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【LTRレポート】松尾大社・節分祭での石見神楽

(初投稿2023/3/27、最終改稿2023/3/27)

はじめに

 2023(令和5)年2月3日、節分の日、ロングタイムレコーダーズの関西支部メンバー4名は、京都市西京区、松尾山の麓に鎮座する松尾大社(まつのお・たいしゃ)を訪れました。
 目的は、同社の祭儀のひとつ、節分祭で奉納される石見神楽(いわみかぐら)を見学し、映像を記録するとともにレポートを作成、NPOの活動報告として一般に公開することです。なお、石見神楽はコロナ禍で中断を余儀なくされ、今年は3年ぶりの開催でした。
 節分祭→ https://www.matsunoo.or.jp/event/event01/

松尾大社について

 松尾大社は、太古よりこの地域の住民が松尾山の山霊を磐座(いわくら:広辞苑によると「神の鎮座する所」)に祀り、身近な守り神としたのが始まりといわれます。
 同社はまた、酒造とのかかわりが深く「醸造祖神」と仰がれていることでも知られます。毎年11月の上卯祭には、全国の和洋酒だけでなく、味噌、醤油、酢などの醸造業、それに卸小売に従事する方々も会し、冬が本番である醸造の安全を祈願するのが習わしとなっているとのこと。境内には日本中から献じられた酒樽が積まれ、参拝者の目を惹きつけます。
 来歴や特色に関するこうした逸話はいずれも興味深いのですが、それは別の機会に譲るとして、今回は節分祭のハイライトともいうべき石見神楽を中心にご報告します。
(参照 https://www.matsunoo.or.jp/about01/

節分祭と石見神楽の由縁

 節分は立春の前日を指し、平安時代には宮中で「追儺(ついな)」の儀式が行われました。時代が下ってこれが民間行事に変遷したのが、豆撒きです。節分祭では、宮司が豆を撒きながら本殿より拝殿に移動したのち、弓を構えて弦を3回引き、「松尾の神に祈らむ梓弓、弦の音きけば悪魔退く」と和歌を唱えて疫鬼の退散を念ずる「鳴弦破魔矢弓神事(めいげん はまや ゆみしんじ)」が執り行われます。このとき、恐ろしげな面をつけて疫鬼を演じるのが、島根県益田市の「種神楽保存会」の方々。石見神楽は、この祭儀に先立って午前中に行われるのです。
 朝8時半、松尾大社に到着。近畿地方は前週からぐんと冷え込み、京都でも15センチの積雪が観測されました。いまだ残雪が消えやらない寒い日にもかかわらず、すでに十数人が集まっています。むろん、お目当ては石見神楽。後述しますが、京都では趣の異なる巫女神楽が主流で、絢爛豪華な石見神楽は人々の間で絶大な人気を博しています。
 「種神楽保存会」のみなさんは、出雲神話のヒーローである須佐之男命(すさのおのみこと)が松尾大社の御祭神・大山咋神(おおやまくいのかみ)の祖父神という由縁もあって、毎年、同社の節分祭に遠路はるばる駆けつけてくださるそうです。
 午前10時前には舞台となる拝殿の周囲に人だかりができ、太鼓と笛の音を合図に、いよいよ石見神楽が始まります。この日の演目は「恵美須」「塵輪」「鐘馗」「大蛇」の四つで、約2時間にわたって力のこもった演舞が披露され、観衆を別世界へといざないました。

 以下それぞれの演目を紹介しますが、その前に神楽そのものについて簡単に解説します。

神楽(かぐら)とは

 神楽は、日本を代表する神事芸能。神前で神を祀るために演じられ、奏楽、唱歌、舞踏、演劇などさまざまな芸態があります。起源説話として、天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あめのいわと)にお隠れになった折、天岩戸の前で天鈿女命(あめのうずめのみこと)が神がかりして舞ったとする伝承(『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』)が有名です。
(参照 https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=1389

