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小さな食堂なのに、音楽家たちが続々と集り幸せを運んでくれた話

1950年~1980年くらいの時代、昭和でくくってもいいのかもしれない頃は、各家庭毎に微妙に違っても、確かな「不文律」が存在していたのです。わかる人にはわかる、古き(良き)時代。

例えば、家の中でも、「男の仕事」、「女の仕事」というのがそれぞれありました。先鋭的というか、時代の先端をいくお考えのお家は違ったかもしれませんが、わたしの育った環境は、父が大黒柱。家での絶対権力者で、女は逆らえないのでした。

で、

こと音楽に関して、「やってはならぬ令」を敷かれていました。クラシック音楽を聴く程度はいいのですが、「やってはならぬ」のでした。

その理由は、「音楽すると夜に出歩く人間になる」=「不良になる」という父の思い込みからでした。

今はもう死語の、いわゆる「雷親父」でしたから、怒らせたら大変なことになります。したがって、弟は別格だったのですが、女はみな父の言うことを守っていました。

音楽に触れてこなかったそんな私が、

ただのちいさな食堂をつくってみて、ごはんを提供するだけのはずが、フラの方々が押し寄せ、ウクレレミュージッシャンが集まってきて、アラフィフから音楽に触れることとなりました。

はじめは、お得意様にお付き合いする程度の気持ちでしたが、今では音楽の楽しさに見事にはまってしまいました。ハワイアンミュージックを聞くだけだったのが、自分も演奏したくなって、ジャズや、R&B、ロックやカントリー、いろんなジャンルを聞くようもなりました。気になればすぐにYouTubeでチェックできますし。

子供の頃はシャットアウトされていた音楽、カラオケさえやったっことがなかったので、大人になってやろうとすると、びっくりするほど、リズム音痴。これは直るのでしょうか。おかしな「間」で、外しちゃうことしばしば、何回も何回もやり直し。しかもすぐ忘れる、なかなか覚えられない。

それでも、

楽しい。シンプルにそれだけです。

人生は楽しんだらイケナイノダ!「耐えて」「忍んで」「頑張る」中にちょびっとの幸せがあるのが人生のだいご味的な教育を受けてきたので、音楽でずっと楽しむことに後ろめたささえがありましたが、今はもう、音楽にどっぷり浸かって、その楽しさ、喜び、幸福を全身で感じています。お父さん、ごめんなさい。天国では許してください。

なかなか上達しない長い言い訳でもありました💦💦

ある夜の食堂。よかったら聞いてみてください。こんな感じ。楽しすぎです。


歌はヒーラーでもある「あやちゃん」
ミニギターとハモリは「リピート山中さん」
三線は「ふくちゃん」
ウォッシュボードは「尚ちゃん」

パンデミック騒動も落ち着いてきたし、またこれからやろねーーー。


つづく



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