股旅CENTRAL_day3_岐阜
毎年4月になると旅をしている私は、
一昨年は北海道と東北を
昨年は沖縄と九州を
そして今年は中部と北信越を巡る旅をしているわけだけれども……
長旅に出るこの時期になると毎年お金が底をつき、結果として極貧旅を強いられている。
なぜだろう。
別に年中こんな状態なわけではない。
潤っている時期も存在するのだが旅のときだけはいつも決まってそういう塩梅になっている。
「自然とそうなる」。
そういうリズム、なのだろう。
3日め。
目を覚まして身支度をし、母に最寄駅まで送ってもらい、別れた。
ここ数年は母とさよならをする時、いつもこれが今生の別れになるのではないかと、いつか来るその時を恐れている。
母がいなくなるということは肉親の全滅を意味するからだ。
なるべくまだ、その時が来ないよう願う。
地元駅から名古屋鉄道で1時間。
岐阜に到着した。
車だとほんの20分ほどなのだが、鉄道網が発達しておらずかなり遠回りをする。
田舎ならではな話。
チェックインはまだ先なので、ホテルに荷物を預けて街を散策する。
いつもの旅のスタイルだ。
昼飯時だというのに、駅周辺の商店街にはまるで活気がない。
ほとんど人影もなく飲食店ですら軒並み閉まっているではないか。
ようやく見つけた、開いているメシ屋に入る。
ママと常連客の爺さんのコテコテの名古屋弁による世間話をBGMに、運ばれてきた焼きそばをいただいた。とてもうまい。
食後、ママに話を聞いてみた。
メシ屋を探したけどここ以外開いていなかったこと、人が少なすぎやしないかということ。
想像通りだったが、元々寂れていたところへコロナ禍が決定打となりこの辺りの飲食店はバタバタと潰れていったとのことだった。
私が入ったこの店も、ママが高齢だということもあり(78歳)、余命幾ばくかといったところらしい。
「また来てね、ほんとにまた来てね」
ママは懇願するかのように私の目をまっすぐに見て言った。
柳ヶ瀬商店街を歩く。
体感だが、生きている店は3割ぐらいだろうか。
壁にあいた大穴。
朽ちた看板。
二度と上がることはないシャッターが大挙して並ぶ。
戦後すぐの頃は大いに栄えたという繊維街も、数十年前で時が止まったまま静かに朽ちていた。
平成初期までは栄華を誇ったという日本有数のソープランド街、金津園。
久々に来たのでゆっくり見て回りたかったが、ひっきりなしに呼び込みを受けるのでそそくさと退散。
岐阜は準地元で土地勘があったのもあり、かなり効率的に中心部を散策できた。
ほんとうに寂れた街だったのだがひとつ嬉しかったのは、
昔行ったライブハウスがいまだ現役で営業中だったことだ。
20年以上前にブランキージェットシティのLIVEをここで観た。
終演後メンバーを出待ちした。
懐かしい思い出だ。
16時、ようやくホテルにチェックイン。
1泊3千円台の安宿だ。
とても狭いがもともと多くは望んでいない、こんなもんだろう。
だがしかし、どうしても許せないのが、チェックイン時に「明日の朝食です」と渡されたこちらだ。
こんなもんおやつじゃないか。部屋に入った瞬間に食べたわ。
これはいかんわ……
(実家に寄っていたので名古屋弁多発中)
日も暮れて、この旅はじめての撮影。
isxnot(イズノット)のデザイナー・マキセちゃん。
新作のイメージ撮影ののち、彼女の行きつけのBARにて日付が変わるまで深酒。
とても有意義な時間を過ごすことができた。
今日までの愛知と岐阜は地元と準地元だったが明日は福井県、ついに未知の領域に踏み込むこととなる。
悪い予感のかけらもないさ。
旅は続く。
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