御神楽(みかぐら)と里神楽(さとかぐら)

 宮中で執り行われる御神楽と、民間による里神楽に大別されます。毎年12月、賢所(かしこどころ)の庭上に庭燎(にわび)を焚いて行われるのが御神楽。一方、それ以外の神楽を里神楽と総称します。江戸時代まで神官が神事として演じていましたが、明治政府の神職演舞禁止令により、土地の人々に歌舞の技術が継承されます。全国津々浦々に伝わる里神楽はおびただしい数に上り、北海道から鹿児島まで370種類が確認されています。(本田、1993、p.449)

里神楽の分類

 里神楽はそれぞれの地域で発展する過程において複雑かつ多様な変化を遂げ、その芸態から巫女神楽、採物神楽、湯立神楽、獅子神楽に分類されています。(参照 https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc27/genre/kagura/index.html

1 巫女神楽(みこかぐら)・巫女舞(みこまい)

神に仕える女性・巫女による処女舞。手に鈴、扇,榊の枝などを持ち、順めぐり・逆めぐりに旋回して舞う。

2 採物神楽(とりものかぐら)

さまざまな採物を持って舞う儀式的な採物舞、神話などを題材にした演劇的な舞などから構成される。採物とは神事の際、手に持つ道具のことで、刀や弓、鈴、榊など。

3 湯立神楽(ゆたてかぐら)

湯で祓い清める湯立(ゆたて)の神事が取り込まれた神楽。

4 獅子神楽(ししかぐら)

獅子の舞に曲芸などを加えて舞う大神楽(太神楽とも)、獅子頭を御神体とする演劇的な舞が特色の山伏神楽(やまぶしかぐら)がある。

石見神楽の起源と特徴

 石見神楽とは島根県西部の石見地域で演じられる里神楽で、上記の分類では採物神楽に入ります。平安末期から室町時代に石見一円で農耕神的な守り神として各集落に祀られた「大元神(おおもとがみ)」信仰に基づく、田楽系の行事が原型といわれます。
 神をお迎えする儀式舞、『古事記』や『日本書紀』を題材とする神能舞に加えて、地方ごとに伝わる説話や伝説を取り入れたものも含めると30種類以上の演目があり、活動中の神楽団体は130を超えるそうです。
(参照 https://www.all-iwami.com/kagura/detail_47.html)
(牛尾、1985、p
.36)

石見神楽をそれ以外の採物神楽と比較すると、どのような特徴があるのでしょう。

1 囃子

囃子に使われる楽器は、大太鼓・締太鼓・鉦(しょう:銅拍子、小さいシンバル)・横笛の四つ。楽譜はなく、大太鼓の拍子に合わせて演奏され、舞手とのあうんの呼吸が欠かせません。舞も囃子もゆっくりおごそかな調子で始まり、物語の進展に伴って速く活発なテンポに変わっていくというのが、どの演目にも共通した点といえるでしょう。

2 舞

演劇的な要素が濃いのは、出雲の佐太神社の神職が京で猿楽(さるがく)の能を習得、その影響を受けた神能舞を地元の神楽に導入したことによるとされます。演目の多くが、異国から来襲した鬼神を日本の神々や説話伝説の主人公が撃退するもの。もうひとつ、正雅で古典的な詞章(ししょう:能、浄瑠璃などの詩歌、文章)は里神楽として稀というのも見逃せません。(三隅、1984、p.83)

3 面

石見の誇る伝統工芸のひとつ、石州半紙を用いた面をつけて舞います。丈夫で複雑な成型がしやすいうえ、木製の面に比べると重さは三分の一程度。激しい動きを伴う長時間の演目は、この面があってこそ可能になったというのが、衆目の一致するところです。(参照 https://www.youtube.com/watch?v=IeN56LcrV68

