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【小穴雄一様 寄稿】

去年に続き、小穴様に寄稿いただきました。昨年の記事、プロフィールは↓をご参照。https://note.com/oqzl/n/n0adf29f85d57

今年はコロナ一色の年になってしまった。いきなり年初のアメデオは中止、初めて取れた芸劇で、ホール関係者とも感染対策まで、綿密に打ち合わせまでしたが、実現しなかった。それでも少しずつ活動は再開した。マスク着用の練習は味気なく、結局音楽とは行き交うものだということが明らかとなった。あたりまえのようにあったものを喪失すると、いろいろなことに気づかされる、それもまたコロナが故の産物だったのかもしれない。

黙って指揮をすること。まさにこれである。幸い耳は塞がなくてよいのだから、静かになったであろう。目は開いているのだから、まさにアイコンタクトで伝信しあうことも。最近そういう曲を書いた。マンドリンとピアノのためのダイアログという曲である。本曲は来年2月5日に開催される慶應の部内発表会で初演予定である。マンドリンは望月豪くん、ピアノは自分が担当する。ただ持ち時間は10分とのことなので全曲は披露できない。望月くんとはせめて録音を取ろうと話している。自分は作曲は気まぐれなので何も系統だっていない。そう言えば、この投稿はマンドローネのことを書く場であった。前置きはこのあたりにしておこう。

マンドローネはマンドリン合奏において、まさに土台のような存在だと思う。建築でいうとまさに礎石のよう。ここが揺るぎなく、どっしりと存在することで、合奏に安定をもたらすものであろう。ひとつの原則として言えることは、たとえば、全体をピアニッシモで表すようなときでも、マンドローネの音は聴こえていなければならないということである。ボッタキアリの交響的前奏曲はその一例であろう。

もう一つの気づきは、音の放ち方であろう。低音の響きは打ち込んでから音の芯が発するのに時間を要する、おまけに大抵いちばん後ろに居る宿命と合わせて鑑みるに、その芯なるところが発せられるタイミングを最適化するということを意識して放つべきである。これはやみくもに早めに弾けばいいということでもなく、それぞれ異なる楽器固有の響きの特性を捉えたうえで実現するということに他ならない。さらにいえば、ホールによっても伝道のあり方が異なるので、特に慣れていないところで奏する際には事前の確認が必至となろう。

それでは、その確認をどのようにして成すのか、ということにも触れておくべきであろう。それは容易なことではないが、ひとつの試みとしては、座っている場所で鳴らすのではなく、およそ合奏が進行している場所で弾くということ。その場所とはどこであろうか?ひとつの考え方としては、コンサートマスターの呼吸であり、あるいは指揮が示す場所に違いない。この二つの場所が一致していることが理想ではあるが、指揮者がいない場合には明らかにコンサートマスターの呼吸に寄り添うということである。優れた合奏体はこの場所の共有が行き届いているということにほかならない。この際に、誰かに合わせるのではなく合うということである。追従したら遅れてしまう。同時多発的に時間を共有するということであろう。この音の芯をその場所に届けるというのは容易なことではないだろう。まるで、バスケットボールのロングシュートを決めるようなものである。気持ちをその場所を意識すれば良いのだと思う。

機会があれば、重い音と軽い音をどう弾き分けるかということについても考察してみたいと思う。

2021年12月9日
南北線車中にて

小穴

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