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メモリーカードを消費しているだけなのか、それとも物語を構成する素材を集めているのか?

メディアの多様化やカメラ性能が向上をしたことで、映像制作を始める人が増えている。わからないことはYouTubeが教えてくれるし「参入コストの低さが魅力の業種」と言われるようになってきた。

カメラは目の前で起こる出来事を記録する道具なわけで、技量に関わらず構えていれば、とりあえず格好がついて、「ディレクター」や「カメラマン」という立ち位置が確立されてなんとなく心地良かったりもする。

最近はだれでも綺麗な映像が撮れるようになったし、それをシネマトグラフィーにしてSNSに公開して楽しんだりもする人も増えて来た。(プロレベルの動画を作る人もたくさん!)

ただドキュメンタリーに関して言えば、ストーリー(物語)を構成するという点で異なる。一例ですが私が意識している物語の基本は、主人公がいて、苦悩や葛藤があって、それを乗り越えたときの成長や別れがあって、ハッピーエンドにつながる感動的なクライマックスが存在するものだと思っています。(入門書でよく見かける3幕構成。。)

ディレクターはクライマックスを感動的に見せるために日々の出来事(点)をストーリー(線)として結びつけるための努力をしなければならない。

(言うは易し行うは難し。永遠に悩みつづけるテーマでもありそう。)

物語にするならば、映像ではなく映像素材が必要。
そのためには重要人物は誰か、物語の中でどのような役割があって、どのような成長や発展が期待できるかを現場で想像していく必要があると思います。それからシーンを作るために必要なインサートカットやビューティーカットも狙っていきたいです。

自分を振り返ると、入門書によく書かれている「撮るべき主題」「ストーリー」をきちんと記録できるように追いかけて追いかけて、そればかりに目が眩んでしまっていると思う。本当は「主題」とか「ストーリー」とかは二の次で、被写体の魅力は何かを考えて、それを紹介する手段として使っていかなければいけないものなんだろうな。

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