4 衣裳

衣裳が豪華できらびやかなのは、神楽は楽しく気分が高揚するものでないといけないという石見人の気性を表すと聞きましたが、さて真相は……。着物地やビロード地に金銀糸の刺繡を施す、龍虎や鳳凰の目にガラス玉を入れるなど手のかかる作業の結果、1着の重量が20~30キロにも。それでも、舞台ではどの舞手も軽やかに動き回ります。(参照 https://www.youtube.com/watch?v=IZtxyLpTSTc

当日の演目の解説と見どころ

1 恵美須(えびす)

恵美須様は七福神のおひとり。商家などの生業を守って福をもたらす神です。漁業を司る神でもあり、右手に竿、左手に釣り上げた鯛を抱く姿は多くの人に親しまれています。ゆったりしたテンポで進みますが、こっけいなしぐさに笑いが起こる場面も。「今年こそコロナ退散」と書いた紙が高々と掲げられると、いっせいに拍手が起こりました。
キャスト:恵美須、大黒
当日の映像 https://youtu.be/kwDc2XZlMXM

2 塵輪(じんりん)

翼を持ち、黒雲に乗って飛び回る悪鬼が塵輪。多数の軍勢を率いて日本に攻め入った彼らを自ら迎え撃つのが14代の帝(みかど)・仲哀(ちゅうあい)天皇です。忠臣の高麻呂(たかまろ)を従え、死闘の末に勝利を収めるクライマックスでは目まぐるしい展開にだれもが見入ってしまい、大太鼓が激しく打ち鳴らされると心を揺さぶられます。
キャスト:仲哀天皇、高麻呂、塵輪(白鬼・赤鬼)
当日の映像 https://youtu.be/EJAm1D9NCvQ

3 鐘馗(しょうき)

鐘馗は疫神(鬼)を退ける威風堂々とした神です。唐土(もろこし)に渡り鐘馗となった須佐之男命が帰国後、茅の輪(ちのわ)と宝剣を手に疫神を討伐するという内容で、唐の玄宗皇帝の伝説が日本の能、須佐之男命と蘇民将来(そみんしょうらい)の「茅の輪」故事と合体した演目とされます。重厚な舞は中国の京劇を想起させるという指摘も。
キャスト:鐘馗,疫神
当日の映像 https://youtu.be/xvsXSM5m4LU

4 大蛇(おろち)

いわずと知れた八岐大蛇(やまたのおろち)の出てくる演目。須佐之男命が出雲の斐の川(ひのかわ)にさしかかると、娘が大蛇に食べられると嘆く老夫婦に出会いました。命(みこと)が濃い酒を大蛇に飲ませて成敗し、助けた奇稲田姫(くしいなだひめ)と結婚。大蛇は暴れ川・斐の川の象徴であり、これを退治するのは土木治水工事によって氾濫を鎮めたことを意味するといわれています。全長18メートルの大蛇が4匹現れ、激闘を繰り広げる場面は圧巻。会場によっては8匹、あるいはそれ以上の大蛇が登場することも。
キャスト:須佐之男命、足名椎(あしなづち)<翁>、手名椎(てなづち:足名椎の妻)、奇稲田姫、八岐大蛇
当日の映像 https://youtu.be/axhsDyFQrdU

