小さな食堂の事件簿 ③大丈夫、親がなくとも子は育つのだ!
次は、
『親がなくとも子は育つのだ』事件。
昨日のことのような6年前のこの一夜を思い起こせば、いまだ未解決(?)ではあるけれど、結論としては、日本って安全で素晴らしい国だな、とかかわって下さった色々な行政の方々のことを心から感謝します。
ある初冬の夜、小さな食堂「チキンキング神戸」は、『貸切』でご利用いただきました。この日は10人ほどのキッズの貸切でした。
普段は「ハワイの焼き鳥フリフリチキン」を提供しているのですが、『貸切』営業はこの小さな食堂が一番皆様に喜んでいただけるサービスができたのではないかなと自負できます。民謡のグループや、三線の先生、本格的ベリーダンスやフラメンコのグループ、ハワイ関係の方のフラやウクレレ演奏などの発表会や親睦会として、または、遠方のご家族が集まるときなどに利用していただきました。サービス側もたっぷり楽しませていただきました。
お子様のお誕生日会は、たいてい普通は親も同席するのですが、その夜ご予約いただいたお家では、お子様だけのパーティで、昨年からもうすでに兄弟それぞれの誕生日会で3回ご利用いただいておりました。
12歳と8歳の兄弟で、今夜は12歳のお兄ちゃんのお誕生会をするということでご予約いただき、お友達は10人ほど来るということでした。合計12人のかわいい子供が集合して、いつものようにジュースで乾杯し、お行儀よくサラダやスープ、お子様セット的なプレートを召し上がりました。それぞれが好きなゲームの話で盛り上がっていました。
パーティのクライマックス、お誕生ケーキ登場では、お決まりの消灯をしてろうそくに火をつけ、小さな花火も点け大盛り上がり、大喜びでした。男の子ばかりでしたが、とってもかわいかったです。全員が、外国人か日本人とのハーフのお子さんでした。インターに通っているということで、パーティでの会話は英語でした。英語の中に時々「えっ?うっそ!!」とか「いいじゃん、いいじゃん」などの日本語がまじって聞こえてきてて、わたしとしては、まるで映画を見ているような感じでした。あれは中国語だろうなどの言葉も聞こえました。
そんな楽しいインターナショナルなお誕生会も、お開きの時間となり、子供たちは、それぞれの親たちが迎えに来て、三々五々帰宅しました。
時間を過ぎても主役の兄弟の両親が、迎えに来ません。兄弟は特に気にするでもなくゲームに夢中です。わたしは、彼らのお母さんにお誕生会が終わったことを伝えようと電話をしました。出ない。つながっているけど、電話には出ない。お忙しい方だったから、今も忙しいのかな。もう少し待ってみよう。
それから。
キッチンも片付け終わってもう午後9時を回りました。弟君は眠そうになってきました。お兄さんの方が「大丈夫です、近いから歩いて帰ります」と日本語で言います。も一回電話してみるわ。
出ない。おかしいな。ここでようやく胸騒ぎ。
実は私は彼らの住まいがどこかは知らないのでした。いつもご両親か、どちらかが車で送り迎えをされていましたし、ここから近いって言われていましたし、いつも携帯でつながっていましたし。
夜に子供だけを二人で返すわけには行かないので、わたしの車を取ってきて、二人を乗せて、子供たちのナビで彼らの家へと向かいました。
山の手の清閑な住宅地の中の瀟洒な一軒家でした。でも街灯もついていなくて、家の中も真っ暗です。兄弟は慣れているのか動揺もなく、車の中からシーンとした家を見つめていました。お母さんたちもどっかごはんに行っているんかな、カギ持ってるん?シーン。わたしも兄弟を不安にさせないようにしようと心がけました。
「急用ができたのかなぁ、お店に泊まることもできるからお店で待とうか」兄弟は無表情、無言で家を見つめていました。
それから一応、車から降りて、門扉のベルを押してみます。鳴っていないような気がする。
お兄ちゃんが門を飛び越えて中に入って、ドアをどんどんたたき「マミー!」と呼びながら、ぐるっと家の周囲を回りました。
「だれもいないみたい」とさすがに不安そうに伝えました。
そっか。どうするか。どうしよう、困った。ぐるぐる、判断がつきませんでした。
でもとにかく、子供を不安にさせたくなかったので、問題ない事のように装う決心をし、
お母さんたちすぐ帰ってくると思うけど、もうおばちゃん(わたし)も眠たいから、おばちゃんとこで寝よか。お母さんは私の携帯に電話くれるはずだから大丈夫、お店じゃソファしかないから、おばちゃんの家で待とう。ワンコもいるよ。
二人は安心したように同意して、そのまま、うちに来て、犬と遊び、一緒に寝ました。
しかし、そのまま電話も来ないし、寝付けない私は、両親はきっと事故にあい今病院にいるのだろう、という結論に達しました。もしかしたら、一刻も早く子供に会いたい状態なのかも??と思い、電話では話が聞かれてしまうかもしれないので、眠っている子供だけ残して、そっと着替え、警察署に行きました。3時くらいでした。
深夜なのに昼間のように明るい警察署の中で入ると広いフロアの中におられた全員がこちらを見ました。すぐそばの受付では若い警察官がとても緊張した感じで、
「どうしましたか」
一通り説明をしました。でも、説明終わってから、ちょっと待ってと言われ、テーブル席を案内され、別の人が来て、また最初から説明して、そこへまた、違う人が来て、話を聞き返すから、また最初から説明して。警察官が増えてきたようなあいまいな記憶があります。かなりあわてていたのでしょう。話に矛盾がないのか、私が正常なのか見極めておられたのでしょうか。
