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写真展「グッドバイ」のこと_2020年1月の日記から

去る2020年1月19日〜26日の1週間に渡って、飲み友達の阿部昇とともに新宿三丁目のブルースバー King Biscuitにて小さな写真展をさせていただいた。


古びた雑居ビルを2階に上がり、中の様子が伺い知れない重厚な扉を開けると創業30年の暗闇酒場が迎えてくれる。

自分はこの場所に10年ほど前に出会い、7年ほど前から不定期でカウンターに立たせてもらっている。

その縁もあり、写真展の相方が飲み友達だというのもあり、大した議論もなく会場は決まった。

この記事を書いているのは展示会終了翌日。

期間中は「まあこれぐらい来てくれるだろう」という我々の事前予測をはるかに超える皆様に足を運んでいただいた。

(実際の動員は予測の倍以上だった。ありがとうございました。)

そんなわけで完全に動員を見誤っていた我々…特に自分は、折角時間を作って来て頂いた方々に充分に作品解説もできず消化不良の面もあるので、ここを利用して改めて発信しようと思った次第である。

相方・阿部昇、彼は彼で総括の記事を何処かしらでアップするだろうから、その際にはここにリンクを貼るとして今回は自分だけの話をさせていただく。
追記:阿部昇の記事はこちら


各方面で写真展の告知をした時に記載していたコンセプトというものは以下の通りだ。


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「どうして撮っておかなかったんだろう。二度と会えなくなるその前に。」

大切な人が死んだ時の後悔から着想したルーティンワーク…別れ際に1枚シャッターを切るということ。そのまとめ。 みんなきっと次はあると漠然と信じている、その記録。

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文字数の問題などもあり簡潔にこのように記したが、会場ではもう少し突っ込んだ説明をしていた。

その話などを、大事なことをすぐに忘れる自分のための備忘録も兼ねてここでしようと思う。

少し前に弟を亡くした。

随分と早世したもんで、まさかそんなに早く居なくなってしまうなどとは露も思わず周囲は大変に混乱したものだ。自分も例に漏れず。

そして猛烈に後悔をした。

写真をやっているにも関わらず、
自分は弟の写真をほとんど撮っていなかったのだ。

そんなに急ぐことはない、また会えると、信じ込んでいた。

弟の死後、様々なものに疲れ、自分はそれまで熱を入れていた作家活動をストップさせた。

なにか、それまで楽しかったことがどうでもよくなってしまったのだ。

それからしばらく時間は流れ、ダラダラと生き長らえている自分がいた。

特に何に熱中するわけでもなく、波のない生活。

安定とは人をダメにするもので、あの時の何にも飢えておらず、何も欲していなかった自分にはあれはあれでどうだったんだろうかと思う。

そんな腑抜けの状態で過ごしていたあるとき、ふと考えたことがある。

未体験のことが多く、もうすぐ我が子も生まれてくる、そんなタイミングで不慮の死を遂げた弟。

おそらくもっと生きたかったであろう。

翻って自分は結婚も離婚も経験し、酸いも甘いもこの歳なりに嚙み分けた。

子孫を残すという生物として最低限の役割も果たしたし、何ならもう現状は余生というものなのではなかろうか。

「何であいつが死んで俺が生きてるのかなあ。」

一時期しょっちゅう口にしていたワードだ。

弟の死後少し時間は経っていたが、やっとこさ自分は思った。

「頼んでもいないが生まれ落ちて何の因果か自分は生き残った。なんかやってみるか。」

そうして思い立ったのは、人を記録すること。

写真とは元来「記録」である。昔誰かが言ってた。

どうして撮っておかなかったんだろうという後悔はもうしたくない。

せめてお別れの瞬間を残そうじゃないか。

そう思った。

ひとつ問題はあった。

自身のことで精一杯だったことも一因としてあるが、

自分はもともとあまり他人に関心のない人間だったのだ。

特にこの数年は出不精で自宅で寛ぐことが気持ちがよかった。

そんな自分にとって、BAR King Biscuitに不定期で立つ、その一点のみが友人・知人と自らを繋ぐ重要な掛け橋となっていた。

なのでこのアーカイブには必然的にKing Biscuit店内での写真が多くなっている。

会いにきてくれた友人にお酒を提供し、対話をし、帰って行く時の一枚。

自分がBARに立つと友人が数人ちらほらと来てくれて、とりとめもない話をする。

こちらも「うまくいっているよ」と近況を語る。

しばらくそんな日々が続いた2019年秋。

自分は転機を迎えることになる。

ひどく落ち込み、酒に溺れていた自分を叱咤激励し、支えてくれたのは周囲にいる友人たちだった。

あの時周りに誰もいなかったらどうなっていたかわからない。

ある決定的なことが起きたとTwitterに書くと、その晩のBARには驚くほどたくさんの友人が駆けつけてくれた。その次も、そのまた次も。

この頃から人との別れ際を撮影するペースは飛躍的に上がっていく。

それだけ、それまでよりも多くの人に会った。

その誰もが自分のことを気にかけてくれて、時間を共にしてくれた。

理解が追いつかなかった。

どうして赤の他人に皆こんなに優しいのか?

気をやって時間を割いて、どうしてそんなことができるのか?

損得勘定でいったらコスパはよくないんじゃないのか?

ああもしかしたら、そういうのって理屈じゃないのかもしれない。

人ってあったかいんだなあ。

いつの頃からか「周りの人をとにかく撮っておこう」という義務的な動機が

「好きな人と会った記録を残したい」というものに変化していた。

なんてことだ。自分は人が好きになってしまっていたのである。

これは何だと聞かれたら、はじめは「記録です」と答えただろう。


今だったら「これが愛です」なんて言ってしまいそうだ。

これは一人のどうしようもない人間が、他人に関心が抱けなかった寂しい人間が、大切な人間の喪失を経て愛情に目覚めたという変遷の記録。


今は他人に興味があり、コミニュケーションが楽しく感じる。

以前より心の余裕を感じる。

むしろあの頃より金銭的な余裕はないのに。

弟は多くの学びをくれた。奇しくもいなくなってから。


けれども、人は死ななきゃ何かを人に伝えられない訳じゃない。

きっと自分が人を見ていなかっただけで、日常の中にそういう機会は溢れている。そこらじゅうに。

誰もがそれを持っているし、自分も持っている、そしてそれらは交換できる。

令和二年、自分は今、眼を見張ってそれを探している。

グッドバイと言いながら、また会いたいと願って。



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改めてここで、今回の写真展に足を運んでくれた皆様に御礼を申し上げたい。

会場で伝えられなかったことを記そうと軽い気持ちで書き始めたもののかなりの長文になってしまった。

1週間毎日共に過ごした相方の阿部昇、BAR King Biscuitオーナーのアラタ、ありがとう。

大変だったけど楽しかったね。いい思い出ができた。

皆様にまた会えることを心から願って。グッドバイ。

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