民俗芸能としての石見神楽の固有性

 神楽には、奏楽、唱歌、舞踏、演劇、物語など数多くの芸態があり、それらが融合したものといわれます。では、石見神楽はそのどれを主要な要素として成立しているのでしょう。石見神楽を、奏楽と演劇的舞の関係から検討してみます。
 石見神楽は、荘重な趣の、ゆっくりしたテンポの奏楽で始められます。やがて、主人公の舞手が現れ、舞踏と奏楽がしばし続きます。奏楽が止んで場が静まると、古典的な詞章が舞手より口上され、人物紹介、物語の背景がおごそかに語られます。
 大太鼓の一打を合図に、一転して速いテンポの奏楽に移ります。新たな舞手(娘、鬼、大蛇など)の登場や場面の転換(戦の前兆、激戦、祝勝)を暗示した別の奏法に変わっていきます。人物や場面ごとにそれぞれの奏法があり、それを指揮するのが大太鼓のようです。そして、大太鼓の拍子は舞の動きにシンクロし、舞手の詞章に導かれて演奏されるのです。
 神楽は能や歌舞伎の影響を受けながら、そのいずれとも違う性格を持つといえそうです。能については次に述べますが、歌舞伎は演劇が主要な要素。また、欧米で生まれたオペラやミュージカルとも別のジャンルと考えられます。オペラは物語を歌唱で語る「歌劇」、ミュージカルは自由な歌唱とダンスが一体化した「歌舞劇」です。神楽から派生し発展した石見神楽は、詞章を伴う演劇性の濃い舞踏を中心とする民俗芸能とみていいでしょう。

能と石見神楽の比較

 能と神楽の共通点と相違点とは? その起源と楽器やテンポの観点より考察してみます。
 能の歴史を遡ると、奈良時代に大陸から渡来した芸能である散楽(さんがく:器楽・歌謡・舞踊・物まね・曲芸・奇術など)に行き着くと考えられ、朝廷に保護されていました。平安時代に入ると、寺社の祭礼で演じたり、巡回興行を行ったりする猿楽に変容します。その後、室町時代に足利将軍・義満の後ろ盾を得た観阿弥・世阿弥父子によって体系化され、現在では、能と狂言を合わせた舞台芸術を能楽と呼んでいます。
(参照 https://www.nohgaku.or.jp/encyclopedia/whats/history.html

 世阿弥は著書『風姿花伝』で、天鈿女命が神がかりして舞った伝承に着目し、能の起源は古代の神楽にあると記しました。また、聖徳太子が秦河勝に「六十六番の物まね(66種類の仮面)を作らせ、紫宸殿(ししいでん)において天下泰平を祈願して舞わせたものを始祖と唱えています。(松尾、2021、p.245)
 石見神楽と能の共通点として、歌舞を伴う神事儀式を始まりとすること、散楽・猿楽の影響下にあること、仮面舞踏であることなどが挙がると思われます。世阿弥が日々、目にしていた猿楽を観る機会があれば、里神楽全体のルーツが見えてきそうですが、これは永遠の謎です。
 次に、相違点。石見神楽が演劇性の濃い舞踏を主要な要素とするのに対し、能のそれは舞踏であり、芸態が異なります。また、能は舞踏・唱歌・奏楽の様式が定められていて、舞手の役割や配置、さらに舞台そのものにも厳密な決め事があります。一方、石見神楽は「校定石見神楽台本」に基づいて演じられるものの、主体性がいっそう強いようです。支配階級の権威におもねらず、より自由に発展してきた点が大きな特徴ではないでしょうか。
 楽器の違いもあります。石見神楽は大太鼓、締太鼓、鉦、横笛の四つの楽器を使用するのに対し、能では太鼓、大鼓(おおづつみ)、小鼓(こづつみ)、笛が用いられます。能はすべて締太鼓ですが、石見神楽の大太鼓は「和太鼓(宮太鼓・陣太鼓)」です。陣太鼓が歴史に初めて登場するのは平安末期の「前九年の役(1051年~1062年)」とされ、大音響で戦場の兵士を鼓舞する役目を負っていたと考えられています。石見神楽も、大太鼓の強烈な音が戦いを表現する舞踏を盛り上げる効果を持っています。
(参考 https://shishi-taiko.com/2019/08/27/kigen03/

