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23歳の春

OSIP参戦!―全力で考えて、全力で愛して、全力で傷付いたー

藤本一希・カカ・あがぺーと共に「Orange Social Innovator Program」 (通称OSIP)という医療系学生を中心に社会的課題を解決する力を養う2週間のプログラムの運営をした。
元同級生の藤本一希が医療系学生に対して、医療職以外の場面でも自己実現をもっと促進したい(彼の活動は今でもがんがん続いていってるから、URLも乗っけとく)

http://www.regie.co.jp/

と、武者修行プログラムを参考にした教育プログラムを作っていた。医療者が、その専門家としてのレールに乗らずに自己実現的に生きていけたら素敵やなぁって思ったのと、どんな人が来るんだろうと気になって(あとは一希の人たらし故ですね笑)運営に参戦。

「どういう社会的課題が目につくのか」
「誰に」
「どんな価値を与えたいのか」

この問に向き合い続け、深く深く考え感じると、自分の中の「世界はこうあってほしい」という願いに辿り着くのだなぁ、と深く実感した。人って自分が思っていた以上にとても強い存在で、関わらせてもらったこっちが勇気を貰える事が多かった。
参加者の皆は移動手段がないためヒッチハイクしてでも時間を節約して活動したり、Visionで人から人を渡っていって福井の大物に辿り着いたり、ロジックとパッションで社会人の心と行動に変化を与えたり、と凄まじい活動が繰り広げられる。そんな参加者を4人の運営+カメラマンで支えるのだが、人ってこんなに感じ方や考え方が違うんだと骨の髄まで理解させられた時間だった。皆武者修行を経て、それぞれの自走式エンジンを回しながら、大組織の運営やベンチャーでの1年インターン、会社を登記し運営した経験があったりと、課題を見極め、それに食らいついていく力が半端なかった。課題に深く向き合うほど、運営それぞれの思いや考えが剥き出しになっていく。それぞれのバックグラウンド、それぞれの価値観、それぞれの愛情の注ぎ方、それぞれの向き合い方、そしてそれぞれのエゴ… たくさんの「違い」に囲まれた。

「自分」と「他人」はどう違うのか?
人にどんな願いを持っているのか?

そんな問いに向き合い続けた2週間だった。OSIPやるまで教育には全く興味なかったけど、僕の中で、教育が「貴方は何を大事だと思っていて、それをどうやって後世に残したいと思っていますか?」ということに向き合う場所なんだと、解釈した。この「自分は何を大事にしているのか」に答えることがとても重要。

大事なことだけ覚えてて、他の都合の悪いことなど忘れてしまえればいいのに。なんでそれがひっくり返っちゃう時があるんだろう、

なんて、どっかの誰かが言ってたっけ。
大事なことを掴み続けるにはやっぱり言葉にして伝えないといけない。そして、その行為は他人だけでなく自分自身の奥底にも伝える行為なのだなぁ。




(一度深呼吸)
プログラム中はベクトルが自分に向きすぎていた。「全ては参加者のために」という言葉が重たすぎて、随分と我をなくした。

自分で自分を肯定してあげられない。一緒に仕事してる時に、自己肯定感低いやついるとめんどくさいじゃん。チームメンバーにはいろいろなことを言われた。
「桂思郎は自分に自信がないんやろ?だから参加者にあんな近づくんやろ?」
「闇が深いな。桂思郎は歪んでいる。」

プログラム初日からメンタルブレイク
愛がないな。なんでそんな言い方しか出来ないの?あ、でも全ては参加者のためだから、俺にどうにかなってほしいと思っていて、表現としてこんな言い方になっても仕方ないんだ。ははは、と。

出来たこともたくさんあるんだけども、出来ないことばかりに目がつく。
最後は運営チームで抱き合って、お互いを称え合ったし、やりきれて嬉しかったけど、自分の心にはしこりが残る。春は鬱っぽくなった。大学が4月から始まるまで、何をしていたのかイマイチ記憶にないな。自分から出てくる言葉が、自分の内側から出てくる実感が全然なかった。
密度の濃い時間を過ごすと課題がめちゃくちゃあぶり出されるな。さて、何から見直そう。まずは日々の学びをもっと体系的に記録しよう。そうやってtrelloへの学びの蓄積を始めた。プレゼンテーション、ビジネスアイデア出し、ロジカルシンキング、チームビルディングetc. 一歩づつでも、前に。

ボロボロになって終わった。前田塾道場の最後と同じ感覚。
ホクトマンに言われた言葉を思い出す。
「よう頑張った。よう頑張ったよ。このまま行こう。このまま続けよう。」

前に進んでいる感覚がなくっても、自分がどこに行きたいのかわからなくても、ただやり続けるしかない。

23歳の春には、そう思っていた。

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