狗のまあるい頂上が見えると黒百合ヒュッテにはすぐついてしまう。お昼を過ぎたころ。朝から天狗岳に登って帰ってきた登山者たちは身支度を整えて、下山までの短い休息を取っていた。
 陽当りの良さそうなところにテントを張り終える。日暮れまではあと数時間ある。空は快晴。
午後はまるまるカフェにするはずだったのに。ケーキかハイキングか。わたしにとってはとても大きな問題だ。
 天狗岳が見えるところまで散策にでよう。

 黒百合ヒュッテから天狗岳は往復しても二時間。アイゼンを付けていても、岩が露出している無雪期よりもあるきやすいくらいだ。なにより風がない。風に吹かない八ヶ岳は珍しい。硫黄岳なんて対風姿勢しか記憶がないくらいだもの。

 浮かれては勇み足で、天狗岳がよく見えるところまで出る。東の険しい天狗と、西のまろやかな天狗の2つが見える。ずいぶんと性格の違う兄弟みたいだ。
 ここまで来ると、ほとんど急なところは終わってしまう。東天狗の頂上までもう少し行ってみる。
 タイムリミットを決めて時間が来たら降りかえすつもり。

頂上に着いてしまった。もう登山者は残っていなかった。赤岳方面の峰々からぐるりと西天狗だけまで視線を移す。太陽はあと一時間くらいで山の端にお隠れになりそうだった。パンを齧ってお茶で流し込み、ヒュッテに向かう。山の事故は下りに起きるものだ。

西天狗岳に太陽が沈むと、赤みがかって見えた雪が青くなってゆく。ひんやり。北横岳やニュウの上だけまだ赤く染まっている。
 陽にさらされて少しぐずっていた雪が締ってくる。わたしの足音が心地よい。数十もの鳥の群れが東から西へとすばやく飛んでいった。おうちへ帰る時間。

 山小屋が近いのも手伝ってか、天狗岳は優しく感じる。たおやかな山容の天狗岳は冬に登るには程よい。

 よく朝も晴れた。風は少しある。朝食前に天狗岳に散歩。秋から数えると三度目だ。山みちは歩くほどに親しくなっていく。気がつかなかった景観を発見することも多い。はじめての山というのは、山を感じられていないのかもしれない。緊張ばかりだもの。

黒百合ヒュッテに戻る。テントを撤収して、ようやくお茶の時間。

 コケモモ・マフィンとコケモモジャムのついた紅茶セットをいただく。温かいマフィンのふかふかとした食感にほっとする。
お酒を嗜まないわたしには、山上のカフェが最高の贅沢だ。景色を見ながらも良いけれど、山の存在を感じながら山小屋の仄かな明かりで、のんびりと時間を過ごすのも良い。
街のどんなカフェでも敵うまい。あちらには山がないじゃないか。

 畳が心地よい。昼寝していきたい。ああ、ここの子になりたい。

 森に囲まれたしらびそ小屋が秋に訪れたい場所だとすれば、黒百合ヒュッテは冬がいい。穏やかで優しい。ヒュッテのスタッフもいつも笑顔だ。
 北やつほど人も多くなく、南やつほど嶮しくない。穏やかにさせてくれる山だ。

 茅野駅に着く。駅からすこし外れると、八ヶ岳の峰々がよく見えた。登ってきた山を、もう一度見返すと嬉しくなる。
 町がずいぶん暖かく感じる。身体が山に慣れたのが楽しくて薄着で帰途についた。