 奏楽のテンポも大きく異なります。能は、比較的ゆったりとしています。
 神楽のテンポには「六調子」、「八調子」と呼ぶ2種類があるそうで、六調子は腰を落としてゆっくり重厚に舞い、囃子も緩やかですが、八調子はテンポが速く舞も囃子もスピード感があります。石見では八調子の神楽が盛んに演じられ、速いテンポが特徴といわれます。
 もうひとつ、日本の伝統音楽に共通の概念である序・破・急(序:ゆったりとした流れ、破:どっしりとした流れ、急:速い流れ)の三段構成、つまり場が進むにつれて奏楽も次第に速まり、最後に最も速いテンポに至るよう組み立てられていることも付記しておきます。
(参考 http://www2s.biglobe.ne.jp/~t-sato/sogaku.html)
(福井、2020、p.104、p.110)

 では、この速いテンポは舞台でどのように展開するのか。具体的に説明してみます。
 当日の演目のひとつ「塵輪」の終盤で立ち回りが始まると、横笛の旋律に乗せて締太鼓と鉦が非常に速いテンポで連打を開始し、大太鼓が重なります。舞手の動きに呼応して拍子をとるのは大太鼓であり、締太鼓と鉦は同期した拍を繰り返します。重厚な低音で勇ましくリズムを刻んでいた大太鼓がひときわ力強く、ドドン・ト・ドン!ドン!と打ち鳴らされるや、大音響が他の楽器を牽引、舞手が目まぐるしく入り乱れて舞う戦闘の場面に合わせて奏楽のスピードは一気に最大限まで上り、観衆の高揚感は頂点に達します。その間、烏帽子と衣裳を着けた4名の奏者は座して動かず、憑かれたように楽器を奏でるのです。
 石見神楽の奏楽は速いテンポ感と強烈なビート感を併せ持っており、この日も大激戦の場面の激しい舞踏を盛り上げていました。また、舞手の動きに合わせて奏者が憑依したかのようにひたすら演奏し続けることも特筆すべきでしょう。西洋音楽の理論では説明のつかない奏法や表現の独自性もありそうですが、音楽的考察は今後の課題です。

まとめ

 見学した石見神楽に関して理解したことをまとめると、以下のようになります。

  1. 里神楽のひとつ、採物神楽に分類され、島根県西部の石見地域で演じられる

  2. 楽器は大太鼓(和太鼓)、締太鼓、鉦、横笛の四つを使用するが、楽譜はなく、大太鼓の拍子に合わせて演奏される

  3. 「神能舞」が多く、演劇的色彩の濃い舞踏を主体的な要素とする芸態である。口上の詞章は正雅で古典的な言葉で語られるが、これは里神楽として極めて稀といわれる

  4. 軽量・頑丈な石州半紙の面、金銀彩色糸の刺繍と立体的装飾を施した絢爛豪華な衣裳が舞台のリアリティを高める。これらは土地の伝統工芸や地元企業の努力による

  5. 奏楽は、非常に速いテンポ感と強烈なビート感で、戦闘場面の迫力ある舞踏を盛り上げる。多くの地域のなかで益田市の石見神楽が舞も囃子も最も激しいと定評がある

  6. 神楽という芸能が地域社会に根づいており、高い価値観が共有されている

  7. 神楽は祭祀として誕生、外の文化も柔軟に吸収し、時代の要求や人々の願いに応えながら流転を繰り返して創造された、日本を代表する伝統芸能といえる

 今回、変容し続ける身体的口承芸能である石見神楽を直に拝見し、併せて記録できたことは、たいへん有意義であったと感謝いたします。

 末尾になりますが、松尾大社、島根県益田市観光交流課、種神楽保存会(代表・伏谷秋義様)はじめ関係者の方々に絶大なご協力をいただいたことに謝辞を申し上げて結びとさせていただきます。

(京)

参考文献

牛尾三千夫(1985)『神楽と神がかり』 名著出版
福井昭史(2020)『よくわかる日本音楽基礎講座』 音楽之友社
本田安治(1993)『日本の伝統芸能 第一巻』 錦正社
松尾恒一(2021)『神楽の中世 仮面の呪術・祭祀・芸能としての神楽へ』 三弥井書店
三隅治雄(1984)『日本民族文化体系7 民族芸能の歴史的展開』 小学館

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