PRAY

わたしにとってあなたが全てなんかではないよと教えてやりたい。そうして、気軽に愛してくれればいいのです。そんなに恐る恐るわたしに近付く必要はない。もっと、なんでもないように愛してくれればいいのです。

愛することが、信仰に近付いてしまう。これはわたしの愛の特色で、これはわたしの受けた愛とも同じものでした。祈ることは、それを見つめる行為のようで、目を逸らす行為とも呼べる。ただただ惑いのない真摯なものでは決してなかったのです。個と個の隙間にあるものを肯定するだけで、それに触れて形を変えてしまおうなどという発想はそこにはなかったでしょう。
わたしは祈るだけ、形を見つめるだけ。見つめるだけ。見つめるだけ。並べて唱えるだけ。唱えるだけ。永遠に。

祈るということを、もう一度考えてみます。わたしの書く文章には、いつも祈るべき相手がいた。文字はいつも手紙を綴り、出すことのない手紙を毎日毎日、わたしは飽きることなく書き綴ってきました。
文字を綴り、その連なりを指でなぞるときのあの時間を、わたしは祈りだと思っています。時間を費やすということ、無性の時間を費やすということ。あなたに捧げるということ。わたしの捧げたものによって、あなたがわたしに何かを与えてはくれなくてもそれでいい。祈りは、いつも独りよがりでありました。

もう昔ほど、自分を悲劇的にも思わなくなりました。神様がそこまで、わたしに関心を持っていないということにも、いい加減気がついてきたからです、するとわたしはあなたに執着をするようになる。悲劇でも喜劇でもないのだから、せめて選んだものをそばに置きたいと。我儘を言います。そうして、あなたがわたしにうんざりしてくれたならもっといい。わたしにうんざりしてくれるくらいが一番、わたしを知っていると思うのです。

愛し方が下手くそで本当にごめんね。愛がいつもうまくできない。本当にごめんね。何度詫びる気持ちを抱いたかわからないけれど、いまだに思うの、新鮮に。今日生まれた気持ちを。何度でも初めてのような心になる。祈りは、いつも変わらないのに新しい。唱える言葉はいつも同じ。だけれどいつも違っている。
祈りは音でも色でもないの。愛は音でも色でもない。祈りは愛、今日もそれを思いながら生きていなくちゃいけないの。苦しいね。苦しいのが好きだから、祈りも愛もやめなかった。

本当に、空の高いところに、神様がいるのならわたし、一度も目を逸らさずに見上げていたと思う。自分で望んだならどうしようもないね、と開き直って寝るふりもしない。しっかりこの地から空をを見上げて、たまに妬ましく思う。なぜわたしはここにいなければならないの?こんなにも空に憧れているのに、どうしてあなたになれないの?寂しい。近づいたって寂しい。寂しい。祈れば祈るほど、神様との距離が明確になっていくだけ。いつも寂しかった。正直に言うことが苦手なわたしですら、正直になってしまうほど、長い間わたしは孤独だった。

狙いを定めないと決めると突然難しくなる。今度は書こうと思う、あの日の私たちにあてる言葉を。



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