調べていただいて、現在のところ、警察の方には事故の情報はないし、どこの病院にも緊急搬送情報は今夜はないということでした。各所に相談もされていたようでしたが、結局、もう遅いというか朝方になっていましたから、そのまま安全な状態で保護が可能か聞かれ、夜が明けるまで今の状態で待っように依頼?指示?されました。
いったい、どうしたんだろう、昨日の両親の様子を一つひとつ、思い出しながら、わたしは不安が渦巻いたまま眠れない夜を過ごしました。
朝は、みんなで簡単な朝食をとり、ワンコの散歩もして、子供たちはワンコと遊んで、小さな食堂に移動しました。あらためて、動物が人の癒しになることを感じさせられた朝でもありました。
今からそちら(食堂)に向かいますねと警察から連絡がありましたが、制服の警察官が店舗に押し寄せたら、子供だけでなく近隣の方々も何事かと思いますので、私たちが警察署に行きました。
子供たちは二人とも緊張していましたので、警察ってすごいね、すごいかっこいいところやね、見てみて、パトカー!かっこいいね。 ここは本当に安心な場所だね、と声掛けしました。今にも泣きそうに元気がなかった弟君はパトカーやきびきび働く警察官を目を見開いて見て、テンションが上がってきました。
警察署の中の小部屋で待っていたら、私だけ、違う部屋に呼ばれました。そこには6人ほど老若男女おられて、全員丁寧に自己紹介をしていただきました。
で、
そういうことで、
今後の対応は、こちらでということに。
困った。それでいいのだろうか。
とてもとても心配で付き添っていたいのですが、私は「赤の他人」ということで、ここからはこちらに任せて欲しいとの話でした。確かに。
その後、何度か警察署に問い合わせましたが、「本当に申し訳ないが、お答えできない」とのことでした。そうか、これが守秘義務の壁なのか、思い知らされました。いったいどうなったのか。私はもう安心して忘れた方がいいのでしょうか。
忘れかけた、つい先日のことです。あっという間に6年が経過していました。
ポストに封筒が。営業用の投げ込みチラシしか入らない小さな食堂のポストに手書きのエアーメイルがありました。なに?
心は踊り、絶対いい知らせだと私は感じました。
やはり、あの日お兄ちゃんとして泣かずに弟を守りしっかり対応できた彼からでした。
あの日のお礼の言葉と自分たちは元気だということ、あの後、関東地方のおばあちゃんちから学校に通っていたこと、両親はいまだ行方不明ということなどが簡単に書いてありました。そして何より嬉しかったのは、かねてより夢に描いていた職人になるため念願のイタリアで勉強することになったと書いてありました。
消印はクレモナ。
あ、あぁ!!わたしは思い出しました。昨夜のことのように、あの夜のことがよみがえったのです。
あの夜、「ふしぎなバイオリン」という絵本を一緒に見たのです。
ご存じですか。イギリスの作家さんで、Quentin Blake(クェンティン ブレイク)さんが書かれ、たにかわ しゅんたろうさんが翻訳されてる絵本です。パトリックという青年がバイオリンを弾くとみんなが元気になるという絵も色とりどりで明るくおしゃれ、楽しいお話。
それを読んでバイオリンってどんな楽器?って兄弟が聞いてきました、すごい楽器なんだね、本物見てみたいね、弾いてみたいね、
バイオリンはないけど、うちには数台のウクレレが壁にかけてあり、そのうちの一番小さいソプラノというウクレレを弟くんが「これバイオリン?」と聞いてきて、肩に担いでパトリックみたいに踊りながら演奏するふりもしていました。
これは、ウクレレと言ってハワイの楽器で、バイオリンはヨーロッパの楽器で、音も随分と違うよ、同じように木でできていて、4本の弦の楽器だけど出す音は違うよ、ウクレレは胸に抱えて指で弾いて、バイオリンは肩において弓で弾くのよ、踊っている弟くんの横でお兄ちゃんは熱心にわたしの話を聞いていました。ウクレレの演奏とバイオリンの演奏のCDをそれぞれかけもしました。
バイオリンってみんなを楽しくするすごい力があるんだね。弾いてみたいな。
そんな夜を過ごしていました。それからお兄ちゃんはおばあちゃんにお願いしてすぐ憧れのバイオリンを習うことになった。そして、今、将来はバイオリン製作者になろうと決めて音楽学校と工房に入ることなった。遊びに来てくださいと。
ご両親のことは私にはいまだわからないのですが、あの日、たった一夜に出会った絵本で、偶然とはいえ、12歳だった男の子の人生に大きく影響を与えてしまい、それでよかったのかという困惑や不安な気持ちと、今や青年となった彼が夢を実現しようとしている頼もしい姿が想像できて、彼の成長が楽しみでもあり、私の夢や希望にもなっています。
ちっぽけな食堂ですが、こんな思いもかけない嬉しいことがあり、わたしが来た道は、たくさんの方々とつながっていて、これからもきっとどんどん広がるんだと思いました。今は食堂運営はしていないけど、これからも、自分にも人にもいい事だけやっていこう。そして、近いうちにクレモナに会いに行こう。わたしに希望を届けてくれて、お手紙、ありがとう。
つづく
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