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きのこ本【きのこのなぐさめ】と撮り菌のはじまり

きのこのなぐさめ 著: ロン・リット・ウーン

悲しみの淵にいた私を、そこから連れ出してくれたのは、きのこだった——。

マレーシア人の著者は、文化人類学を学ぶ交換留学生としてやって来たノルウェーでエイオルフと出会い、恋に落ちた。夫婦となった二人は深く愛し合い、何でも話し合う仲だった。
ある朝、いつものように職場に向かったエイオルフが突然倒れ、そのまま帰らぬ人となる。最愛のパートナーを失った著者は、喪失の痛みのさなか、ふと参加したきのこ講座で、足下に広がるもうひとつの世界、きのこ王国に出会う。きのこたちの生態は、不可思議な魅力に満ち満ちていた。
苔むす森でのきのこ狩りの効用と発見の喜び。きのこ愛好家間の奇妙な友情と不文律。専門家・鑑定士への「通過儀礼」。
悲しみの心象風景をさまよう内面世界への旅と、驚きと神秘に満ちたきのこワンダーランドをめぐる旅をつづけ、魂の回復のときを迎える、再生の物語。 ※抜粋

みすず書房

きのこ好きを公言し始めたことによって、新たに生まれた縁がたくさんある。
足利映像クラブ主催の石川勝さんの好奇心からわたしの「撮り菌」活動が映像化され、その作品が上映された映画会にいらしていたとある方とのご縁がつながり、「きっと共感されます」とご紹介いただいたのがこの本。
日常できのこについて考える時間がほとんどない一般の方からしたら、「きのこのなぐさめ」とは変なタイトルかと思う。
わたしはこのタイトルを見ただけでこの本に心を奪われてしまった。

わたしが「撮り菌」を意識して始めたのは、2019年に最愛のねこが亡くなってから(のような気がする)。
ねこが亡くなってからインスタの投稿はねこからきのこの画像に入れ替わり
グーグルフォトのストレージはきのこで埋まってきている。

ねこ多めのころ
きのこと山と、ときどきよそのねこの2024年現在

このねこはわたしにとってお母さんであり娘であり恋人でもあり、家に入れたときからすでに別れのことを考えて泣けていたほど、依存していた。
悪性リンパ腫発覚から亡くなるまでの約半年、肉体的にも精神的にも強いと思っていた自分は驚くほど弱くなり、職場や家族にも迷惑をかけ、身も心もヒリヒリになってしまった。
(noteのアカウントを獲ったのも猫の闘病や治療をまとめて、誰かの役に立てたらと思っていたからだったけど、情けないことに泣けてしまって文字を打つことができない。)

ありし日のねこ、闘病中ですらうつくしかった

わたしにはねことの別れに半年の猶予期間が与えられたけれども、
筆者はちがう。

夏のよく晴れた早朝、死がエイオルフを連れ去った。
中略
私は試しに目を閉じてみた。そして目を開けてみたけれど、エイオルフは目覚めなかった。彼の人生は、止まったままだった。あとは最後に、狂気に満ちた願いを私が葬るのみだ。

二番目に良き死 より

動物の死と人の死を一緒にすることは不謹慎かもしれない。
けれども筆者のパートナーを失った後の心の動きには共感することだらけで、読んでいてつらくなるほどだった。

ねこを失うと心にねこ型の穴が開き、それを埋めることはねこにしかできない
という言葉を目にしてから、ずっと怯えていた。
実際にねこがいなくなり、大切なものを失うと本当に心に穴が開くんだなと実感した。自分の身幅いっぱいのねこ型の穴を感じることができた。

北関東の平野部に住んでいるため、気軽に入れる里山が近くにあり
2016年ころから山歩きを始めていた。
ねこが亡くなった後、山を歩く回数が増え、元々珍しいものと、写真を撮ることが好きだったため、自然ときのこの写真を撮るようになっていった。
いわゆる映えるきのこを見つけると、動物を見たときのように話しかけ、山好きの多くの人が山野草に惹かれるように、季節ごとに変わる(時に変わらない)里山きのこの世界に入り浸ってしまうようになり、きのこの写真を撮ることを撮り鉄に倣い「撮り菌」と呼ぶ人がいることを知り、公言するようになった。

どうしてこんなに
惹きつけてくるのか

ヒイロ(緋色)タケという硬いきのこが生えている枯れ木の断面は、内部も緋色に染まっているのが目に見える。

きのこ染に使われるという鮮やかな色のきのこ

多くのきのこは生きるために枯れ木や生き物の死骸に菌糸をめぐらせ、分解して養分を得る。もしくは菌根菌のように植物と共生関係にあるきのこもある。
結果、森林の再生や成長に大きく役立っている。(樹木を分解できるのは菌類だけであるらしい)
わたしは撮り菌をすることで、きのこの胞子を身体に取り込み、その胞子が菌糸を張り巡らせてわたしのねこ型の穴を埋めているような絵が浮かぶようになった。
わたしはきのこに分解されて、外見はにんげんだけれども、中身がきのこに置き換わってほしくて里山に入るのかもしれない。この本の筆者がそうであったように、わたしもきのこによって再生されたいのだ。

喪失の悲しみの部分にばかりフォーカスしてしまったけれど、純粋にきのこ本としてとても面白い内容で、きのこの知識が浅いほど「食べられるかどうか」を気にすることは万国共通だということ(わたしもよく聞かれる)、トリップきのこ常習者へのインタビュー、松茸に熱狂する日本のこと(他国では汚い靴下や吐き気を催す匂いと称されることもありそのような学名がついてしまうのを日本のPRにより阻止した経緯)など
そして後半の章「天からのキス」では亡くなったパートナーと筆者をつなぐきのこの奇跡が書かれておりとても幸せな気分を感じることができる。
きのこ好きだけではなく何かを失ったと感じている人にもぜひ読んでもらいたい一冊。

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