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落合陽一先生のツイート解説

落合陽一先生(@ochyai)をご存知でしょうか。
寡聞にして私は詳しく存じ上げない方でしたが、友人に言わせると「大変に頭の回転がいい」方だそうです。
以下で紹介した4つのツイートを読むにつけても、現代文の読解問題の作れそうな文章を書かれる方だと感じました。

今回はそんな落合陽一先生のツイートを、友人に向けて分かりやすく読んでみた内容です。

向日葵以下がLINEの内容です。

🌻⚫︎🌻⚫︎🌻⚫︎🌻⚫︎🌻

本当かどうか分からない解説

まずコンプライアンスの意味確認から。
https://bizhint.jp/keyword/134469
これを踏まえて以下のツイートをふんにゃり読んでいきまーす。

❶元ツイート→https://mobile.twitter.com/ochyai/status/1152764481149079552
『炎上目的で狭いコミュニティにいる作家に批判は届かない構造.テレビや会社のコンプラ地獄とYouTubeのコンプラなき悪戯の差が社会への批評性を意図せず持った状態.手法や題材のモラルを作家は叩かれてしかるべきだが叩く参加者自体も作家の目的に加担する構造になった.このループをどう突破できる?』

炎上目的で狭いコミュニティにいる作家は大体自分の信者(作家の行動に異を唱えない人)にフォローされているので、炎上しても主だったファンたちからは批判が出ません。
一方で、テレビや会社といった広く公に開かれている存在は、様々な思考や属性の人たちにフォローされているので、幅広い配慮が必要になります。不適切な広告って最近急に炎上するようになったよね。あれって昔だったら気にする必要がなかった方面まで配慮が必要になったということ。つまり企業はしっかりとした倫理感を持って、「あれは大丈夫かな?、この表現は誰かを傷つけないかな?」とかなり気を使う必要が出てきたということです。これがコンプラ地獄。失敗したらデデーン!とポリコレ棒などで殴られます。酷い時は言葉狩りっぽくなっているかもしれません。自浄?作用はどんどん強化し表現はギッチギチの雁字搦め。
しかしYouTubeでは発信者にこのコンプライアンス(倫理感)が委ねられているので、様々な悪戯ができちゃいます。犯罪動画だって上げたければ上げられる!言葉狩りに対する痛烈な皮肉とも言える自由があります。炎上目的の動画はもちろん倫理的に許されるべきではないですが、じゃあ倫理的な線引きってどこですか?投稿者はきっと意図していなかったでしょうが、ここに1つの問いかけ、社会への批評が生まれました。
倫理的ってなんですか?どこまで線を引けばいい?
炎上するから倫理的に良くなかった?倫理的に良くなかったから炎上した?
件の動画はこんな問いをはらんでしまったため、この動画を叩く参加者はもれなく自身の「倫理的とはこういうこと、線引きはこうあるべき」という意見を示すことに他ならなくなりました。議論の参加ですね。そして、活発になった議論により、この動画は投稿者の狙い通り炎上することになりました。
倫理的でない投稿者は批判されなければいけない、けれど批判によって炎上は広まる。炎上によって(意味を深めた)問いかけが拡散する。そして批判(あるいは議論の参加)が高まる。炎上と批判の繰り返しのループが起きて、投稿者の思う壺の炎上が野火のように広がる。


このループをどうしたらいい?


❷元ツイート
https://mobile.twitter.com/ochyai/status/1152773603194093569

『モラルは尊重されるべきで,被害者や不快になる人がいるのに表現がされるのは遺憾.しかしこの構造に感情的になって参加するのはそのループに入ること.「作家が意図せず行ったこのループ構造」を「冷静に解釈し熟慮する過程」は個々人にとって文化的に大切と考えていたところで,動画が消えた.』


倫理というのは尊重されるべきもので、被害者や不快になる人がいるのにそれを意に介さない表現がされるのは残念なことです。
でも被害者がいることにかっとなって感情的に動画を叩くコメントをすることは、炎上の拡散になりますね。投稿者の思う壺の、炎上が炎上を呼ぶ状態です。
とはいえ、この作者の意図せず作ったループ構造(のもたらす問いかけ、炎上が先か倫理が先か?)は冷静に解釈し熟慮されるべき価値がありました。あなたは、炎上している話題について、自分が本当にそれは倫理的に間違っていると考えた上で批判をしていますか?その話題になっているものは本当に配慮不足が問題となっていると思いますか?いったん落ち着いて考えてみることは、インターネット上の炎上祭りを眺めている(あるいは参加している)人にとってとても重要な経験になるはずです。

と思っていたら元動画が消えた。

❸元ツイート
https://mobile.twitter.com/ochyai/status/1152776963985010688

『こういう「べき論の外のループ」が「意図せずとも提示された状況」を見つけると直情的な感情を抜きにして僕は唸るよ.こういう問いはずっと考えてしまう.』

YouTubeという(企業に比べて)「こうあるべき」という強い自浄作用の働く環境の外から生まれた、倫理観のなさが炎上を呼んだのか、炎上が倫理的批判を呼んだのか、というループ構造について、
作者の意図がなくとも、これが問題提起として大勢の前に示されている状況は、きっかけとなった動画への怒りや嫌悪といった感情を抜きにして感心させられる。このような問いはずっと考えてしまう。


❹元ツイート
https://mobile.twitter.com/ochyai/status/1152780406543884288

『批判が届かないという点で狭いコミュニティのYouTuberは「べき論の外」にいたが,「レコード会社に所属するアーティスト」が「社会との接触点」になって批判が集中して動画が削除されることになったのだろうと思う.しかし,その接点がなかったらずっと動画が公開されたままだったのではないだろうか.』

さて、もともと賛同者ばかりのファンに囲まれていて、ファンからの批判が(ほぼ)起こらないという点で狭いコミュニティのYouTuberには、企業のような「かくあるべき」という像がなかった。しかしこの動画の仕掛け人の中にはレコード会社に属するアーティストがいて、彼らは様々な属性や価値観を持った多くの人に知られた存在だった(すなわち、社会との接点)。狭い家の中で人を殴っても家庭によっては無問題とされるが、路上で家族に同じことをするとたちまち咎められるのをイメージすれば分かりやすいかもしれない。YouTuberは狭い家にいたが、レコード会社に属するアーティストは常に路上にいる。

動画は削除された。しかしこのアーティストがいなければ、動画はずっと公開されたままだったのではないだろうか。家庭内に新たな価値観を持った者が訪れなければ、その家庭が永遠に暴力から抜け出せない(変わらない)ように。

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こういう読解は読み違えがないか緊張しますね☺️💦

括弧を多用して読みにくい文章だったかも……とは思いますが、敢えてあまり変えずに載せてみました。

お楽しみいただければ幸いです。

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