見出し画像

犀の角

Canon 5D markⅡを使って10年になる。

写真をはじめて以来APS-Cのカメラしか持っていなかった私だが、
ついた師匠のメイン機材が当時Canonだったため「同じメーカーのを買えば時々レンズを貸してもらえる」なんていう下心で手に入れたフルサイズ機だ。



今も無いのだが当時は今にも増して金がなかった。

セクキャバの黒服と、風俗店の運転手兼カメラマンを兼業していた時代のことだ。

月々10万そこらを稼ぐのに必死だったはずの自分がよくもまあフルサイズ機など買えたものだと、今振り返っても思う。

どう資金繰りしたのか更々記憶には無いが、
頑張ってなんとかしたのだろう。

なぜこんな話を訥々と語りだすのかというと、
先日付き合いの古いカメラマンの先輩と飲んだからだ。


10年前、私も先輩も5D markⅡ(以下、mark Ⅱ)をメイン機として使っていた。

そもそも2008年発売のmarkⅡは10年前の時点でも登場から5年が経過しており、後継機のmark Ⅲも既に世に出ていたと記憶している。

それもあって、型落ちということで比較的安価に(……それでも中古で並品が15万円ほどだったが)手に入れることができた。


それから10年。
先輩は最新鋭のミラーレス機R5をはじめとしてSONYのなんとかというこれまたミラーレス、他にもあれやこれやで随分と洗練されたラインナップになっているのだという。

かたや私は、この10年の間にCanonのフラッグシップ機を手に入れはしたものの、年を追うごとにどんどんそれを使わなくなり、いまだにmarkⅡをメインとしている。

この事実は、今やミラーレスは当たり前、なんならムービー撮影まで要求される商業写真の戦国時代ともいえるシーンに身を置く先輩にとって少なからず驚きであったようで、
「まだ使ってんのか」と珍獣でも見るような目で私を見ていた。


「なんでまだそれなの?」

そう聞かれても私はそもそもカメラ自体にさして興味がないのと、手元のmarkⅡがまだ全然バリバリ動く(何百万シャッター切っているのだろう……カタログスペックはシャッター耐用回数15万回)のと、そもそもカメラ買い替える余裕なんて常にないその日暮らしをいまだに続けているのと……

まあごくごく自然の流れでまだ使っているだけなのだが、
じゃあこいつが壊れたら何か新しいものに替えるのかと言われれば、私はまた中古でmarkⅡを探して買ってしまう気がする。

なので私は考えてみた。
すでに化石のようなスペックになりつつあるmarkⅡの何がそんなにいいのかを。

手に馴染んでいるからとか、そういう感覚的なことではなくメカとして何がいいのか。



まずスペック上では25,600まで拡張可能なISO感度だが、
実は3,200の時点で早くもノイズが出る。
なので快適に使用できるのは1,600までだ。

たったの1,600。この許容量の狭さ。
これによって工夫の余地がとても多い。
私は思案の果てにこのローテクブームの時代にはノイズさえも歓迎されるはずだと、敢えてノイズを出す方向に振り切った。
markⅡは粗い絵を撮るのにはもってこいだ。



そして次に、AF測距点がたったの9点であることと、ピントの掴みが緩いこと。

どこかの測距点にピントを合わせて3回シャッターを切ったとしよう。
するとそのうち1ショットはピントがズレている。
絞り8以下ではそれが顕著となり、4から特にひどくなることに気づいたのは購入から5年が経ったころだ。


不確実性と言おうか隙と言おうか。
このことを悪く言おうとすればいくらでも言えるが、プラスに捉えれば「ライブ感」や「温かみ」と言い換えが可能だ。

誰が押しても綺麗な写真が撮れる現代において、これはむしろストロングポイントといえる。

このことに着想してから、私は便利なフラッグシップ機を使う気が失せてしまった。



それを後押しする事態もあった。

ファッションの現場ではフラッグシップ機を優先的に使っていたのだが、「一応こっちでも」とオマケ的に撮影したmarkⅡでの絵の方がブランドは喜ぶではないか。



そして迎えたコロナ元年、
CDの出荷数をレコードのそれが40年ぶりに上回ったというニュースがあった。
ご存知の方もいるだろう。


どれだけ技術が進んでも、人は温かみに回帰するのだと私は確信した。

時代の先端を行くカメラではなく、色々足りていない一昔前のカメラ。

「なんて言ったらいいのか分からない、でもなんかいい」。

どのブランドも、クライアントも、的確には表現できなかった。
私は、それは懐かしさなのだと思う。



誰しもが通ってきた道でいつか見たもの。
markⅡにはそれが撮れる。

もちろんそれだけではない。
私の味も加えている。

私はいわゆる撮って出しというものはしない。
markⅡで撮った絵に、その時その時で微妙に違った後処理をしているのだが、それは時代によって変わっていくのだろう。
現に昨年と今年では何もかもが違う。

それでも"元絵"となるものはmarkⅡにしか撮れないということ。


私がmarkⅡを購入したころ、
身の回りのカメラマンの多くが同じくmarkⅡを持っていた。
それほど、かつてはマスターピースと言っても差し支えないほどのカメラだった。
それでも時代は変わる。
今では私の知る限り、これを使って仕事しているカメラマンはいない。
(いたら名乗り出て欲しい、友達になりたい)

カメラを始めてみたい方、味のあるデジタルカメラ体験がしたい方。
デジタルであればmarkⅡがいい。
今なら中古市場で5万もしないであろう。
私は死ぬ迄これでいい。

いいなと思ったら応援しよう!