ソロー時代の映画に見る背景

「森の生活」を読むにしろ、時代背景を知っているのでは、得られるものが違ってくる。 ソローが何に反発していたのかを理解すると、山暮らしをしている変わり者から一歩進んだ像が得られるんじゃないかしら。

まずは「若草物語」。
ソローと同時代のコンコードのお話。「森の生活」を出版したのが1854年だから、すこし後くらい。コンコードの町は、思ったよりも賑やかな気がする。今は田舎町風だもの。
 昨年に新しく映画化もされたのよね。

作者のルイーザ・メイ・オルコットのお父さんがエマスンと同じ「超絶主義」の仲間で、ソローはルイーザからしたら少し年上のお兄さん。ルイーザの父親は実験的な農園を経営したり、菜食主義を取り入れたりと、ソローの森の生活の基本となっている。「若草物語」の父親は南北戦争に出兵していたから、実際とはキャラクターも年齢も違う。
 むしろ、あの時代に生きた「オルコット物語」が読みたい。


「風と共に去りぬ」を観ると、南北戦争を南側からの文脈で見ることができる。黒人奴隷の描かれ方も、眼差しが優しい。これも一つの解釈だわ。
 言われるように、プランテーションで栄えた南部のほうが、文化的には豊かに見える。奴隷文化の上に成り立った繁栄であり、綿花のプランテーションが成り立たなければ、あっという間に崩れてしまう。あとから見返すと、南部の領主にとっては奴隷開放をすれば、安価な綿花の栽培ができず、イギリス的な文化もイギリスとの関係性も失われると感じていたのだろう。


もう一つ、「白鯨」を書いたメルヴィルが主役の「白鯨との戦い」は、当時の北部の様子が伺える。

産業革命によって夜でも火を灯す暮らしとなり、鯨油は不可欠になっていた。鯨油は魚油や獣脂より臭くないらしい。危険を冒してでも長い航海に出るのも、必要な産業だったのだろう。そのためにペリーが日本に開国を迫ったくらいなんだから。日本との通商によって、小判が日本から流出し、南北戦争の原資となったのは歴史の興味深いところ。